□第12話 「そう言えば、ブラック、あなたはこの軍に入るまで放浪していたと言っていましたが、どんなところに行っていたのですか?」 昼食の席である。ブラックがリディアの護衛となってから早一月。もはや一緒に食事をとるのが当たり前になっていた。正確に言えば、マシューも含めて3人で食事することが多いのだが、今日に限ってはマシューが個人的に上層部に呼ばれているらしく、今ここにはいない。居たら居たで、昼食の席ではマシューとブラックの静かな攻防戦が行われていただろう。マシュー自身がブラックにリディアの護衛をするように命令したものの、それはブラックを認めたわけではなかった。この二人、リディアを守るということに関しては意見が合ったが、それ以外では頗るそりが合わない。リディアの目の前であっても、互いに嫌味を言い合う。マシューはストレートに物を言うが、ブラックはそれをさらりとかわし、リディアが気づかず、マシューのみがダメージを受けるセリフを言うのだ。二人は、会えばいつもこの静かなる戦いを繰り広げていた。 今日は、ブラックにとっての邪魔者マシューがいないので、彼は上機嫌だった。リディアの質問に顔を上げると朗らかにほほ笑む。 「本当に、いろんなところに行きました。この国の町もそうですし、ロードスやタタヤンにも行ったことがあります」 「ロードスにも?どんなところですか!?」 「リディア将軍も、行ったことはありますよね?」 ブラックの答えに、リディアは一瞬止まって困ったように微笑んだ。 「はい。でも…私の場合は戦で立ち寄っただけなので…」 リディアはロードスという国に憧れのようなものを抱いていた。ロードスは資源豊かで安定した国だと聞いている。今の国王は賢王と称えられ、戦は自らしかけるようなことはしない。かといって、軍事面も文句のつけようのないほど整えられており、今だロードスを脅かした国はない。このバジールもそうなればいいのに、とリディアは思っている。 「すみません。失礼なことを言いました」 ブラックが真剣な顔をした。気を遣わせてしまったのだと気づき、リディアはプルプルと首を横に振った。 「ロードスは良い国です。城下町から国の果てまで、どこに行っても皆笑って過ごしている。ロードスの織物は有名ですね。この国には、今の関係上なかなか入って来ませんが、それは美しい色をしています。それから…プリンが美味しいです」 「プリンですか!?」 リディアは目をキラキラと輝かせた。 「お好きですか?プリン」 「はい!!」 軍の宿舎の食堂は、やはり軍人の殆どが男性であることからお菓子や甘味はあまり置いていなかった。リディアも一応は女で、甘いものも大好きだ。街へ出ればいくらでも食べれるのだが、街へ行くときの大半はマシューについてきてもらう。マシューは甘いものが苦手で、いくらリディアが頼んでも可愛いケーキ屋やカフェには一緒に入ってはくれなかった。 「いつか、機会があれば、一緒に食べましょう」 「本当ですか!?あ、でも、ブラックは甘いもの、食べれますか?」 「はい。大丈夫ですよ」 いつものブラックの笑顔に、つられてリディアもへらっとほほ笑んだ。そして、もじもじと恥じらいながらブラックをチラチラと伺った。 「あの、ジャンボパフェのお店があるんです。その…さすがに一人では入りにくくて…」 どうやら彼女は自分を誘っているらしいと気づいたブラックは、満面の笑みを浮かべた。もちろん、リディアのことだから、純粋にそのパフェが食べたくて誘っているのだろう。けれど、その相手に自分を選んでくれたことが嬉しかった。護衛、という意味があるのだろうが、それでも以前よりも心を開いてくれていることは明らかだった。 「行きましょうか。午後、空きでしたよね?」 リディアが嬉しそうに頷いた。 * ブラックと街を歩くのはこれで2度目だった。以前よりも親しくなったこともあり、今回は前よりもリラックスしているし、少しウキウキしていた。けれど、今日はブラックは以前のようなラフな格好ではなく、軍服のまま帯刀している。リディアは一応、ラフなパンツとシャツに着替え、髪を一つに括っている。まだ暗殺者が潜んでいるかもしれないこの状況で、ドレスを着る気にはなれなかった。ブラックは残念がったが、いざという時に逃げるにはドレスは不利であることは明確で、無理にそれを着せようとはしなかった。一応、命を狙われている身だ。油断は禁物である。 「こっちであってますか?」 ブラックがぼうっとしているリディアの前で立ち止っていた。 「あ、はい!そうです。もしかして知っているんですか?」 「以前、リディア将軍に案内していただいてから色々探索してみたんです。次にこうして一緒にこの街を歩くことがあれば今度は僕がいいお店にお連れしたいと思いまして」 リディアはちょっとびっくりして、次に嬉しくなって頬を染めた。何だろう。嬉しくてドキドキする。 「リディア将軍?」 呼ばれてハッとした。なんでもないです、とリディアは首を振り、歩き出した。 「ずいぶんぼうっとしてますね?」 クスッとブラックが笑い、その左手をリディアに向けて差し出した。 「そのままだと、すぐにはぐれてしまいそうですから」 差し出された手とブラックの顔を交互に見て、リディアは頬を染めながらその手を取った。手を繋ぎながら目的の場所へと歩く。なんだかとても温かい気分だ。 「ブラックさん!!」 遠くから声が聞こえて、呼ばれたブラックもリディアも立ち止まってそちらを振り返った。茶色のワンピースを着た少女がこちらに駆け寄ってくる。反射的にリディアはブラックと繋いだ手を離した。ブラックが一瞬リディアの方を見たがすぐに視線を少女へと戻した。少女は、近くまで来るとやや戸惑ったように足を緩めた。リディアの方をちらりと見やり、困った顔を浮かべている。恐らく、遠目から見た時はリディアを女性だとは思わなかったのだろう。 「なにか用ですか?」 どこかいつもよりそっけないブラックの声を、リディアはジッと聞いていた。少女はブラックに向き直し近寄ると、花のように微笑んだ。同性のリディアから見ても可愛らしい少女だ。小さくて、華奢で…守ってあげたくなるタイプの少女はほんのりと頬を赤く染めていた。すぐに、彼女がブラックに対して好意を抱いていることが分かった。 「はい!あの、先日は助けてくださってありがとうございました」 リディアはこの場を離れたい衝動に駆られた。どうしてだろう。以前ブラックとこうして街を歩いた時もこうやってブラックに声をかける者、好意を抱く者はたくさん居た。どれだけブラックが呼び止められてもその時は何とも思わなかったのに。 「あの、それでお礼をしたくて。家へ寄ってもらえませんか?あ、もし良かったらお連れの方も…」 急に話を振られてリディアは返答ができなかった。先ほどの雰囲気からして、ここはリディアは断るべきだろう。 「すみませんが、私は遠慮します。ブラック、あなたはどうぞ行ってきてください」 声が震えているのではないか、心配だった。なぜか惨めな気分になってきた。俯いていると、横からグイッと肩を抱かれ、引き寄せられた。 「すみません。今、デート中なので。お礼は結構です」 突然のブラックの行動に、リディアは目をパチクリさせ、同時に胸が熱くなるのを感じた。それが、ブラックの言葉に対しての恥ずかしさから来るものなのか、別の感情からくるものなのか、はっきりしなかった。 「ご、ごめんなさい」 少女は俯いて走り去った。本当は呼び止めてフォローすべきだと思った。けれど、リディアは動けなかった。代わりにブラックを見上げた。 「いいんですか?あの、お知り合いの方では?」 「以前、絡まれていたところを助けただけですよ。仕事のうちですし、お礼されるようなことではありません。よくあることですし」 良くある、という言葉にリディアはドキリとした。いつも、あんな風に女性から声をかけられているのだろうか。それに、リディアの中の優しいイメージのブラックと、今のブラックの雰囲気はどこか違う。どうして?なぜ? 「あ…」 リディアは気づいた、気づいてしまった。これまで、自分とは無縁だと思っていた。軍人としてこの国のために戦うと決めてから、彼女は女性としての人生を捨てたも同然だった。それまでも、誰かに心を奪われたことなどなかった。 ――それなのに。 抱かれたままの肩が熱い。思えば、初めて会ったときから興味を持った。大勢の中で、ブラックだけが違って見えた。彼の実力を目のあたりにしたからだと思っていたが、それだけではなかったのかもしれない。それ以後も、彼のことが気になって仕方がなかった。成長を見守る母親の気分でいたが、違ったのだ。彼は、いつでもリディアの興味を引いた。いつでも、リディアの欲しい言葉をくれた。そして今は、自分の傍を片時も離れず、守り、優しい言葉をかけてくれる。 ――好きになってたんだ。 気づいて、愕然とした。自分に一番必要のない感情だ。この国を守り続けると誓ったリディアには、女として生きることなどまともにできるはずがない。それに誰かを好きになって、その後にいったい |