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□第15話




リディアは転ばなくなった。カップを落として割ってしまうことも、飲み物をこぼして服を汚してしまうこともなくなった。マシューの隊にこの国の上層部から命令が下ったのが一週間と2日前。すでに彼らはここには居ない。そのころからリディアは不思議なほど落ち着いていた。

「リディア将軍、少しお休みになられてはいかがですか?」

カタカが遠慮がちにそう尋ねると、リディアは困ったように微笑んだ。

「そうですね、でももう少しだけ」

今のリディアは将軍らしい将軍だ。仕事に関しての姿勢は以前から真面目だったが、今は休む気もないようだ。昨日は、王都のすぐ近くの町で小さな暴動が起こった。リディアは第三軍の中からいくつかの隊を連れてその鎮圧に向かった。暴動は、この国に対する不満と不安の表れだ。それを話も聞かずにただ押さえつけるという自らの行動にいつもならば、リディアはやり切れない表情を見せる。最近はあからさまに、苦痛に顔を歪めている。けれど、その手を緩めることはしなかった。リディアが暴動を鎮圧するときは、首謀者をまっさきに捕らえ、他にはできるかぎり国に楯つかないように説き伏せる。首謀者からは暴動を企てた理由を聞き、可能な限り解決できるように努力する。リディアが心を痛めそこまでしようとしてくれることに彼らも心動かされ、二度とそのようなことをしないと約束する。そのときは。けれど、現状が変わらない限り、彼らもこの国の中で生きるため、自らの幸せを掴むためにまた再び立ち上がることになるだろう。
トントン、とノックが聞こえ、リディアがそれに返事をすると扉が開き、ファシオが現れた。

「謹慎中のあなたが何の用ですか?」

棘のある言葉を放ったのはカタカだ。

「ひでーな。せっかくマシュー隊長とブラックからの連絡持ってきたのに」

ファシオの言葉にリディアはようやく動かし続けていた手を止め、顔を上げた。椅子から立ち上がり、自らファシオの元に行き、手紙を受け取る。

「ほら、どうぞ」

受け取った手紙をジッと見つめて、そっと封筒を開けた。

『近いうちに吉報を。皆、無事です』

中に入っていた紙にはたったそれだけが書かれていた。その字はブラックのものだ。彼の筆跡など知らなかったが、リディアは直感的にそう思った。

――皆、無事です。

ブラックのたったこれだけの報告にリディアは泣きそうになった。彼は、いつも彼女が一番欲しい言葉をくれるから。

「良かったですね。リディア将軍。ついでに、俺、美味いお茶もらってきたんです。飲みませんか?」

「あなたも、たまには良いことを言うんですね」

「たまには余計だ」

カタカもファシオも相変わらず仲が悪い。ファシオは基本的に優しいし、当然女性の扱いに関しては長けているから、仕事に没頭して気を紛らわそうとしているリディアを少し休ませるくらいは朝飯前だった。カタカは護衛として、話し相手としては彼女にとっては最適だったが、幼い故に、リディアがここまで変化した理由も理解はできてもそれに対処するのは難しかった。

「ありがとう。いただきますね」

 ティーテーブルに椅子を三脚用意して、カタカが暖かいお茶を可愛らしいティーカップに注ぐ。3人は席につき、それぞれ一口それを飲むとほっと肩の力を抜いた。リディアは無意識に耳に揺れるピアスに手を触れた。近いうちに、というのはいつになるのだろうか。具体的な時期が書かれていないのが残念だ。これからしばらくは気持ちが落ち着きそうもない。

「それ、ブラックとお揃いのピアスですよね?」

ファシオが、リディアの耳元のそれをジィッと凝視した。

「あ、はい。そうですよ」

「すげーな。黒曜石なんて最近は滅多に見ないのに」

「ふふ。それに、この石は願いを叶えてくれるそうですよ」

なんだか嬉しそうに話すリディアに、ファシオは怪訝な顔をした。カタカも、少し首を傾げる。

「願いを叶える…って、またそれはずいぶん…」

「本当ですよ?持っていると願いを叶えてくれるそうです。私も、以前は黒曜石のペンダントを持っていました。それも、願いを叶えてくれるペンダントだったんです。だから、これもきっとそうです」

どう解釈してもホラ話にしか聞こえない話を、ここまで信じられるのはリディアくらいなものだろう、と二人は思った。けれど、リディアにしてみれば前例があるのだから信じるのが当たり前のことだった。しかも、その前例は美しい母の思い出とともにある。

「まぁ、それは人にあげてしまったんですけど」

「あげた!?うわっもったいない!こんな価値のあるものをどうして?」

「あ、その話は以前聞いた覚えが」

ファシオの疑問に答えたのはカタカだった。

「確か、悲劇の日にリディア将軍が救護員として参加していた時に、死にかかっていた青年を助けて、家も家族も帰る場所もないと言った青年に同情して持っていたペンダントをあげたんですよね?」

「あ、はい。私、以前に話しましたっけ?」

「ええ」

「リディア将軍はほんっとにお人よしだなぁ」

ファシオが感心して、というより呆れ返っていた。リディアは、これで助けたのが敵国の兵士だと言ったら、大バカ者だと思われるのだろうかとちょっぴり不安になった。

「で、リディア将軍は何を願うんですか?そのピアスに」

ファシオがそう聞くと、リディアはぴたっと動きを止めた。

「みんな幸せに、ですかね」

少し寂しそうに、リディアはほほ笑んだ。

「じゃぁ、リディア将軍の幸せってなんですか?」

カタカが無邪気に質問した。けれど、リディアにとっては残酷だった。

「私、ですか?えっと、なんで…?」

「いえ、ただ、みんな幸せになるなら、リディア将軍もでしょう?」

「ああ、確かに」

納得するファシオの隣で面食らった顔をして、リディアは固まった。まさかこんなことにも気付かなかったなんて。

「私…の幸せってなんでしょう。そんなこと、考えたこともありません」

「リディア将軍は、戦ってばっかりだけど、女として幸せになりたいと思ったこと、ないんですか?」

「お、女として…?」

「そうそう。街の女はみんなイイ男と結婚して、かわいい子供産んで、幸せになりたいってよく言ってる。そうじゃなくても、ただ単純に好きな男と一緒に居たいとかさ」

好きな男、というワードにリディアはピクッと肩を一瞬だけ震わせた。心臓あたりから頭のてっぺんまで、段々と体温が上がっていくのが分かった。顔が熱い。きっと自分の顔は真っ赤になっている、どうしようと思いながらそっとファシオとカタカの反応を見た。二人とも、ポカンと口を開けてリディアを見ていた。

「え。あの、違うんです。好き…っていうか、そんな一緒にいたいとか、そんな、あの、違うんですよ?」

リディアはもう自分が何を言っているのか分からなかった。フォローしようとすればするほど墓穴を掘っている気がする。

「好きな方がいらっしゃるんですね?」

カタカが、年下とは思えない冷静な口調で確認するように彼女に尋ねた。リディアはまたもやバレてしまったことにガックリと肩を落とした。ブラックの時もそうだったが、リディアは嘘をつくのがとても苦手らしい。

「それって、もしかしてブラック殿のことですか?」

ストレートに聞かれたその言葉はとそこに出てきた名前は、リディアを固まらせるのには十分だった。好きな人を当てられたことに驚いて、リディアは固まったまま目をパチパチパチパチ何度も瞬いた。

「あ、やっぱり」

カタカが嬉しそうにほほ笑んで、ファシオは「気は確かか?」と呟いた。

「本気で?本気であのブラックに惚れてる?あの腹黒い男に?」

ファシオの頬をカタカが抓った。リディアは恥ずかしさでパニックになり、もう泣きそうだった。

「あの、はい。でも、気づいたのは最近なので、あの、自分でもどうしたいとか、考えたことなくて、あの、あの…」

モジモジと自分の恋心を話すリディアは、ファシオの目から見ても町娘たちとなんら変わりなかった。今のこの様子を見ると、自分の選択は間違っていないと感じる。

トントン。

ドアがノックされた。誰か来たのだと、リディアは自分の赤い顔をどうにか元に戻そうと手でパタパタと扇いだ。

「来たな」

ファシオがなぜか楽しみながら席を立ちあがり、ドアの方まで歩いた。そしてドアノブを手に持つと、リディアに軽くウィンクしてみせた。リディアへ渡した手紙の他に、ファシオとカタカにあてた手紙もあったのだ。内容は、帰ってくる正確な期日。

ガチャリ。

「マシュー!!」

ドアの向こうに現れた人物に、リディアはすぐさま駆け寄って、抱きついた。

「良く、戻ってきてくれました!!本当に!」

「ああ、ただいま。リディア」

心なしか、無事に帰れたにも関わらず、マシューの声はあまり元気がないように思えた。ふと、マシューの後ろにもう一人、兵士が立っていることに気づく。

「ブラック…」

リディアはマシューから少し離れ、ブラックに一生懸命ほほ笑んだ。少し気を緩めれば泣いてしまいそうだった。

「ブラック。お帰りなさい」

リディアが、泣きそうになるのをグッとこらえてほほ笑むと、ブラックも同じようにほほ笑んだ。以前と同様に、ブラックが柔らかく接してくれたことにリディアはホッとした。ブラックとは気まずい状態のまま、彼が不機嫌のままに会わなくなってしまったから、本当はこうして再会するときに、どんな顔をしたらいいのか不安だった。

「約束通りに、きちんと勝ってきましたよ」

「はい。はい!本当に、無事でよかった。手紙にはそのうちに、と書かれていたのに、まさかその日のうちに帰ってくるなんて!もっと早く連絡をくれればきちんと迎えに行ったのに!!」

マシューの時のように抱きついたりはしないものの、嬉しすぎて、今にも飛び付きたい衝動に駆られた。けれど、そんな恥ずかしいことが実際にできるわけもなく、ほほ笑み合うだけに留めた。

「早速ですが、今回の報告をしなければ」

ブラックは、カタカとファシオに目配せをした。二人はそれだけでブラックの言いたいことを理解し、これからの準備のためにスッと部屋を出て行った。

「これから緊急会議を開くそうです。リディア将軍はすぐに会議室へとのこと。ちなみに、今回は報告も兼ねて僕とマシュー隊長も呼ばれています」

「分かりました。ではすぐに参りましょう」

無邪気にほほ笑み、書類等を抱えて準備をするリディアを、マシューはジッと見つめていた。ブラックは彼女が準備し終えると手を差し出し、その荷物を持って3人は共に執務室を後にした。








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