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□第1話




「忘れないで。」

幼い記憶。恐怖と絶望によって隠された記憶。

償いの代償は

――運命を背負うこと。






『トオル・・・トオル―――。』

 透はゆっくりと目を覚ました。またいつもの夢だ。何も見えなくて、真っ暗で、ただ名前を呼ばれるだけの夢。知らない声が何度も何度も呼んでいる。深いところで響く声。幼い頃からずっと見てきたこの夢。ただ、昔よりもずっとはっきりとしている。自分を呼ぶ声が段々大きくなっている気がする。気にならない訳ではないが、いつものことだ。そう自分に言い聞かせて大きなあくびをしながら、155センチの小さな身体でめいっぱい伸びをする。鏡の前で本日の寝癖具合をチェックした。今日は一段とひどい。透のセミロングの髪は、毎朝いろんな方向に捻じ曲がっている。透はため息をつきながらそれを直し始めた。胸元には皮ひもに、シルバーのプレートの付いたものが掛かっていた。

「おはよう、とし兄ちゃん、お待たせ。」

 先に玄関に立っていた利明に透は挨拶した。利明は透の従兄妹で幼馴染だ。透よりも20センチほど背が高くて、透は利明を見上げるようにしなければ会話ができない。大学生だけあって、落ち着いていて、頼り甲斐がある。
 透の両親は仕事で海外にいるので、透はこの利明と、叔父夫婦の家でお世話になっている。透の通っている高等部と利明の大学部は同じ学園内にあるので、こうして毎朝一緒に登校している。

「今日はやけに遅かったな。」

利明がさわやかに笑った。

「寝癖がひどくて。」

透が深刻そうに自分の髪の毛を引っ張った。2人は学校へと歩き出した。

「いいなぁ。とし兄ちゃんは髪サラサラで。」

透は真剣に利明の髪を眺めた。

「髪伸ばしてみたら?長い方が寝癖付きにくいって言うし」

クスクスと笑いながら利明がそう言った。

「・・・私なんでか髪が伸びるのが異様に遅くて。なかなか伸びないんだよ」

毎朝他愛の無い会話を交わし、帰りも一緒に帰る。そしてその帰る家も一緒。そんな環境の中で、透は利明を兄の様な、またはそれ以上の存在だと感じていた。
ジリジリと太陽が照っている。

「暑いな。朝ぐらいもうちょっと涼しくなれば良いのにな」

「そうだね。私この時期嫌い」

今は7月の始め。透はあと2週間ほどで夏休みだ。この時期は本当に憂鬱だった。汗で身体に引っ付く制服がうっとおしい。

「透の場合はこの時期の体育が嫌なんだろ?」

「うん」

 夏の体育と言えば「プール」。透はカナヅチだった。だから夏の体育の授業は全部見学。練習すればいいといろんな人に言われるが、もう透のカナヅチはいくら練習したところでどうにかなるものではなかった。水に入れば必ず「沈む」のだ。昔はなんとかしようと利明の両親や泳ぎの上手い利明に教わって練習していたが、ちっとも上達しなかった。皆もそのうち私に泳ぎを教えるのをあきらめた。きっと根っからのカナヅチなんだろう。透はため息をつきながら、利明と分かれ、高等部の校舎へと向かった。





『トオル・・・トオル、あなたに―――。』

ハッと目を覚ます。しまった。今は授業中だった。数学の教科担任が黒板の前に立ちながらこっちをにらんでいた。

「すみません。」

気もなく謝ると、先生はブツブツ言いながら授業を再開した。時計を見る。透は次の授業が体育であることに気づいた。

―――どうしよう。保健室で寝てようかな。

そう思ったとき、ふと夢のことを考えた。今までは夜寝ている時くらいにしか見ることはなかったのに・・・。それにあの声の持ち主は何か言いかけていた。今まで見続けてきた夢は、最近になって変化してきている気がする。

「あの夢の声の人は何が言いたかったんだろ。」

ポツリとつぶやいた。何故だろう。考えるとボーっとする。熱でもあるのだろうか。透は自分の額に手を当てた。別に異常も無い。「起立、礼」という声が聞こえた。続けてガタガタと椅子を引く音が聞こえ、透は慌てて立ちあがった。ふらりと体が揺れた。視界が一瞬にして暗くなった。

バタンッ。

透はその場で倒れた。





真っ暗な闇。深くて底が無い闇。

『トオル・・・トオル・・・。約束を―――』

―――約束?あなたは誰?

『トオル、思い出して・・・』

―――なに?何を?

『ここに―――』

闇が少し薄らいでいく。何か見える。・・・青い。

―――誰?あなたは誰?

『あなたは覚えているはず。思い出して』

目の前の青が一瞬にして広がって、透の全身にまとわり付いた。

―――なに!?

『ここに―――』

段々と、その声は小さくなっていく。

『あなたはそこで―――そしてここに―――』

声がそう言うと目の前の青は弾け飛び、再び目の前は真っ暗になった。

―――待って、教えて、あなたは誰?何が言いたいの!?



「待って!!!!」

手を前に突き出したまま、透は白い天井を見つけた。ぱちぱちと瞬きをしてゆっくりと手を下ろした。どうやら、また夢を見ていたらしい。

「今度は声だけじゃなかった・・・」

透は自分が汗をかいていることに気付き、まず額の汗を拭った。

「大丈夫か?」

バッと隣を見ると、利明が椅子に腰掛けていた。今さっきまでの夢に気を取られていて彼の存在にまったく気付かなかった。

「大丈夫か?うなされてたみたいだけど。」

もう一度そう聞かれて、透はやっと今の状況を考え出した。辺りを見まわす。ここは紛れも無く保健室だ。

「私、えっと確か授業の終わりに・・・」

「倒れたんだよ」

―――そうだった。

「ごめんなさい。トシ兄ちゃんわざわざ来てくれたの?」

透は状況を把握し、申し訳なさそうにそう言った。利明はにっこり笑って、透をもう一度ベットに寝かしつけ、布団をかけてやった。

「ああ。もう少し眠っていたほうが良い。今日は部活は休んだほうが良いだろう。俺もサークル休むから。後で荷物持ってくるから、そしたら一緒に帰ろう。」

透は慌てて起きあがった。

「いいよ!もう全然平気だし、一人で帰れるから。」

利明は透の頭をポンと叩き、「迎えに来るまでにそれは直しておいた方がいいよ。」と言って保健室を出た。何のことか分からず、ふと自分の頭を触ってみる。

―――寝癖だ・・・。






「夢を見るの」

「夢?」

透は頷いた。学校の帰り道。だいぶ体調の良くなった透は利明にあの夢のことを相談しようと決めた。利明は透の荷物と自分の荷物を持って、透に対して車道側を歩いた。彼は透に対していつも紳士的な態度をとってくれる。透は利明に、全て話した。幼い頃から見つづけてきた夢のこと、そしてそれを見る回数が段々と増えてきていること、そして、今までに真っ暗闇だった夢に、何か青いものが見えたこと。利明は真剣に聞いてくれた。だが、さすがに見当もつかないといった風で、考え込んでいた。

「何かあるのかもしれないな・・・」

透は不安だった。このままでは何かが起こりそうで。

「夢は潜在意識の表れだっていうのを聞いたことがある。そういうのが関係しているんじゃないかな?」

そういうこととは違う気がする、と透は思ったが、なんとなく口には出さなかった。

「今度調べてみよう。」

「うん。」

利明は透の頭を撫でて元気付けようとしてくれた。こうやって利明に接してもらうといつも気持が落ち着くのだが、今回ばかりは胸のモヤモヤが取れない。なぜだろうか。意識することで余計に気持ちがざわめく。

「もしまた何かあったらすぐに教えてくれよ?」

「うん。ありがとう。とし兄ちゃん。」




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