□第63話
「目が覚めたか」
寝覚めに聞こえてきた声は、聞き慣れないものだった。シャンテは声の主を探した。体を起こし、すぐに自分が見知らぬ部屋にいることに気づいた。ふと顔を上げると、少し離れた位置に、男が優雅に椅子に腰掛けていた。シャンテはその姿を見て目を見開いた。
「・・・キルア王子!?」
いったいどうなっているのか、とシャンテはさらに周辺を見渡した。ターニャが自分の顔を覗き込んでいる。春一も、すぐ傍の椅子に座っていた。
ターニャと春一は、シャンテが目覚めたことでホッと安堵の息をついた。
「どういうこと?」
シャンテはキルア王子を目一杯睨んだ。
「マイホ」
キルアがマイホの名を呼ぶと、シャンテの近くに立っていたマイホがグイッとシャンテの顎をつかみ、顔に手をかざした。そしてその手を左右に動かした。シャンテは嫌がって顔を背けようとしたが、マイホはそれを許さず力ずくで顔を正面に向けた。ターニャも春一もなぜか助けようとしない。それにシャンテは内心腹を立てた。
「・・・どうやら解けていますね。割と軽いものだったようです」
数回、同じ動作を繰り返し、マイホは結論を出した。キルアは頷いた。
「いったい、どういうことなの!?」
ターニャが、普段に増して静かで冷静な顔でシャンテに近寄った。
「・・・シャンテ、覚えていないの?」
「・・・は?」
この場に似つかわしくない、随分と間の抜けた声だった。
シャンテを始め、ターニャ、春一の三人はこの説明を求めてキルア王子を見た。シャンテについては、やや怒りと憎悪を込めた目線で。
「おそらく」
キルアがやや面倒くさそうに口を開いた。
「操られていたのだろう。簡単な催眠術だ」
三人が三人とも顔を顰めた。
「そんなこと!」
あるはずがない、自分がそんな状況に陥るわけがない、ありえない、とシャンテは思った。すぐさま否定しようとしたが、ターニャと春一は一切反論しない。むしろその表情はどこか納得のいったような、疑問が解けたときの顔だ。
「・・・あたし、何したの?」
ここ数日、たった今目が覚めるまでの記憶がないことは、自分自身で気づいていた。急に、その空白の記憶に不安を覚えた。ターニャや春一がキルア王子を前に、大人しくしているのもおかしい。今まで対立していた相手だ。その人物と同じ場にいる。その状況から言って異常だ。
「・・・シャンテ、あなたキルア王子を殺そうとしたの」
ピシリと、シャンテの表情が固まった、そして次は眉間に皺を寄せて、首を傾げた。
「なんですって?」
信じられないのも無理はないし、疑うのももっともだ。まさか自分がそんな行動をとるとはシャンテにとってまったく考えの及ばないものだった。ターニャの顔を見る。嘘をついているようには見えない。今度は春一の顔を見た。普段とは違い、表情は硬い。シャンテはどうしたらよいのか分からず、キルア王子へと目線を戻した。
「記憶がないのはいつからだ?」
戸惑うシャンテをよそに、キルアはどんどん話を進めて行く。
「・・・」
シャンテは考え込んだ。すぐに答えは出たが、目の前の男にそれを話すかどうか、それを躊躇ったのだ。男は自分の敵であり、ここで正直に答えてしまうのは男の思う通りに動いているようで気に食わなかった。
「シャンテ」
春一の声だ。今日の彼は珍しく落ち着いていて、まじめだ。普段は常にフラフラしていて、自らの意思など言わず、ただ流れに漂っているだけの男が、今日に限って真剣な趣でこちらを見つめていた。シャンテは、どうしようもない想いが込みあがって来るのを感じた。春一はシャンテの言葉に必ず従ってきた。枇杷の誰もが、春一はシャンテには逆らわない、あるいは彼自身に意思はないと思っていた。けれど、本当は違う。逆らえないのはシャンテの方なのだ。
「・・・分かったわよ。そうね、最後に覚えているのは・・・市場で誰かに会ったわ」
「誰に?」
ターニャはシャンテが座るベットに自分も腰掛け、彼女の手を握った。シャンテは片方の手をこめかみに当てた。ターニャの質問に答えようと思うが、ズキズキと頭が痛んで答えが一向に思い出せない。
「・・・先ほどのとは別に、強い暗示がかけられているようすね。犯人の割り出しは不可能ですか」
ふぅ、とキルアはため息をついた。マイホの言う通り、シャンテを操った犯人を捜すのは容易ではなくなった。分かるのは、暗示や催眠術を得手とする者であるということだけだ。
「・・・そんな簡単にできることなのか?」
春一の問いに、キルアは頷いた。
「催眠術は、ある程度の条件が揃えば簡単だ。とくに今回のように強い衝撃を与えれば簡単に解けるようなものならば尚更な。シャンテ、お前は枇杷であり、わたしに敵意を抱いていた。もちろん、殺すつもりが始めからあったとは言わないが、催眠術によって敵意を殺意に変えるくらいのことなら、少しの知識があれば可能だ。神官ともなれば尚更で、神官の各試験にもそういった知識が必要なものもある。それだけで言えば、誰でも可能だということだ。しかし、今回に至っては別だ。その者は自分に関する記憶を完全に消し去っている。そんなことが出来るのは暗示や催眠術に相当精通した者でなければならない」
シャンテはもう一度思い出そうと試みた。だが結果は、先ほどと同じ痛みが脳内を走っただけだった。
「・・・わたしを殺したいと願っている者に、まんまと利用されたようだな」
キルアはことも無さ気にそう呟く。シャンテは馬鹿にされているような気がして腹を立て、さらにキルア王子を睨みつけた。
「いろいろと、わたしに文句があるのだろう。いい機会だ。話を聞こう」
キルアは椅子に腰掛け、足を組んだ。随分と余裕のある様子で、それが逆にシャンテの神経を逆なでする。
「あんたたちのせいで、あたしたち人間は地べたを這って生きてきた。ただ地上で生まれたか、この世界で生まれたかの違いなのに!たったそれだけであたしたちは蔑まれ、ひもじい思いをしてきた。人間の保護制度もあるけど、あんなもの本当に役に立っていると思ってるの?小さな子供が一人で迷い込んで来たら?人間と人魚の間の子は?この世界では、あたしたちは生きているとは言えない。ただ日々を過ごすだけ。最低限の食事を確保し、一日が終わるのをじっと耐える」
キルアはジィッとシャンテを見据えていた。
「この世界の法律はおかしい、この世界の人魚たちはもっとおかしい。そしてその原因を作ったのが4つの国の代表国である東国の王家よ!」
シャンテは肩で息をしていた。いつの間にか両手でベットのシーツを硬く握り締めていた。ターニャの手は追い払った。傷つけてしまいそうだったから。
「言いたいことはそれだけか?」
キルアがそう尋ね、シャンテは我が耳を疑った。この目の前の男は、今の訴えを聞いても何も感じなかったのだろうか。どこまで冷酷なのだろうか。絶望的な想いが、シャンテの胸に広がった。ここは敵陣の真っ只中で、自分達は捕らえられているも同然だ。
「・・・自分の側室を見捨てるような奴に、分かってもらおうとしたあたしが馬鹿だった」
「いつわたしが彼女を見捨てたと?」
ニヤリと、キルアが笑みを浮かべた。
「トオル」
部屋の扉が開いた。シャンテは驚いてベットから身を乗り出した。春一やターニャも首を傾げた。バルに連れられた透が、顔を現した。
「貴族の宮を襲撃した枇杷たちに連れられていたそうだ。ちなみにその枇杷たちは我々が捕らえた」
春一とターニャはシャンテを見た。透は、シャンテが一人で連れて行ったので、二人は透がどこにいるのかは知らなかった。しかし、操られていたシャンテもそれは同じで、透をどうしたかなど覚えていなかった。透が取り返されてしまったこと、そして仲間がまた捕まってしまったことで、シャンテはさらに焦りの色を見せた。以前の5人のように殺されてしまう、という考えが頭から離れない。
「こうして彼女はわたしの元にいる」
その言葉に透は小さく微笑んだ。この状況であるので、あくまでも控えめな笑みだった。もしかしたら、本当に見捨てられたのではないかと思った。けれど、キルア王子は透の思う通りの人だった。見捨てられたわけではない、という事実が無性に嬉しかった。そして再びキルアの元に帰れたことに、安心感を覚えた。
透はシャンテを見つめた。枇杷のリ−ダーとして、いつも堂々としていた彼女だが、今はまるで絶望の中にいるようだ。けれど大丈夫、と透は心の中で呟いた。シャンテはすぐに立ち上がれる、と。
貴族の宮を担当した枇杷の手からバルに助けられ、事前に全てを伝え聞いた。それを聞いたときは、キルアがいかに素晴らしい人で、彼がどれだけこの国とこの世界を思っているのかが分かり、安堵した。
――大丈夫。
透はキルアを見つめた。彼がシャンテを救ってくれる。
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