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□第11話


「危ないっ」

 ふわり、とリディアの傾いた体が支えられる。ブラックの右腕は彼女の体を抱えたまま元の態勢へ戻した。そして、彼女の崩れてしまった身なりを少し正す。

「ありがとうございます」

彼女は恥ずかしくて、ブラックの顔をまともに見れなかった。転びそうになるのは今日だけでも5回目である。その度にブラックが寸前のところで支えてくれた。

――絶対にドヂな将軍だと思われてる!!

 穴があったら入りたいとはこういう時に使う言葉だろう。ちらりとブラックの方を見ると、ニッコリと爽やかな笑顔を向けられてしまい、思わずまた目を反らしてしまった。ブラックに護衛をしてもらうようになってから1週間。先達ての暗殺者は未だ顔を見せない。ブラックは護衛としてリディアの傍にいるのだが、護衛というよりも、リディアの失敗をフォローする役割を買って出てくれている感じだ。ブラックはマシューよりも過保護だとリディアは思う。マシューだったら転んでから助けてくれる。ブラックは転ばせない。それに、マシューだと緊張しないのに、ブラックが相手だとどうしてか固まってしまう。

「なんでだろ…」

「どうしました?」

ブラックがリディアの顔を覗き込んだ。いきなりのブラックの顔のアップにリディアは驚いて飛び退いて、さらにまた顔を真っ赤にした。

「いえ、いえ!!なんでもありません!!時間ですし、急ぎましょう!!」

一生懸命首を横に振って、リディアは歩き始めた。どうしてだろう、ブラックが相手だとどうしても動揺してしまう。リディアは大きな扉の前まで来ると足を止めた。

「中に入ったら、私や幹部たち以外は何も話せない規定ですので、静かにしていてくださいね」

そして、ゆっくり扉を開けると広い部屋の中心にテーブルが用意されていた。すでに楕円の大きなテーブルに7人の男たちが座っていた。その後ろと扉の両端にそれぞれ護衛や警備の兵が控えている。リディアは空いている2つの席のうちの一つに腰かけた。ブラックはその背後に控えた。一番奥の席のみが空席となっている。見渡せば、リディアを含む4人が各軍の将軍である。そして他の4人が宰相とその他の幹部たちである。リディアが入ってきた扉とは違う、少し小さめの扉から一人の50代くらいの男が入ってきた。そして無言のまま唯一の空席に座る。この男がバジールの国王である。これから行われるのは、軍事に関する定例会議である。

 このきな臭い空気を感じ、ブラックは顔を顰めた。リディアの肩がやや上がっており、彼女が緊張しているのが分かる。

「さぁ、始めましょうか」

宰相がそういうと、国王以外の全員が軽く礼をする。

「では、まずここしばらくの戦の成果について報告を――」

戦を実際にしたのはリディアの率いる第三軍であるが、その後については別の幹部が担当しているらしかった。否、その後についてはおそらく、手を出させてはくれないのだろう。会議は順調に進む。今までに落とした国がどうなったか、どれほどの利益を得たか、次はどの国を攻めるべきか、ロードスやタタヤンといった大国にはいつ攻めるかなど、その時戦うのは第三軍のはずなのに、リディアの意見などまるで聞こうとはしない。この冷え切った不条理な会議にブラックは憤りを感じた。

――彼女はいつもこの中で一人戦っていたのか。

「そういえば、リディア将軍は最近暗殺者に狙われたそうですね」

思い出したように別の軍の将軍がリディアの顔を見た。「はい」とリディアが力なく言う。

「大丈夫なんですか。次の戦に影響が出ては困りますからね」

ブラックは今すぐその言葉の主を斬り殺したい衝動に駆られた。なんだというのだ。この国がこれほど戦に勝ち、国力を高められたのはすべてリディア将軍が居たからこそ。この国の民が国を完全に嫌わないのも彼女がこの国を必死に守ろうとしていることを彼らが強く感じているからに他ならない。それなのに…!ブラックは自らの右手を左手で抑えた。

「はい、大丈夫です。後ろに控えているブラック・ラジュカッシュが護衛をしてくれてますから。彼の腕は確かです」

ブラックの予想に反し、リディアは堂々と、嬉しそうにブラックのことを紹介した。あんな言われ方をしても、彼女はそれに悲しんだり悔しく思うよりも、ブラックを誇りに思う気持ちの方が大きいのだ。

「ほう。確か、研修の段階でロードスを追い返したという…」

全員の視線がブラックに集まり、ブラックは丁寧に一礼して見せた。彼の育ちの良さを示すように。彼らは、ブラックのその手本に沿った行動に満足そうにほほ笑む。ブラックは内心ではこんな男たちに頭など下げたくないと思っていたが、リディアの立場を悪くしたくはなかった。

「ちなみに、私の魔力はまだ回復していません。この状況で戦をすれば、勝ちはしますが被害は大きくなります。ロードスやタタヤンと戦う機会も遅くなります。私としてはしばらく猶予をいただきたいのです。第三軍の兵士たちも連戦で疲れて士気も落ちています。それらが回復した後は、また勝利を収めることを約束いたします」

リディアがこう言うと、幹部たちは渋い顔を見せた。彼らの希望はこのまま一気に他国に攻め入ることだろう。しかし、それで第三軍の戦力を失っては元も子もないのだ。

「仕方あるまい」

国王がため息交じりにそういうと、他の幹部たちも黙った。

「ありがとうございます」

リディアは深く頭を下げた。彼女は一瞬表情を緩めたが、すぐにそれを引き締めた。

「次の話題に移ろう。最近遠方で多発している反乱についてだが――」

宰相は、多発する反乱の詳細についてつらつらと口にした。報告されたその反乱の数は尋常ではない。それほど反発を買う国がどうしてこう平然と続いているのか。幹部たちもその報告を聞いたところで眉ひとつ動かさない。リディアだけは唇を噛みしめていた。

「まったく。誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ愚民共め」

「本当に。反乱については第二軍が抑えましょう」

嫌な笑い声が部屋に響く。会議は、その後も有無を言わさぬ空気で進み、終わった。





「リディア将軍。大丈夫ですか」

よろめいたリディアをブラックが支える。

「すみません、今日6度目ですね…」

リディアには恥ずかしい、と思う余裕ももうなくなっていた。先ほどの会議では、なんとか毅然とした態度をとろうと必死だった。実際には、思っていた半分も実行できなかったが。ブラックの話題になったときは、彼女もなんとか頑張れる気がしたのだが、その後はほとんどまともに主張できなかった。定例会議はついこの間までは副将軍も参加できたのだが、今は将軍と幹部のみの参加となった。マシューがいるときはもっと主張できたのに、一人になったとたんにこれだ。情けないですね、と呟いたリディアをブラックは引き寄せてきちんと立たせ、腰に腕を回した。よほど、会議で気を張っていたのだろう。

「今日はもう休んでください。顔色が悪いですよ」

「書類がまだ溜まってますから」

 一生懸命笑顔を作るリディアを見て、ブラックは悔しさを感じた。今はまだ、彼女にしてあげられることは少ない。ブラックはふらついている彼女を半ば強制的に彼女の部屋に連れて行った。リディアも最初は抵抗して執務室に向かおうとしていたが、やはり調子が戻らず、途中からは大人しくブラックに従った。
 部屋に戻ると、ブラックはリディアを寝室のベッドに座らせた。そして彼女のために紅茶を入れて渡し、ブラック自身も彼女の隣に腰かけた。リディアは紅茶の入ったカップを両手で包んで顔の前まで持ち上げた。甘く、ほのかに香る。

「いい香りがしますね」

一口飲むと、なんだかふんわりした気持ちになって、落ち着いた。ついでに睡魔まで襲ってきたので、リディアは目を擦った。

「少し眠りましょう」

ブラックはリディアからティーカップを受取り、そっと彼女の髪を撫でた。異様な眠さに襲われた彼女は、そのままコテン、と後ろに倒れた。そしてスー、スー、と規則正しく穏やかな寝息を立てる。リディアが完全に眠ったことを確認すると、ブラックはまず、ティーカップをテーブルに置きに行き、またリディアの眠るベッドに戻る。そして、不自然な態勢で眠ることになってしまった彼女の体をそっと両腕で持ち上げ、きちんと真っ直ぐに寝かした。

「もう少し、待っていてください」

ブラックは再び彼女の髪を撫でた。優しく、まるであやすように何度も何度も。愛おしさが込み上げる。

「リディア」

そう呟いて、彼はリディアの唇に自らの唇を落とした。





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