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□第1話



「全てはあなたを手に入れるために――」

 リディアの目の前で艶やかにほほ笑むその人物は、リディアのよく知っている彼ではなかった。何が起こっているのか理解できない。自分は裏切られたのだろうか。あれほど信頼を寄せ、何度も助けられた目の前の男に。声が出ない。何かを言わなければいけないはずなのに、声が出ない。男の手が、伸びる。リディアの手を掴む。

「あなたは私のものだ」

そう言った男の眼は、狂喜に満ちていた。



***



「そこまで!!」

 闘技場の中心。審判の声が上がり、向かい合っていた両者が剣を下ろした。片方は40過ぎだが、筋肉質の男。もう一方は驚くほどスラリとした華奢な20代後半の男。その周囲を遠巻きに若い屈強な男たちが囲んでいた。

「なかなか良い人材がいるみたいですね」

リディアが満足そうに闘技場の中心にいるその2人を眺めた。40歳を過ぎている男の方はリディアもよく知っている人物、第三軍の中の一つの隊を任せられているトンガリだ。しかし、もう一方のほうは今日初めてお目にかかる。あの華奢な体からどうしてあんな力が出るのかと思うくらい、素晴らしい剣技だった。まぁ、リディアも女性の身でありながら男顔負けに剣を振り回すのだから人のことは言えないが。

「ああ、そうだな。ロードスとの次の戦がいつ起こってもおかしくないから、この収穫はありがたい」

リディアの隣で、マシューが彼女に同意した。闘技場の、20代の男の方がリディアたちに気づいた。そしてその男はすぐさま礼儀正しく膝を折り、彼女に向って頭を下げた。まるで騎士の様だ。それを見たリディアとが目を丸くする。そして少し楽しそうにこう言った。

「どうやら、根っからの貴族か、とっても真面目な人のようですね」

 この国、バジールはとても好戦的な国だ。とはいっても、そうした気質は元からではなく、『悲劇の日』にこの国が大勝したことで国内の政権を握る貴族たちに欲が出てしまい、次々に他国を打ち負かし、吸収するようになったのだ。
 リディアはこのバジールの国軍のうち、第三軍の将軍である。女性でありながら軍を束ねる将軍となったのには、その剣技だけでなく、知識や、魔術が評価されたことが大きい。彼女の魔術の師は『悲劇の日』と呼ばれる日の戦争に活躍した英雄であり、彼女自身の魔術の才能も並外れたものではなかった。齢22歳にして、師にも負けぬ魔力を持ち、戦ではすでにいくつもの功績をあげている。特に、治癒の魔法を得意とし、それに関しては右に出るものはいないという。本人はそう戦闘が好きなわけではないが、いざ戦うと決めた場合には手を抜かない。普段はほわほわしていて今にも飛んでいきそうな雰囲気なのに、戦闘時は恐ろしいほどの殺気を放つという。その美貌も加わり、自国でも他国でも彼女は有名人だ。
 常に彼女の隣に立つマシューは彼女の従兄であり、第三軍の副将でもある。プライベートでも仕事でも彼女を支える良きパートナーだ。彼女よりも5つ上の27歳。彼自身、軍ひとつを任されてもおかしくない実力の持ち主だが、出世よりもリディアを支えることを選んでいる。第三軍は戦があると真っ先に前線に送られる。それ故に命の危険はどの軍よりも大きい。ただでさえ、このバジールという国は国内の政治も安定しておらず、格差が広がり暴動が起こっている。国外で戦をせずとも、国内の警備も行わなければならない。難しい仕事はすべて第三軍に回される。そんなリスクの高い激務の軍でも入団者は絶えない。それは、将軍の人柄と人望のおかげである。誰からも好かれる優しい彼女をマシューは彼の手で守りたいと思っている。

「ちょっと話してみたいです。いいですか?」

 リディアのウキウキした様子を見て、マシューは微笑み頷いた。リディアは手合わせを終えたばかりの青年に近寄った。周りの観衆たちがすぐさま一歩下がり、リディアのために道を開けた。青年の目の前でリディアが立ち止まり、それでも青年はまだ頭を下げたままだ。
 今日は第三軍の入隊希望者を募るための試験だった。試験は、学科試験と実技試験があり、学科試験はつい先日行われ、今日行われているのは実技試験である。リディアの目の前の青年も、その試験を受けにきた者の一人だ。試験を見ていた他の受験生の視線がリディアとその青年に集まっている。

「素晴らしい剣技を見せていただいて嬉しいです。顔を上げて名前を」

リディアの言葉に、青年は膝はついたままで顔だけを上げた。

「はい、ブラック・ラジュカッシュと申します」

青年は、名前にふさわしい漆黒の瞳と髪を持っていた。随分キレイな顔をした人だな、とリディアは思う。遠目で見て、華奢だと思ったその体つきは、実際には筋肉質だが無駄がまるでない完璧ともいえるもので、その上顔も良いとなると随分女性にモテそうだ。リディアは自分も女であることを忘れたのか、思いきり客観的にブラックを観察する。

「はじめまして。ブラック・ラジュカッシュ。私はこの第三軍の将軍リディア・サーメラスです」

周囲からやはり、という声が聞こえた。女性の軍人はまったく居ないわけではないが、第三軍にはリディアのみだ。おまけに、リディアは金色のわたあめの様に柔らかな長い髪に、透き通るようなブルーの瞳を持っている。やや幼さは残るが、どこからどうみても美人である。そんな絶世の美女が一つの軍をまとめ上げているというのだから知らぬ者は詐欺というものだ。

「存じています。僕はあなたに会うためにこの軍への入隊を希望しました」

さらりと歯の浮くようなセリフを言い、ついでに爽やかな笑顔を見せるブラックに、リディアは少し困惑した。軍の中には汗まみれな男は多くいるが、このような爽やかこう青年は珍しい。マシューが隣で怪訝な顔をしている。

「軍は、中途半端な志で入ってもらっては困る」

マシューの厳しい一言で、その場の空気がやや強張った。しかし、ブラックはというとマシューの威嚇にも動じず、というか無視して、先ほどからの笑みを保ったままリディアの右手を両手で包みこんだ。

「あなたのために戦い、この命をかけてもあなたをお守りすることを誓います」

そしてそのままリディアの手の甲に口づけた。
オオオッ!!という歓声が上がる。
マシューが、腰にかかった剣に手をかけた。

「きさま・・・!!」

「待って」

剣を抜こうとしたマシューを、リディアは掴まれていないもう片方の手で制した。

「あの、さっきから思っていたんですけど、あなたは貴族ですか?」

どこか間の抜けた質問に観衆が、せっかくの良い展開を砕かれたことでテンションを下げる。

「元は田舎貴族でしたが、両親が死んでからは貴族としての生活を捨て、放浪していました。ちなみに剣術はその間に身に着けました。あなたのような美しい人のためにこの剣で戦えるなんて、幸せです」

リディアの顔が瞬時に赤くなった。

「そ、そうですか。あの、身のこなしが綺麗だったので貴族かなと思って。そ、それと、う、美しいって・・・」

「噂以上にキレイです」

トドメを刺され、リディアは茹でダコ状態になってなにも喋れなくなった。

「貴様。ふざけてんのか?」

マシューが今にもブチ切れそうだ。実技試験で将軍を口説くなどということは、当たり前だが前代未聞である。ブラックの場合、貴族的なフェミニスト精神があってのこととも思えるが、リディアを茹でダコにしてしまったことで、マシューを怒らせるには十分だった。観衆は再び面白い展開になってきた、とそわそわしながらこの状況を見守っている。しかし、ブラックはそれでも冷静で終始笑顔だった。

「まさか。ふざけてなどいません。では、マシュー・パレ副将軍はリディア将軍が美しくないとでも?」

「そ、それは…」

またしてもさらりと切り返されて、マシューは口ごもった。ブラックは誰にも気づかれないほど小さく、クスリと笑った。

「リディア将軍」

呼ばれて、リディアはハッと我に帰った。

「な、なんでしょうか?」

「どうか、僕がこの第三軍に入ることを認めてください。必ず、あなたのお役にたちます」

まだ掴まれたままの自分の右手とブラックの顔を交互に見ながら、リディアは混乱した頭で一生懸命考えた。目の前の青年は、剣技は申し分ない。貴族らしさが抜けきらないし、セリフはビックリするくらい恥ずかしいけれど、悪い人ではなさそうだ。おそらく学科試験もパスしているだろう。おまけに、リディアに忠誠を誓ってくれてしまっている。一方的に、しかもいきなりではあるが。今ここで、拒否する理由も見当たらない。

「え、えっと・・・」

リディアは「まぁ、いっか」とつぶやくとブラックの目を見据えた。そしてほほ笑む。

「ようこそ第三軍へ。ブラック・ラジュカッシュ。あなたを歓迎します」





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