□第18話 「マシューは、なんの条件もなしにあなたの協力をしたというのですか?あなたがロードスの将軍だと知っていて?」 信じられない思いだった。リディアは、マシューのことを子供のころから知っているし。ずっと傍にいた。頼りになる彼のことを、誰よりも理解しているはずだった。なのに、全て、すべて、リディアの知らないところで進んでいた。 「…ショックですか?」 次の料理が運ばれてきた。けれど、リディアはそれが何だか確認する余裕もなく、もちろん食欲もなくなっていた。ブラックの質問にも、答えなかった。 「なぜ?あなたはなんで…?どうして私は、ここに?他の将軍たちは首を刎ねられたのに」 「クックク、ハハハ。それはそうだろう。国王や将軍たちの処刑が決まった際、バジールの民は一番最初に何を考えたと思う?」 「何を?」 「あなたのことですよ。リディア。民も、元第三軍の兵士たちも、あなたまでも首を刎ねられるのではないかと、ロードスの軍に抗議をしてきた。国王たちは嫌いでも、あなたのことは皆大好きらしい。それに、元々あなたを殺す気などなかった。そんなことをしてしまっては全てが水の泡ですから」 ブラックが、熱を帯びた目でリディアを見つめた。 「あの時、言ったでしょう?全ては、あなたを手に入れるため。バジールを落としたのはその手段でしかない。このロードスの国王は、バジールの国王と違って聡明な方です。バジールはこのロードスに幾度も攻撃をしかけてきた。ロードス側もいい加減、どうにかしたいと思っていた。そこで王は僕に相談しました。僕は、民をくだらない戦争のために犠牲にすべきではない、バジールを無血で手に入れると言い、その褒美としてあなたが欲しいと言った」 ――信じられない。 リディアは、ブラックを見つめたまま、固まったしまった。まさか、そんなことのために、自分ひとりを手に入れるために国ひとつ奪ってしまうなど、誰が思いつくだろう。そして、本来ならばそんなことが成功するはずがない。それすら実現させてしまったのは、ブラックの驚異的な強さ故だろう。 「私なんかのせいで、バジールは滅びたの!?信じられない!そんなこと、そんなことしなくても、私は――!」 ――あなたに惹かれていたのに! あれほど、ブラックを意識していた自分が憎らしい。バジールを奪わずとも、リディアの気持ちはブラックのものだったのに。 「私なんか…というのは良くない。少なくとも、あなたはあの腐りきった国よりも遥かに必要だ。バジールの民もそれを感じていたからこそ、あなたの身を案じた。そして、私もあなただからこそ欲しいと思い、そのために生きてきた」 ブラックはまるでリディアに合図するように、自分の片耳のピアスを人差し指で揺らし、リディアを見据えた。 「この黒曜石…元はあなたが僕にくれたものですよ。覚えていませんか?」 言われたことに驚き、リディアは目を見開いた。そして恐る恐る自分の片耳についた黒曜石のピアスに触れた。そして、記憶を遡らせる。昔、両親にもらった黒曜石を人にあげた覚えはある。けれど、相手がどんな人物だったかまではどうしても思い出せない。それに、このピアスとは違う形をしていた。 あのとき、リディアは意識が朦朧としていた。全身傷だらけで、もしかしたら死ぬかもしれないな、と頭の片隅で考えていた。だからこそ、大切な宝物だったその黒曜石のペンダントを、見ず知らずの人間に差し出した。戦の最中だった。正確には決着はついた後だったが、誰もが生と死の狭間を彷徨っていて、誰も勝利を喜べる状態ではなかった。バジールとロードス、タタヤンの大戦争でのことだ。この戦いは、後にこう呼ばれる。 「悲劇の日…」 「そう。その通り。あの日、あなたと出会ったあの時から、僕はあなただけを求め、あなたを手に入れるためだけに生きてきた」 * 悲劇の日。それは歴史に残る大きな争いだった。5年前のことである。バジール、ロードス、タタヤン。この三国は、近隣諸国の中でも特に力を持つ国だった。当然ながら、争いも絶えなかった。彼らは互いの国を手に入れることで、自国をより大きなものにしたかった。ロードスは、その三国の中では比較的おとなしく、バジールやタタヤンの宣戦布告をロードスが受けたことでこの3つの国の戦いは始まった。 互いに、全ての軍を投入し、戦いの舞台は、この三つの国が隣接する森林地帯になった。視界も足場も悪く、戦い辛いその状況下で一番戦力を発揮できたのが魔術師たちである。そして、勝敗を決めたのもある魔術師の魔術だった。その魔術師こそはリディアの師匠であった。 彼は、戦争が続く間、ジッと隠れて己の魔力を十分に貯め込んだ。そして、時期を窺っていた。ひと月経っても勝敗が決まらなかったその時、彼は自分の魔術を発動させた。そのひと月の間に膨らませた魔術を。敵と味方の区別など、つくはずがなかった。暴走する魔術は、無差別に兵士たちを攻撃した。けれど、それが勝敗を決めるきっかけだった。 この戦に、リディアも参加していた。しかし、彼女は当時正式に軍には所属しておらず、救護員として半ば強制的に戦場へ連れてこられていた。リディアだけでなく、軍に関係なくとも何らかの力を持ったものは少しでも戦力の足しにするために、この地に連れてこられていた。父母がともに軍人だったこともあって、リディアは拒まなかったが、嫌々この戦地に赴いたものも多いだろう。 師匠の魔術が発動した時、その地が一瞬にして揺れた。まるで、師匠を中心に波紋が広がるように。彼女もその魔術で重傷を負った。そして意識を失った。 意識を取り戻した時には、周りにいた救護員の仲間たちはすでにこと切れており、辺りはシンと静まり返っていた。 「そんな!!目を、目を開けて!!」 ただ風が吹いて木々が揺れるだけ。鳥の鳴き声すらしない。救護員の仲間たちは、ほとんどがこの戦で知り合った者たちばかりだった。それでも、共に生き残り、多くのバジールの兵たちを救おうと誓った仲だった。リディアは次に傍のテントの中を覗いた。そこには負傷した兵士たちがいる。横たわる一人ひとりの顔を覗き込み、流れる涙を拭いながら彼らの脈を測った。誰も生きてはいなかった。 リディアはしばらく放心状態だった。けれどやがて痛む全身に鞭を打ち、なんとか立ち上がって歩き出した。生き残った誰かを探すために。枝をかき分けて一歩一歩進んだ。すでに方角など分からなかったが、とにかく誰か生きている人間に会いたかった。数時間、歩き続けて出会ったのは死体ばかりであった。それを見るたびに、涙と吐き気が押し寄せた。けれど、これ以上力を消耗する訳にはいかなかった。リディア自身、自分の身体が危険な状態だということを感じ取っていた。 そんな時だった。川の、水の流れる音が聞こえてきた。人の気配を感じたわけではないが、リディアは吸い込まれるようにそちらの方へ向かった。森の切れ目を抜けると、川岸に青年が横たわっていた。リディアは急いで駆け寄った。実際には、歩くことで精いっぱいのその体では、ほんの数メートル離れた場所に行くのにとても時間がかかった。青年には外傷はほとんど見られなかったが、それでも死んでいるのか生きているのかも分からないほどにひどく衰弱していた。 「う…」 小さなうめき声に、リディアは居てもたってもいられなかった。 「だめ!死んではだめです!待ってて、今助けます!」 リディアは残った魔力を両手に集中させた。そして青年の胸に手をかざした。魔力を発動させると、全身の傷がビリビリと痛んで意識が遠のきそうだった。けれど、今自分が助けなければ、目の前の青年は助からないと思った。 「くっ!!ぁ!…待ってて、助けるから!」 得意なはずの治癒魔法が上手く発動してくれない。それほどまでにリディアの身体も精神力も限界だった。 「お願い!」 手元が少しづつ光り出した。少しずつ、青年の頬に赤みが戻っていくのが分かった。 ――ああ、よかった。 そこで、リディアの記憶は途絶えた。 * 全身の気だるさが和らいでいることに気づき、ブラックは目を覚ました。体を起こそうと思ったが、自分の体の上に誰かが凭れかかっていることに気づき、少しずつその少女を横にずらして、体を起こしきった。少女を隣に横たわらせる。彼女は傷だらけだった。そして、魔力を発動させた気配があった。ブラックは目を細め、彼女の頬に触れた。異常なほどに冷たかった。 「まさか」 ――僕に治癒魔法を? 自分の身体を確認した。巨大な魔術の発動で、ブラックは指一本動かせなくなったはずだ。外傷こそはないものの、それでもブラックは自らの死を感じていた。そして、その死を受け入れようとしていた。目を閉じれば、もうすべてから解放されるはずだったのだ。 ――それなのに。 隣に横たわる傷だらけの少女。まだ、子供だ。彼女と、ブラック自身を纏う魔力の気配は、彼女がブラックに何らかの魔術を施したことを物語っている。そして、ブラックの身体の回復。 「ばかなことを」 少女の頬に、もう一度触れた。やはり、冷たかった。死にかかっているのだ。ブラックを助けたことで、体力と精神力を使い果たしたのだろう。彼女の身体の無数の傷は、この森を進む際に負ったものもあるだろうが、明らかに戦に巻き込まれて負ったものも多くある。自らの魔術で癒さなかったのは、残る魔力で多くの兵を救うためだろうか。そうまでして残した魔力。それで救ったのがブラックだ。 「なんて、愚かな」 少女の格好を見ると、赤い紋章の入った白い白衣を羽織っていた。バジールの国の紋章だ。ブラックも、ロードスの紋章入りの軍服を着ている。最も、軍に所属しているわけでなく、人数を増やすために強制的に参加させられただけである。明らかに、敵と分かるブラックを、目の前の少女は助けたのだ。自らの命が危険にさらされているその時に。 「ふ、はは…ははっははっはは!!」 笑いが止まらなくなっていた。どうしてか、笑わずにはいられなかった。けれど同時に、ブラックの頬には涙が一筋伝っていた。今までの人生で、笑ったことも、泣いたこともなかった。感情に揺さぶられることのなかったブラックは、生まれて初めて、歓喜に震えた。 もう一度、隣に横たわる少女を見つめた。整った顔にも、無数の傷が残っている。ブラックがそっとその頬に触れた。頬の傷が、消えた。ブラックは少し思案して手を止めたが、すぐに何かを思いついてリディアに顔を近づけた。そっと唇を重ねると、リディアの身体がほんのりと輝き出した。ブラックはすぐに顔を離した。 「う…ん…」 少女がゆっくりと目を開き、彼女を覗き込むブラックの姿を確認した。リディアは何度も何度も目を擦った。 「良く見えない…」 「一気に魔力を注いだので、少し体に無理がきてるんですよ。視力は直に戻ります」 「あなた…さっきの人?良かった、意識戻ったんですね」 リディアは身体を起こそうとした。けれど全身に痛みが走り、すぐにまた寝転がることになった。 「まだ、動かない方がいい」 ブラックはそう言って、リディアの髪を撫でた。 「あなたは?動けますか?」 「ええ」 「痛いところは?」 まるで小さな子どもに尋ねるような口調に、ブラックはやや面食らった。けれどすぐにほほ笑んで「ありません」と答えた。 「よかった」 リディアは呟くとそのまま目をつぶって何も言わなくなった。ブラックは一瞬焦ったが、リディアはちゃんと息をしていた。 「なんで、僕を助けたんですか」 「え?」 「僕が死にたがっていたとしたら?」 「え、えええええええええええ!?」 「家も、家族もいない、友人もいない。僕には何もありません」 わざとらしく、ブラックが不幸な青年を演じ、深いため息をついてみせた。きっと、彼女の気を引きたかったのかもしれない。するとリディアは慌てて無理に身体を持ち上げ、自分の胸元を探った。そして胸元のペンダントを握りしめ、首から外すと、軋む身体に逆らって、ブラックにそれを差し出した。 「母からもらったものです。この戦いで少し欠けてしまっていますが、それでもコレ、黒曜石なのでかなりの値段で売れるはずです!当面の家賃とか、生活費くらいにはなると思います!」 ペンダントの中心には大きな黒曜石がはめ込まれていた。 「生きていれば、友達も、家族だって作れます!その、もし、友人や家族を亡くしてしまったというならば、お悔やみ申し上げます。けれど、生きてさえいれば、出来ることは多くあります!得られるものは多いんです!あ!それに、これ、この黒曜石は特別なんですよ!!」 「特別?」 「はい。持っていると願いが叶うんです!!」 「願い…ですか?」 「そうです。叶うんです。あるでしょう?何か、叶えたいこと」 「…そうですね。ついさっき、浮かんだところです、願い」 ブラックはそのペンダントを受け取った。石は少し欠けていて、さらに台座から外れそうになっている。けれど、それでもとても美しく見えた。 「ありがとうございます」 ブラックはそういうと、リディアの顔の前に手をかざした。リディアは、フッと後ろに倒れた。ブラックがそれをサッと支え、ゆっくり横たえた。 「また、会いましょう」 * その後、リディアが目を覚ますと、そこはバジールの軍のテントの中だった。周りには傷だらけの兵士たちが次々と運ばれていて、リディアはすぐに治療に参加した。そして、その忙しさに、先ほどのことについての記憶などすっかり何処かへ行ってしまっていた。 |