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□第14話




 彼は、傍目にも分かるほどに不機嫌だった。元来はとても温和な性格をしてる。長い付き合いではないものの、同僚たちはそう認識していたし、実際に普段の彼ならばこれほどまでに寡黙になり、人を寄せ付けぬオーラを放ちながらジッとしていることなどありえなかっただろう。彼の不機嫌の理由を予想できる者はいなかった。
 彼が崇拝するリディア将軍の護衛には、魔術師であるカタカと、この隊のファシオがつくことになった。彼らの腕は確かだし、将軍の怪我も治り魔力もほぼ戻っていることからそう心配はない。彼女と離れていることが不満なのかと考えれば、以前の研修の際、三月近く離れていてもケロリとしていたこともあり、それは否定された。ちなみに、マシューの隊に所属するファシオが本部に残れたのは、夜遊びの罰として謹慎処分を受けていたからである。正確には、リディアの元に、信頼できて尚且つ腕の立つ人物を置いておくために普段は見過ごされるファシオの夜遊びを、わざわざマシューが厳しく取り締まったのであった。

「そろそろ行くぞ。…ブラック、ちょっと来い」

休憩はその声で終了した。マシューの命令に全員が立ち上がり、再び各々の馬に跨った。ブラックは、自分の馬に乗ると、マシューの跨る馬の隣へ進んだ。軽く手綱を引いてそこで止まる。

「なんですか、マシュー隊長」

マシューはブラックを一瞥すると視線を正面に戻し、軽くため息をついた。そして、手綱を軽くパシッと弾ませ、馬を進めた。ブラックも他の兵士たちもそれに続いた。

「お前、何かあったのか」

「さぁ、どうでしょうね」

ブラックは、マシューに対してはいつも敵意を見せていたが、それでもある程度の礼儀は守っていたし、仕事上の立場もわきまえていた。今のブラックの態度は明らかに異常だった。

「分かっているのか?お前は曲がりなりにもこの隊の副隊長だ。他の兵士の士気を乱すな」

「…すみません。そうですね。あなたに説教されるのは嫌ですし、改めます。考えても仕方のないことですし」

「今回の命令のことを言ってるのか?お前は上層部の意図に気づいたんだったな」

「いえ、それについては正直どうでもいいです」

マシューが目を見開いてブラックを凝視した。ブラックの方はというと、深々とため息をついている。

「どうでも…って、本当にちゃんと分かってるのか!?」

「ええ。リディア将軍の右腕のマシュー殿とリディア将軍を崇拝しているという噂の僕をリディア将軍から引き離し、あわよくば戦死してくれれば好都合…というやつでしょう?分かりやすいものです。少し前に、定例会議で副将軍の参加が禁止されたのも、リディア将軍を一人にさせて判断力を鈍らせようとしたものですよね。そんなことをしても無駄だとは思いましたが。彼女はああ見えてしっかりした人です。多少、押しの弱いところはありますが」

なんだ、ちゃんと分かってるんじゃないか、とマシューは少し安心する。しかしブラックがそれを知っていたところで事態が好転する訳でもないとマシューは思っていた。

「思ってもいない事態だったんです。リディア将軍に想い人ができてしまった。ですから、正直これ以上待つことができません。あなたを攻略すれば僕の計画は9割は完成するので、この際さっさと攻略したいと思っています」

突然、妙なことを言い出したブラックにマシューは怪訝な表情をした。当のブラックは平然としている。どこか無気力にも見えた。

「お前、何を言ってるんだ?」

「知っていましたか?数日後、リディア将軍はお見合いさせられるんです。まだ本人にも知らされていないでしょう。僕らが彼女から離されたのはそのためです。あなたは、この状況がただ将軍が次の戦いを承諾しやすいように我々を引き離すために画策されたものだと思っているようですが、そんな甘いものではありません。見合い相手はタタヤンの王子殿下です。すでに数人の奥方をお持ちのようで、リディア将軍はその末端の側室として迎え入れられる予定だそうです。リディア将軍の美しさに惚れ込んだらしいですよ。まったく迷惑極まりないですがね」

彼女が美しいのは事実ですが、とブラックは付け足し、話を続けた。

「そこでバジールは彼女を差し出してタタヤンと同盟を組もうとしているのですよ。普通に戦ってもそう簡単に勝てる相手ではないですし、タタヤンと手を組めばロードスを落とせると思い込んでいるようです。ちなみに、今回バジールに進行したタタヤンの軍は我が第三軍とほぼ同じ規模と実力のものです。まぁ、この隊ひとつで対抗しても99%の確率で死にますね。ですが、案じることはありませんよ。彼らはバジールの中心部までは侵攻してきません。そもそもこの侵攻は嘘ですから。バジールの上層部とタタヤンが組んで茶番劇を行っているんです。タタヤンの軍の本当の目的は、僕らを殺すこと。あわよくば、などと生ぬるい考えは持ち合わせていない。本気で殺す気なんですよ。でなければ、たったひとつの隊を潰すために軍を丸々一つ動かしませしね。だからと言って、気合いを入れすぎだとは思いますが。」

さらさらとそう言ってのけるブラックを、マシューは驚愕の眼差しで見ていた。そして震え、掠れる自分の声を絞り出した。

「お前、どうして…」

――なぜそんなことを知っている?

マシューの疑問は声にならなかった。あまりにも急に、自らを取り巻く現実を突き付けられ、全てを呑み込みきれないでいた。ブラックはマシューの様子に構わず続けた。

「何度も言うようですが、僕はあなたという壁を攻略したい。あなたはリディア将軍に一番近い人間だし、あなたが邪魔をしなければ、あるいは協力してくれるのならば望みまであと一歩。タタヤンのことなど僕にとってはどうでもいいことです。ですが、この状況があなたに僕の協力をさせるために活かせるのならばそうしましょう」

「何を言ってるんだ…」

「僕は、これに協力してもらうときは必ずこの質問をしているんですが…マシュー隊長。あなたはリディア将軍をどう思いますか?」

マシューは答えなかった。淡々とそして次々に語られたそれらの内容は、驚くべきものであると同時に、どうやってブラックがそれを知り得たのか検討もつかないものばかりだ。彼は何者なのか。そして何を言っているのか。何がしたいのか。質問の意図は何か。頭の中が渦を巻いているようだ。

「…ああ、失礼。あなたには聞く必要もありませんでしたね。バジールの者の中でリディア将軍を誰よりも大切に思っているのは間違いなくあなたですよね。幼少の頃からの付き合いで、兄弟のように育ち、リディア将軍が軍人として生きると決めたとき、あなたは彼女を生涯支え抜くと誓った。彼女に向けるあなたの愛情が、異性としてか、家族としてのものなのかは知りませんが、まぁ、十分です」

ブラックは心なしか楽しんでいるようだった。

「さあて、もうしばらく進めばタタヤンの軍に遭遇しますよ。戦えば死ぬでしょうね。運良く、生き延びることができたとしても傷を負いながら本部に戻ったところで、その間にリディア将軍はタタヤンへ連れられているでしょうね。さらに運良く、それが阻止できたとしても彼女はこれからも戦いの中で生きていかなければならないでしょう。バジールは戦っていなければ息のできない国のようですから」

「何が言いたい?」

「マシュー隊長。僕はリディア将軍に無事に帰るから勝利を一緒に祝ってくれと約束してもらったので、死ぬ気はありません。勝つ気はありますが。」

ニヤッ、と艶やかな微笑みがブラックの顔に浮かんだ。ゾクリとマシューは全身に寒気を感じた。

「タタヤンの軍に勝つ、だと?」

「ええ。僕なら勝てます」

「何を言っているんだ!タタヤンの精鋭軍相手にこの人数で勝てると思うのか!?せいぜい、足止めをするために罠を張るくらいだ。このまま行くとすぐに接触するというのなら進路を変えてその準備に取り掛かる!勝つことはできないが、上手くいけば追い返すか、士気を削ぐくらいのことはできるかもしれない!」

「無理でしょう。まぁ、敵前逃亡を考えないところは素晴らしいですが。先ほど言ったように、彼らの目的は僕らを殺すことで、バジールに侵攻することではありません。僕らの位置も筒抜けです。よって、罠を張ってもあまり意味はない。あ、ちょっと待ってくださいね」

ブラックは、一人馬の歩調を緩めさせ、三頭分後ろにいた兵士の隣に並んだ。いきなりブラックが来たことに相手は驚いていた。ブラックはその兵士にほほ笑みかけた。

「あなた、スパイですよね」

声をかけられた兵士は、すぐに顔色が変わった。そして、青い表情のまま剣を抜き、奇声を発してそれをブラックに向けた。ブラックは微動だにしなかった。自らの剣を抜いて相手をすることもしなかった。その兵士の前後の兵士が、それぞれ剣を抜き、裏切り者の兵士の腹と胸を突き刺していた。

「ありがとう」

ブラックが礼を言うと、その二人は軽く一礼した。二本の剣が勢いよく抜かれ、死体は馬の背から落ちて、地面を転がっていった。ブラックはそれを確認もせずに、少しスピードをあげて再びマシューの横についた。

「すみません、お待たせしました」

「今のは、スパイか」

「そうですね。タタヤンも、削げる戦力は今のうちに剃っておきたいんですよ。とりあえず、僕らを殺す気はたっぷりあるようですし、軍には魔術師もいるでしょうから、今のスパイを始末したところで場所はバレます」

――いったい、なんなんだお前は。

マシューの考えを読んだかのように、ブラックはその答えをすぐさま用意した。身も凍る艶やかな微笑みとともに。

「ああ、そういえば。あなたにきちんと名乗るのを忘れていましたね」






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