□第19話 「あの時、あなたに助けられ、この黒曜石を渡されたのが僕です。あの石は少し欠けてしまっていたので、ピアスに加工させてもらいました」 ブラックは、満面の笑みでそう言い放った。ブラックの長い指が片方だけ残るピアスを弾いた。リディアは、胸に重いものがズンッと乗るような感覚になり、小さく身震いした。 「願いを叶える石…でしたよね。僕の願いはもうすぐ成就しますよ」 だから、今日は機嫌がいいんです、とブラックはほほ笑んだ。 「以前にも言いましたが、僕は一応、貴族出身なんです。ただ、僕の幼い頃に家は取りつぶしになりました。ですから両親が死んでからはずっと国内外をフラフラ旅して過ごしていました。その頃は、とくにしたいことがあるわけでもなく、行きたい場所があるわけでも、会いたい人がいるわけでもありませんでした。何に対しても興味が持てずただ生きているだけで…時折生きていることも面倒に感じるくらいでした。そんな時、たまたまロードスに戻っていたことで、あの戦争に強制参加させられたんです。正直、面倒だったので参加命令を無視しようかとも思ったのですが、それすら面倒だったのでそのまま参加しました。」 一瞬、ブラックが両親を亡くし一人で生きてきたのだと思うとなんだか切なくなって同情してしまいそうになった。けれどすぐにその考えを打ち消した。こんなことを仕出かしたブラックに、そんなもの必要ない。それに、昔話をするブラックは、嬉々としていてどこにも悲壮感はみられなかった。まるで、感情の一部が欠落しているようだ。 「戦争に参加したといっても、正直戦う気はありませんでした。だから隊から離れ、あの川辺でずっと過ごしていました。物心ついた頃には、僕は自分の強さを知っていましたが、あの時は活躍すると後が面倒だったので。あなたの師匠があの魔術を発動させた時、すぐに分かりました。僕もあなたやあなたの師匠と同じく、魔力を操る者ですからね。あの魔術がどれだけ絶大なるものかどれだけの命を奪うことになるか、頭に過りました。だから、そのまま身を任せることにしたんです。僕も死にゆく者の一人になろうかと思いまして。そのまま死ねたら、あとは楽になれると思って。だから、あの日僕はあの場所で倒れていた。そのままでいれば、確実に死ねたでしょう。けれど、僕の意思とは裏腹に、あなたがやってきて、敵である僕を命がけで救った。目を覚まし、横たわるあなたを認識したとき。僕は驚きと喜びに満たされた。生まれて初めて、何かを『欲しい』と思えた。」 ブラックの眼が、真っ直ぐにリディアをとらえている。 「そして、僕はロードスに戻り、自分の力を使って軍に入り、功績を上げた。それまで自分の家すら持たない無名の兵士はあっという間にロードスだけでなく、他国にも名を刻んだ。貴族としての正式な身分と、多くの財産を与えられ、国王に頼られるまでになった。そうすれば、あなたを手に入れやすくなると思ったから」 そう話しながらブラックは、小さくククッと笑っていた。そして、リディアを見つめる瞳は、少しもそらされることはなかった。お互いの間にテーブルを挟んでいるはずなのに、その距離が無いような感覚に襲われた。 「リディア将軍。僕はあなたが欲しい――」 リディアはカァッと全身が火照るのを感じた。そして、同時に憎悪も膨らむ。自分一人手に入れるために、バジールは消されたのだ。 「…わかりますか?僕のものになって欲しい、という意味です」 「嫌です!!」 バジールを奪った男のものになど、なれるわけがない。リディアは慌てて首を振った。そして、自分に言い聞かせた。バジールにいた頃のブラックは偽物だ、と。柔らかな物腰とその口調は以前のままだ。けれど、彼の全身を纏う雰囲気と威圧感、そして、瞳はリディアの知らないブラックだった。正直怖かった。今のブラックを、以前のように好きかと問われたら答えられない。 「私は…あなたのこと、許せません。確かに、国王陛下たちは、国民に嫌われてしまうようなことをしたかもしれません。けれど――それでも、大切な…。だから、あなたなんかのものにはなりません!!」 リディアはそのまま黙り込んで俯いてしまった。カチャ、と食器が鳴る音がして、さらにその上から驚くほど冷たい声が聞こえた。 「…そうですか。では、これを聞いたらどうします?今、一部の旧バジールの国民はバジールでの行いについて審議されています。まぁ、だいたい1000人に満たないくらいですね。多くが行政関係者か第三軍以外の軍人です。まだ10歳にも満たないバジール国王の娘もいます。かれらはバジールで国民を苦しめた罪に問われています。何らかの形で罪を償わせる予定ですが…どうやら死刑になりそうです」 ガバッとリディアが顔を上げた。先ほどと打って変わって、今度はその顔は薄ら青白くなっている。 「かわいそうに、ねぇ。国民の殆どが死刑を望んでいますが、残された家族や友人は、そうではないでしょうね。まだ、何も知らない子供すら殺されることになるやもしれません」 「何が、言いたいんですか?」 「例えば、敵国の兵すら救ってしまう慈悲深い女性が居たとしましょう。彼女が、お得意の慈悲を見せ、また彼らも救ってあげればいいんですよ。まぁ、死んで当然だと思っているなら別ですけど」 ブラックの屈託のない笑顔が、憎かった。リディアは唇を噛み、彼を睨んだ。 「あなたの者になれば彼らを救うと?」 「まぁ、そんなところです」 「酷い」 ブラックの表情が一瞬険しくなった。 「酷い…ですか。けれど仕方ありませんよ。あなたが誰かに心奪われるからいけないんです。でも、考えてみればそんなこと関係ありません。今、あなたは僕に逆らえない。僕はロードスとバジールの全てを握っている」 テーブルの下で、リディアはその両手をギュっと握りしめた。 「言ったでしょう?あなたは僕のものです」 嬉しそうにそういうブラックは、食事をわきにずらし、リディアの進まぬ食卓を一瞥すると、侍女を呼んだ。その侍女と二、三言話をすると、侍女たちはブラックの空の食器と、リディアの手をつけていない食事を下げた。 「食事が進まないようなので、戻りましょう。もし、食べれるようになったら言って下さい。消化の良いものを用意させます」 ブラックは立ち上がり、リディアの隣に立った。リディアが不安そうに見上げると、彼は彼女の椅子をゆっくり引いて手を貸し、彼女を立ち上がらせた。 「部屋へ戻りましょうか」 ブラックの言葉に、その意味を考えてリディアの肩がビクリと跳ねた。怖くて仕方がなかった。ブラックがそんな震えるリディアの肩を抱いて、この部屋の外へと促した。 「怖がることはありませんよ」 怖がらせているのはあなただ、とリディアは叫びたくなった。けれどそんなことはできないし、今、ブラックに逆らうことも許されない。長い廊下が続いている。 「僕はあなたをただ愛しているんです」 ――聞きたくない! 「誰よりもあなたを大切にしたいと思っています」 ――やめて! リディアは首を横にプルプルと振った。違う。こんなのは大切にするとは言えない。リディアの気持ちなんて丸無視で、何一つ意見を聞こうとしないのに。 「さぁ、中へどうぞ」 気づくと、部屋の前に立っていた。初めて足を踏み入れる場所だった。リディアはこの屋敷に来てから、リディアに与えられた部屋と、食堂や必要最低限の場所にしか足を踏み入れなかった。特に規制されていたわけではないが、なんとなくこの屋敷内を不用意に歩き回るのは憚られたのだ。目の前の部屋は恐らくブラックの自室だ。中へ入ってしまえば、全て後戻りできなくなりそうでリディアの足は動かなくなった。 「中へ」 ブラックの催促する声に、やや苛立ちが交っていた。ここで逆らってはいけない、早く中へ入らなければと思うのに、体が言うことを聞いてくれない。 「チッ」 小さな舌打ちが聞こえ、急に腕を引っ張られ、リディアの身体が傾いた。そのまま部屋の中へ吸い込まれるように倒れ、それをブラックの胸が受け止めた。抱きとめられた形になり、リディアはブラックの胸に顔を埋めた状態で、身動きがとれなくなった。 「できる限り手荒なまねはしたくないんです」 リディアを抱く腕により力が加わった。 「あなたが愛しい」 降ってきた艶やかな声にハッとして、リディアは顔を上げてブラックを見上げた。するとさらに強い力で引き寄せられ、ブラックのひんやりとした唇がリディアの赤い唇に重ねられた。突然のことに目を見開き、リディアは抵抗しようとしたが、リディアを抱きしめるブラックの腕は少しも緩まない。ブラックがそのまま、片手でリディアを拘束し、余った方の手で後ろ手に部屋の扉を閉めた。 ――これでこの人からは逃げられない。 閉まる扉を横目で見て、リディアは静かに涙を流した。 |