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□第13話




 さらに3か月が過ぎた。
 リディアは、ブラックを意識しすぎてしまい、この3か月はいつもの倍の数だけ転び、ブラックの一挙一動に過敏に反応した。花瓶もたくさん倒して割ったし、ティーカップも何度も買い替えた。仕事に関してはミスはしなかったが、その他の部分では自分でも嫌になるくらいドジばかりしていた。つまり心臓がいくつあっても足りないほど、リディアは常にドキドキしていた。本来鈍感な人間は、一度事実に気づくとそれはそれは過敏になるものだ。
 
ブラックは今でも護衛として四六時中リディアの傍にいる。暗殺者はあれから現れない。けれど、また同じことが起こる可能性は大いにあり得るので、ブラックの護衛はしばらく継続されることになった。リディアの魔力は徐々に回復していった。腕も、もう完治している。暗殺者に対しての不安はほとんどない。が、自分の気持ちに対する不安は大きかった。リディアは自分の気持ちと、動揺を彼に知られてしまうのではないかといつもビクビクしていた。誰よりも彼はリディアの傍にいる。これだけ挙動不審であれば、気づいてもおかしくない。だがブラックは、以前とちっとも変らないし、リディアの態度に対しても何も言ってこなかった。それはそれで、リディアは少し寂しさを感じていた。

 小さくため息をついて窓の外を見る。今日は日差しが暖かい。中庭の草木が輝いて見えた。考えなければいけないことはたくさんあるのに、それらが全て後回しになって、自分のことばかり考えてしまう。

「中庭に出たいんですけど、いいですか?」

リディアが椅子から立ち上がってそう言うと、ブラックは二つ返事でリディアに続いて立ち上がった。





 中庭にある木の中で、一番大きな木の木陰でリディアは背を木に預けてまどろんでいた。腕には書類をいくつか抱えたままだ。本来ならばあまり休んでいる暇はなく、手に持つ書類もできるかぎり早く処理しなければならないものばかりだった。けれど、そんな気になれない。ブラックは相変わらずリディアの傍を離れない。今も彼女の横で立っていた。なにもせずに空を眺めていると、なんだか心休まる気がする。

「最近、何かお悩みですか?」

突然降ってきた言葉にリディアはだらけていたその体をガバッと起こした。ブラックはリディアを見下ろしている。その表情は、心配しているようでもあるし、何か、他のことを考えている風でもあった。

「どうしてですか?」

質問に、質問を返すのはマナー違反だと思ったが、リディアにとっては聞いておきたいことだった。この3か月、リディアは自分でも分かるほど挙動不審だったし、こうして息抜きすることも多くなった。もしブラックがリディアの異変に気づいて声をかけてくれたとしても、今更どうしてだろうかと思う。

「ここしばらく、どこか様子がおかしいように感じたので」

ドキン、と跳ね上がる心臓を無意識に手で押さえていた。違う、と確信する。ブラックは以前から気づいていたのだ。

「いつから、そう思いました?」

「三か月ほど前でしょうか。丁度、一緒に街に出たあたりからです」

一番最初からじゃないですか、と心の中でリディアは叫んだ。全部見透かされている気がする。どうしよう、とリディアは思った。ここで、今までのドジっぷりはあなたのことを意識すぎてそうなったのです、などとは言えない。

――どうしよう、どうしよう、どうしよう?!

頭がグルグル混乱している時に、ブラックがリディアの隣に腰を下ろし、顔を近づけてきた。リディアは自分の顔が赤くなっているであろうと思い、やや俯いて、いつもより数段早い自分の心拍数が少しでも落ち着くようにと祈った。

「僕には、話せないことですか?」

やや悲しそうな表情でブラックが訪ねた。リディアの心の中に罪悪感に似たものが生まれた。

「えと、えっと…」

「僕は、あなたに信頼されていませんか?」

「ち、違います!!」

本人を目の前に、私はあなたが好きなんです、と言えるはずがない。リディアにとっては初恋であるし、仕事に支障の出る感情を、リディアは悪いことのように感じていた。

「では、話してください」

ブラックはいつしかリディアの手を取り、彼女の耳元で囁いた。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、ああの!」

獲物に狙われた子ウサギのように、リディアは縮こまっていた。何も話さないという選択肢は存在しないようだ。

「好きな人ができたんです!!」

自棄になってリディアは言い切った。そうっと目を開けて見上げると、目の前で、ブラックが口を半開きにしたまま固まっていた。

「ど、どうしましたか?」

慌ててリディアがブラックの目の前で手をヒラヒラさせると、ブラックがハッとしてリディアを見つめた。いや、睨んだという方が正しいだろう。リディアは座った体勢のまま両手を使って後ずさった。後ろには先ほどまでもたれていた木があるため、実際にはほとんど位置は変わっていない。

「好きな、方ですか?」

ゆっくりと、ブラックが確認する。彼の周辺から負のオーラが立ち込めているように見える。普段、あれだけ温厚なブラックがこれほど怒りを露わにするのは初めてだ。大人しい人間の方が一度怒らすと怖いというのは本当のようだ。リディアは恐る恐る頷いた。目の前のブラックは自分の知っているブラックではなかった。さっきまでのリディアを気遣う優しいブラックはどこへ行ったのか。怖すぎる。

「誰ですか?」

「へ?」

ついつい間抜けな声が出てしまった。

「あなたの好きな方です。もしかして、一緒に街に行った時に声をかけてきた男性の誰かですか?」

リディアはブンブンと首を横に振った。あのときに声をかけてきた人の顔なんて正直もう覚えていない。リディアの否定のしぐさを見て、ブラックは何か考え込んだ。その表情はやはり険しい。

「あの、やっぱり、軍をまとめる者が人を好きになるのは…だめなんでしょうか?」

そのことに、きっとブラックは怒っているのだとリディアは思った。実際に、ブラックを好きになったことでリディアは冷静さを失ってしまったし、そのせいで色々な人に迷惑をかけていた。申し訳ないと思っているし、どうにかしたいと思っている。けど、どうにかなっていないのが残念だ。

「ダメではないです。人を好きになるのは自由ですよ」

リディアは少しほっとした。けれど、ならばなぜブラックは怒っているのだろうか。可愛らしく首を傾げると、そのリディアの目線とブラックの厳しい視線とが交わった。

「相手の方は軍人ですか?」

リディアの心臓がドキンと跳ねた。冷汗まで出てきた。

「えっと、えっと…」

「軍人なんですね」

うっ、とリディアは言葉に詰まった。

「マシュー隊長ですか」

「ち、違います。なんでここでマシューが出てくるんですか」

「では、誰ですか?」

――バレる。このままだと本人にバレてしまう!!

「あ、あ、あなたには関係ないでしょう?!!!」

立ち上がって、思いっきり叫んでしまった。そうしてから、恐る恐るブラックの方を見る。ブラックはゆっくりと立ち上がり、リディアの正面に立ち、ジッとリディアを見据えた。

「関係ない…ですか」

「そ、そうです。私が誰を好きになってもあなたには関係ないでしょう?」

一瞬、周囲の温度が急激に下がったような感覚に襲われた。リディアは気づかぬ間に両手をブラックに掴まれていた。見上げると、ブラックが自分を見つめていた。先ほどまでの怒りの表情とはまた違う、どこか悲しそうな顔だ。頭の中で警鐘が鳴っている。後ろへ下がろうとしたが、木が邪魔でそこを背中に預けるだけになった。ブラックとの距離がゼロに近い。本当に目の前、息がかかる距離まで近づき、あっと思ったその瞬間には互いの唇が触れていた。一瞬、何をされたのか分からなかった。 触れたその場所が、熱を持っている。

「関係ないなどと、言わないでください」

離れたブラックの唇がそう呟くと、リディアは全身の力が抜けてその場にヘナヘナとへたり込んだ。

「リディア!ブラック!」

声の方を振り向くと、マシューが険しい顔をして大股でこちらに歩いてきていた。

「どうしました?マシュー隊長」

ブラックの雰囲気はいつもの彼のものに戻っていた。先ほどまでのピリピリした空気はもう無い。リディアは力の抜け切った体に鞭を打ち、立ち上がった。頭はまだ混乱しているし、自分の唇が自分のものでないような感覚に襲われている。リディアはここまで動揺しているのに対し、ブラックが平然としているのが信じられなかった。もちろん、マシューの目があるから多少は仕方ないが、それでも少しくらいいつもと違う変化があっても罰は当たらないだろう。

「先ほど、国王を始めとする上層部に直々に呼ばれた。タタヤンの軍の一部が、西方地方に進軍しているらしい」

「なんですって?」

「その軍を迎え撃つことになった」

「なぜ、将軍の私でなく、マシューに連絡が?」

マシューは苦々しい表情で吐き捨てるように言い放った。

「迎え撃つのは、俺の隊だけだ。第3軍としてでなく、俺とその隊員のみに対しての命令だそうだ」

信じられない、そう思ってリディアは目を見開いた。

「そんな、相手の軍の規模は?」

「詳細は不明だそうだ」

「そんな!!」

自殺行為だ。相手の軍が本当に偵察のみの小規模であればまだ良し。しかし、本格的にバジールを侵略するための軍であれば、一つの隊などすぐに潰されてしまう。

「抗議します!行くならば第三軍全てを出陣させます!」

リディアは踵を返し、すぐに国王、ならびに上層部の元へ行こうとした。それを、ブラックが彼女の腕を掴んで止めた。

「無駄です」

掴まれた腕を、リディアは必死に逃れようとして振った。けれど、ブラックの力には敵わない。まったくピクリともしなかった。

「どうしてですか!!こんな無謀な!誰が聞いても、マシューの隊を殺すために言っているとしか思えない!」

そう言ってすぐ、リディアはマシューとブラックの表情が妙に落ち着いていることに気づいた。二人とも、静かに自分を見つめている。

「ブラック。お前は気づいたか」

「ええ」

――何に?何に?

二人が何を言っているのかわからない。こんな命令はすぐに撤回してもらうべきだ。そう思っているのに、そう思っているのリディアだけ。なぜ、二人ともこんなにも落ち着いているのかリディアには分からなかった。

「リディア将軍。大丈夫ですよ。帰ってきた時は僕らの勝利を祝ってくださいね」

ブラックが優しくほほ笑んだ。先ほどまでも怖いブラックはどこかに行ってしまった。すごく、泣きたくなるほどやさしい笑顔だ。リディアは、国王たちの真意も、マシューの言葉の意味も、ブラックの態度も、全てが理解できなかった。いつの間に、自分はこんなに馬鹿になってしまったんだろう。何も分からず、動けなかった。





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