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□第16話




「――よくやった!これで我が国はタタヤンを征服できる!」

嬉々としたその声に、同意する声が混ざった。

「しかし、あれだけの軍を相手にどう戦ったのだ?全滅させたというではないか」

その軍を相手に、たったひとつの隊しか向かわせなかったのがどこのどいつだ、とマシューは心の中で悪態をついた。正直、あのまま普通に戦っていたのでは勝機はなかっただろう。しかし、マシューを始めとする彼の隊の兵士は、スパイを除き、全員が無事に帰還した。

「罠を仕掛けました。あれだけ戦力に差があれば、まともに戦っても勝ち目はありませんので」

 マシューは淡々と報告を進めた。今回は、第三軍とは関係なく、単独で命じられたことなので、マシューは報告をする者、リディアは聞く立場にある。リディアは一通りの報告を聞いて顔を青ざめていた。彼女は、報告を聞くまではマシューやブラックの相手は、いくつかの小隊がこの国にスパイに来た…くらいの規模だと思っていたのだ。まさか、軍が丸々ひとつ侵攻していたなど、思いもしなかった。国王や宰相はあらかじめ相手の規模を知っていたはず。それなのに、なぜマシューの隊のみを向かわせたのか。リディアの中に疑惑と不信感が膨らんでいた。そしてもうひとつ、マシューは罠を仕掛けたと言うが、それも不思議だった。いくら罠を使ったとしても相手も馬鹿ではない。たったそれだけで全滅に追いやられるのもおかしい。そして、今のマシューの雰囲気。いつもよりも、硬質な気配がする。

 いつもの会議室である。楕円の席を皆で囲む。各人の後ろには、それぞれの護衛が控えており、扉の前には兵士が立っていた。マシューの席は、リディアの席の右隣に用意されていた。この国の幹部と、軍の将軍しか座らないはずのこの席に座ることを許されたのだ。これは実質、マシューが出世することを意味する。恐らく、この会議の中で正式な話があるだろう。ブラックは、相変わらず、リディアの後ろに立っていた。

「まさか、ここまで強いとは。すぐにでもタタヤンへ仕掛けよう。なぁに、王子が我々の元にいるのだから向こうも迂闊には手を出せん」

彼らは皆、上機嫌だった。リディアが嫁がされることになっていた王子は、ブラックたちが戦っている間にバジールの首都へ来ていたが、タタヤンが負けたことが分かってからすぐに幹部たちの手によって拘束されていた。彼らの切り替えの早さは素晴らしい。本来ならばその王子にリディアを差し出し、タタヤンと手を組むつもりでいたのだ。それが、今は完全にタタヤンを裏切るつもりでいる。リディアは、その王子の話もまったく聞かされていない。王子は今後人質として利用されるだろう。

「タタヤンを落とせば、ロードスに攻め入ることもできるやもしれん」

「ま、待って下さい。ロードスに攻め入るのは危険です」

「何を言っている、リディア将軍。あなたは以前にウォーカー将軍を追い払ったではないか。それに、第三軍はだいぶ力をつけたようだし…これならば我がバジールが頂点に立てる!」

リディアの顔色がみるみる青くなっていく。

「いえ!!以前にも報告したように、あれは相手が何らかの理由で撤退しただけで、あのまま戦っていれば確実に負けていました!ウォーカー将軍の軍の強さは圧倒的です!確認はできていませんが、恐らくウォーカー将軍は剣だけでなく、魔術もかなり使えると思います。他の魔術師の力によるものかもしれませんが、最前線の兵士はほとんど魔術で倒されていました。威力はかなり広範囲に及ぶようですし、彼の実態、実力についてはまだはっきりと分かっていません。もしタタヤンを落としたとしても、ロードスに対抗できるほどの力を得られるかどうか…!」

リディアの必死の訴えにも、他の者たちは呆れたように溜息をつくだけだった。

「まったく。2国分の軍を投入するんだから、どんな軍でも勝てるに決まっているだろう」

宰相が、リディアを睨んでそう言った。

「クッ…プ、ハハハハハハ!!!」

急に笑い出したブラックにその場の全員の視線が集まった。ブラックはそれに構わずに笑い続け、ようやくそれが治まると視線を上げた。

「ハハ・・・。ああ、すみません。あまりにも可笑しかったから」

詫びれもなくそう言うブラックを、リディアとマシューを除く全員が顔を顰め、彼を睨んだ。

「ブラック…?」

「何がおかしいのかな?」

額に血管を浮かび上がらせた国王が、静かに口を開いた。ブラックは、彼らの醸し出す空気にも怖気づくことなく、ニヤニヤと余裕のある笑みを浮かべていた。

「可笑しい?ええ、可笑しいですよ。本当に、あなたたちは呆れるほど愚かですね」

ブラックの言葉に反応し、宰相が自分の護衛に彼を切るように命じた。しかし、護衛は一歩も動けなかった。扉の前に居たはずの兵士が、護衛の首に剣を突き付け、その動きを止めていた。

「何を!?」

「まったく。困ったものですね。あなたたちがもう少しまともであれば他の方法も考えたのに」

残念だ、とブラックは嬉しそうに言う。そして、護衛の動きを止めた兵士に目配せした。兵士は再びドアの前の位置に戻った。宰相の護衛はあっさりと剣を引かれたことに困惑し、先ほどの命令を実行するべきか、事の成り行きを確認するべきか判断しかねているようだった。皆、何が起ころうとしているのか理解してはいなかった。リディアもまた、いつもとは全く違うブラックの様子に戸惑い、何もできずにいた。

「なんと無礼な。捕えろ」

国王の一声で、全員がハッとし、リディアとマシューを除く、将軍たちが立ち上がり、剣を抜こうとした。しかし、誰一人、立ち上がることすらできずにいた。否、正確に言えば立ち上がるどころか指一本動かすことができなかった。全員が自身の身体の自由が利かないことに唖然としている。ブラックがその様子を見てさらにククッと笑った。

「まぁ、しばらく大人しくしていてください。さて、何からお話しましょうか?そうですね、とりあえずマシュー殿に代わって先のタタヤンとの戦の報告の続きをしましょうか。罠を張ったというのはまぁ、嘘です。タタヤンの軍とは正攻法で戦いましたよ。今の皆さんのように僕の魔術で少し動きを封じさせてもらい、後は焼いて殺しました。剣で首を刎ねるのが一番だとは思うんですけど、正直それだと死体の片づけがめんどうなので。それに、軍一つくらいなら、一気に焼いてしまえば数時間で終わりますしね。ああ、でも、将軍の首は欲しかったので、彼だけは僕が直に殺しましたけど。」

リディアは、目を見開いた。ブラックが魔術を使えるなど初耳だ。リディアはかなり高等な魔術師である。もし、ブラックが本当に魔術師ならばその魔力に気づくはずだ。それに、今の話からすると、タタヤンの軍を、彼が一人で、たった数時間で殲滅させたことになる。ブラックは、混乱し戸惑うこの場の全員に、嘲るような笑みを向けている。リディアは信じられない思いで、隣のマシューに目をやった。彼に否定してほしかった。タタヤンとの戦いを彼は見ているはずだ。けれどマシューはリディアと目を合わさなかった。そして、ブラックの話も否定しなかった。

「それと、あなた方が拘束していたタタヤンの王子ですが、解放させていただきました。正直、リディア将軍に手を出そうとした時点で、彼のことは殺そうと思っていたのですが、ここでタタヤンに恩を売っておくと後々楽なので」

「そんなはずはない!王子の居る牢の警備は万全なはず!」

二軍の将軍が声を荒げた。牢の警備は彼の軍の担当だった。

「しばらく、大人しくしていてください、と言いましたよね?」

ブラックは、二軍の将軍に向けて手を伸ばし、手のひらを彼に向けた。途端にその将軍は苦しみだし、自分の喉に手をやり、体を前方へ丸めて痛みに震えた。呼吸ができず、段々と頭の中が真っ白になっていく。

「ウガ・・・ァ・・・ガァ!!!」

ブラックが、手を下ろすと、彼の身体を襲った痛みも消え、一気に呼吸が可能になり、彼は一生懸命息をして、机にうつ伏した。ゲホゲホッと、噎せ返る。

「お前…何者だ!?」

宰相の言葉に、ブラックはニィッ、と艶やかにほほ笑んだ。

「すみません。また名乗るのを忘れていました。僕の名は、ブラック・ラジュカッシュ・ウォーカー。あなたたちが心底邪魔に思っているロードスの将軍です」

ダンッ。

告げられた言葉を、リディアたちが理解する直前に、会議室の扉が勢いよく開けられ、十数名の兵士たちが中へ入ってきた。

「ウォーカー将軍。すでに他の施設は押えました」

兵士たちのうちの一人が、ブラックに対し敬礼し、他もそれに続いた。リディアは、その兵士たちに見覚えがあった。皆、第三軍の兵士だ。開け放たれた扉の向こうが、騒がしい。

「ああ。ごくろう。じゃぁ、マシュー殿。コレは任せました」

マシューが立ち上がり、兵士たちに指示をして国王、宰相、その他の将軍や護衛の者を連れて行かせた。国王たちは抵抗したが、剣を向けられればすぐに大人しくなった。リディアは目を見張る。

――マシューが、なぜ。

マシューはちらりとリディアに視線を送ると「すまない」と小さく一言だけ呟き、兵士たちとともに部屋を出て行った。それと入れ替わりにカタカが部屋へ入ってきた。

「ブラックさん。ロードスからの援軍が外に」

「ああ。すぐ行くよ」

カタカはブラックの返事を聞くとリディアにペコリとお辞儀してまた部屋を出て行った。そして今度はファシオがそこへ入ってくる。

「国民への通達は大体終わった。喜んでいる奴がほとんど。反乱の心配もなさそうだ」

「そうか」

ファシオはちらりとリディアを見ると、顔を顰めた。

「…ブラック。お前きちんと話しろよ」

「ククッ。ああ、もちろん」

ブラックの返事を聞いても、ファシオは不満そうだったが、それでもそのまま何も言わずに部屋を出て行った。そしてこの会議室にはリディアとブラックのみになった。

「ブラック…」

「はい、何でしょう?」

振り向いたブラックは恐ろしいほど笑顔だった。ゾクリ、とリディアの全身を寒気が襲う。

「あ、あなたがウォーカー将軍?」

「ええ。そうです」

「なぜ、どうしてこんな…」

ニヤッ、とブラックの笑みの質が変わった。体の震えが止まらない。

――怖い。

目の前のブラックは、リディアの知らない別人のようだ。なぜ、こんなことに?なにが起こっている?

「ようやくこの日が来た」

ブラックが、一歩ずつリディアに近づいていく。彼が近づくにつれて、リディアの脳裏にこれまでの記憶が一気に溢れた。いつも、リディアを気遣って、いつも欲しい言葉をくれ、いつも彼女を支えようとしてくれたブラックは、偽物だったのだろうか。彼がそばに居ると、リディアはいつも心穏やかでいられた。

――初めて、好きになった人。

その彼が、今、リディアの国を奪おうとしている。

「リディア」

ブラックが自分を呼ぶ声が、どこか遠くに聞こえる。

「――全てはあなたを手に入れるため」

ブラックの手が、リディアへと伸ばされる。腰に手を回され、グイッと引き寄せられ、ブラックの顔がすぐ目の前に近づいた。

「あなたは私のものだ」

男の眼が、狂喜に満ちたその眼が、リディアを捕らえた。







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