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□第62話



「どうしてあたしがここに現れると?」

シャンテはキルアを睨み付けながら、動きを止められているのにも拘らず、強気な態度でそう尋ねた。キルアの方はこの状況で余裕すら窺える。

「簡単なことだ。わたしが枇杷の仲間である5人を処刑したと知れば、お前達は黙ってはいないだろうとふんだのだ。・・・しかしまさか、こんな物騒なものを持ち込んで、わたしを殺しにかかるとは思わなかった」

キルアの表情が、徐々に真剣なものへと変わっていった。何かに気づいたのだ。シャンテは顔を赤くしてジタバタと自由になろうと暴れた。だが、鍛えられた者の手から逃れることは容易くはない。力では勝てない、とシャンテはすぐさま悟った。

「・・・あんたは枇杷を甘く見すぎてるよ」

その言葉が合図であったかのように、バンッと大きな音を立てて扉が開かれた。

「シャンテ、無事?」

ターニャと春一。言葉を発したのはターニャだ。この状況にも関わらず表情のない声で、冷静に状況を見まわした。春一の手には長くて太い棍棒があった。

「・・・キルア王子。シャンテを離して」

ターニャの低いトーンの言葉にも、キルアは意識を向けていないようだった。聞いているには聞いているが、思考は確実に別のどこかに飛んでいた。

「それは出来ない。このお嬢さんは手を離したらわたしを殺しにかかるだろうからな」

さらりと放たれたそのキルアの言葉に、ターニャと春一の二人は目を見開いた。

「・・・シャンテはそんなことはしない」

春一はそう言って一歩前へと出た。ようやくキルアは顔を上げ、二人へと目をやった。そしてどうしたものか、と首を捻り、次に仕方がないと考えため息をついた。

「なら試してみよう」

パッと突然キルアがシャンテを拘束していた手を解いた。シャンテは急に解放されたことでバランスを崩したが、すぐに体勢を立て直した。キルアとの距離を取り、そして床に落ちたナイフを確認し、すばやくそれを拾い上げた。
何をするのか、と残りの二人は唖然としている。ナイフをしっかりと握り締め、シャンテはキルアに向かって走った。

「シャンテ!!」

春一が叫んだが、その声はシャンテには届いていない。シャンテの持つナイフがキルアの体に届くか届かないかの時、シャンテは意識を失った。キルアはシャンテの首筋に打ち込んだ手を下ろし、片腕で倒れこんだシャンテの体を支えた。ナイフが再び床に落ちた。

「マイホ」

キルアの声に反応し、扉が開いた。現れたのは先ほど退出したはずのマイホ。

「この娘を運んでくれ」

そしてキルアはこの予想外の状況に対応できないでいるターニャと春一に顔を向けた。

「お前達も来い。捕らえるつもりはない。色々と問題も生じた。それに、お前達も説明が聞きたいだろう?」

リーダーの捕らえられた今、二人には大人しく従う道しかなかった。





「・・・案外あっけなかったな・・・」

 安堵の息をつき、その男は肩の力を抜いた。思った以上に早く、枇杷のリーダーはキルアの元に渡った。その極秘扱いの情報を得て、男は複雑な気持ちに駆られた。自分の主の意思とは違った結果になってしまったが、自分の望んでいたのはこういった結果だ。それも、予想よりもはるかに簡潔で、誰一人傷ついてはいない。
 キルア王子の死など、本当は望んでいない。むしろあのような人物こそ、今のこの世界に必要なのだと、男は強く思っていた。主がそれを理解し、キルア王子と手を結べばよいのに、と何度も願った。この男の主もまた、この世界を真に憂う者なのだ。ただ、男の主はそれを望まなかった。自らが求める世界を作るには、キルア王子は必要なく、むしろ邪魔であると考えている。男は、主の考えを咎められない自分を責めていた。そして、今もずっと後ろめたさを背負っている。

――これで一度は失敗したことになる。

男の主は普段、この男に目立ったことをさせたがらない。ならば次の命令は当分先であろう。男はそう考えて今の仕事に集中することにした。

――罪のない者に催眠をかけるよりはずっとやりがいがある。

心の中で呟くと、どこか気持ちが和らいだ。この状況が本来の自分であれば良いのにと、常に考えてしまう。だがそれは不可能であり、たとえ可能だとしても自分はそうしないことを男は分かっていた。
男は、一呼吸して大勢の部下に指示を出した。部下がハキハキとした返事をし、駆けていくのを見て、男もゆっくり歩みだした。





――お母さん・・・。

何度も何度も呼んでいる。けれど目の前の女性が、自分に振り向いてくれることなどない。今までも、これからだってそうだ。

――お母さぁん!!

呼んでも呼んでも振り向いてくれない。女性の右手に、小さな手が繋がれていた。その手の持ち主である男の子が、ちらちらとこちらを気にしている。女性は、ずっと向こうを向いたまま歩き続けている。段々と、距離が離れていく。急いで追いかけるけれど、距離は一向に縮まらない。

「待って!!」

伸ばした手が、母親の腕を掴んだ。いつの間にか、距離はなくなっていた。母親に追いついたことに安堵して、幼い少女は安堵の息と共に笑顔を漏らした。そして母親の顔を見上げた。
その瞬間、一瞬にして少女の表情が凍った。自分を見下ろす母親の顔が、あまりにも冷ややかでまるで汚いものでも見るような眼をしていたからだ。

「お母さん・・・?」

恐る恐る、少女が問いかけるように呟くと、母親の顔はさらに歪んだ。

「その呼び方はやめなさいって言ったでしょう!?腕も!離しなさい!!」

バシッと少女の手が払い除けられた。

「でも・・・お母さん」

二度目はなかった。パシンっという音と共に幼い少女の頬にはジンジンと痛みが走っていた。母親と手をつなぐ男の子が、グイグイと母親の腕を引いた。

「母さん」

男の子にそう呼ばれ、母親は少女には見せたことのないような笑顔を浮かべた。

「ええ。分かっているわ。ごめんなさいね」

二人は手を繋いだまままた離れていった。徐々に遠くなっていく。幼い少女の頬に涙が伝った。

「・・・お母さん」

他に呼び方なんて知らない。それすら教えてもらっていないのだから。男の子に向けられた笑顔が、自分にも向けられたのなら、と少女は思った。きっと、母親である人の名前を聞く勇気も出るだろうに。少女には何も許されていない。時々、死なない程度の食事が与えられるだけ。

 一瞬にして、目の前の風景が変わった。小さな果物を、少年が食べている。晴れ渡った良い天気で、少年の隣には母親が優しい笑みを浮かべながらその様子を眺めていた。
 少女は、もう母親を呼ぶことはしなくなっていた。ただ静かにそこに居て、母親を怒らせないように、邪魔をしないように小さくなっているだけだった。ふいに、少年が、少女の元へ駆け寄ってきた。そして手に持っていた果実を少女の目の前に差し出した。キョトンとして、少女は少年の顔とその果物を見比べた。

「おいしいよ?」

「食べていいの?」

少年は笑顔で頷いた。

「ありがとう」

満面の笑みを浮かべ、少女はその果実に手を伸ばした。

「駄目よ!!」

バシッと、弾かれて、その果物は無残にも地面に落ちて潰れてしまった。泣きそうな顔で少女はしゃがみこみ、その果実の残骸を見つめた。

「あんた、なんて子なの!?人のものを取ろうとするだなんて」

蔑むような視線が付き付けられた。

「違うよ、母さん」

少年が弁護しようとしたが、母親はそのときばかりはまったく聞く耳を持たなかった。

「卑しい子」

そう一言だけ言うと、母親は少年を連れて少女の目の届かないところに言ってしまった。少女はずっとその場にしゃがみこんでいた。ポタポタと雨が降る。潰れてしまった果実が、まるで自分のようだと少女は思った。

――どうして。なんで?

なぜ母親は自分を愛してくれないんだろうか。




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