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□第17話




 パタパタと、少年が走っているのが見える。その先には母親らしき人物が紙袋を抱えて少年が来るのを待っている。少年が母親に追いつくと二人は手をつなぎ、ゆっくり歩き出した。
 そのすぐ傍で、犬を連れた老人がベンチに腰かけている。犬の方も老犬のようで、一緒に疲れを癒しているようだ。そこに小さな女の子がやってきて、小さな白い花をハイ、と老人に手渡しほほ笑んだ。老人は嬉しそうにそれを受取り、ありがとう、と口を動かした。少女は満足げに今度は老犬の頭をなでてやり、まだとこかへ行ってしまった。

――この国は、平和だ。

 リディアは窓に凭れかかり、この国を飽きずに何時間も眺めていた。やることが無く、暇なせいでもあるが、それ以上に慣れぬ平和を端から端まで見ておきたい、という気持ちが強かった。
 あの日…。ブラックが自らの正体を明かし、バジールという国を消したあの日。バジールの国王たちはあの後、バジールをロードスに引き渡す署名をさせられ、すぐに処刑されたという。
カタカの話では、処刑はバジールの王都で行われ、公開式だったため、バジールの国民の大半がそれを見に集まったそうだ。国王らの首が刎ねられた瞬間、地を揺るがすほどの大歓声があがったらしい。それほどまでに、彼らは憎まれていたのだ。
 複雑な気持ちだった。
リディアは、例え国民を想っていても、所詮は国王側の人間だったのだ。ならば、国民も彼女を恨んでいるだろうか。
 リディアはあの日、なぜか国王たちと一緒に連行されることも処刑されることもなく、ブラックの軍のロードス兵に連れられて、ロードスの王都へやってきた。そしてある屋敷に案内され、そこですでにひと月、過ごしている。
侍従、侍女たちの話しぶりからすると、この屋敷はブラックの家のようだ。外から見た時は、随分盛大な屋敷だと思ったが、内装はいたってシンプルで、あまり生活感や温かみの感じられない質素な作りだった。
 たったひと月だったが、もう随分長い間こうしていたように思う。供を付ければ、外出も許された。欲しいものを言えば、なんでも用意すると言われた。有り余るドレスを用意され、特に誰に見せるわけでもないのに、着飾られた。
一度、外へ出てみたが、ロードスの街を歩くと、バジールの街の光景が思い出されつい比べてしまい、それが嫌ですぐに屋敷に帰った。欲しいものなんてなかったから、いつも侍女の申し出を軽く流し、部屋で静かに過ごした。
本来ならば、処刑されてもおかしくないはずの自分がなぜこのような好待遇で迎えられるのか、リディアには理解できなかった。何もせず、ただ時が過ぎるのを待つこの生活は、これまで戦いに身を置いていたリディアには不慣れで、あまりにも自由で、どこか恐ろしかった。
 ロードスに吸収された旧バジールがどうなったのか、旧バジールの軍人たちはどうなったのか。なぜ、あの時、バジールの兵士がロードスのブラックに従っていたのか。カタカもファシオも…マシューも。そもそも、ブラックはなぜあんなことを。
あれから、事後処理が忙しいらしく、ブラックは屋敷に帰っていない。一度も、話もしていない。マシューもファシオも。カタカだけ、一度会いに来てくれた。けれど、カタカもブラック側にいた人間だ。詳細は教えてくれなかった。知りたければブラックに聞いて欲しい、と悲しい表情で言われれば、リディアはそれ以上追及することができなかった。
 バジールを変えることもできず、守ることもできなかった自分は、なぜ生かされているんだろう、それを考えると、瞼が熱くなる。
 もうすぐ、ブラックが屋敷へ帰ってくる。この屋敷の使用人は皆その準備に忙しいようだ。今日、ブラックに会うことがあればひと月ぶりの再会だった。



「久しぶりですね」

テーブルを挟んで反対側に、見知った笑顔が浮かんでいる。侍女たちがスープを運んでくれたけれど、手をつける気にはならなかった。
 このひと月、たった一人で過ごしていた夕食の席が、今日は二人になった。リディアとブラック。ブラックは、相変わらず礼儀正しく、この屋敷に戻った時も使用人たち一人一人に「ただいま」と挨拶し、リディアを見つけると以前と同じように膝を折って、リディアの手を取り、口づけた。
 そして、一か月前のことなど知らないかのように、何事もなかったかのように、まるで当たり前のように「ただいま」と言ってのけた。
  リディアは、腹立たしいのか、悔しいのか、悲しいのか泣きそうになった。けれど、今のブラックに涙を見せるのは嫌だった。だから、一生懸命堪えて、涙と一緒に、ブラックを引っ叩きたいという衝動も飲み込んだ。そんなことをしたら、本当に号泣しかねなかった。まだ泣けるのか、と自分で不思議に思った。涙は、最初の3日間で枯れたものだと思っていた。
 一刻も早く、ブラックの居る空間から逃げたかった。リディアはすぐに与えられたこの屋敷内のリディアの自室へ戻ろうと思った。けれど、ブラックはそうさせてはくれなかった。丁度夕食の時間だった。ブラックは夕食の用意ができているかどうかを侍女に確認し、侍女がその質問に頷くと、リディアを夕食の席に誘った。断ろうかとも思ったが、自分の今の立場で、それをして良いのかどうか分からなかった。
 ブラックは、スープを一口飲むと、それをジッと見ていたリディアにまた、ほほ笑んだ。

「このスープはお嫌いですか?」

 ハッとして、リディアは慌てて首を横に振った。そして、スープを一口飲むと「美味しい」と呟いた。部屋の隅に立っていた侍女が、嬉しそうに早歩きでコックの元へ向かった。

「それは良かった。好きでしょう?このスープ」

 確かに、リディアがスープの中で一番好きなのがこの目の前のスープだ。けれど、この状況では喜びも湧いてこない。

「このひと月、どうでしたか?ロードスは気に入りましたか?街には出ましたか?」

 正直、ロードスは今までリディアが見た印象のみで判断すれば良い国だった。ここに連れてこられるまでの道程、そして今過ごしているこの街。活気づいていて、華やかで、優しい。

「特に、何も。ロードスは良い国だと思います。街には1度だけ行きました」

 そっけなく、質問にだけ答えるとブラックがリディアをジッと見据えてきた。それもすぐに目線が外れ、リディアはホッとして息を吐いた。

「…何か、聞きたいことは?」

 その質問に、リディアはビクリと全身を震わせ、反応した。顔を上げ、ブラックを見る。

「質問…していいのですか?」

「もちろん」

「バジールの民はどうなりましたか?」

「特にどうも。今まで通りに生活していますよ。まぁ、これからはロードスの民として生活してもらうことになったので、多少のルール変更はしてもらいましたけど。税金も減って、無駄な拘束も減って、自由に生活できるって喜んでますよ。あ、ちなみに、あなたが気にしそうな軍のことですが、第3軍は旧バジール地区の警備担当として残りました。その他の軍は解散して…いくらか不正を働いていた者や、国王や他の将軍と懇意にしていた者も多かったので、そういった一部はまだ拘束されています。とりあえず、このひと月で随分落ち着きましたよ」

 民やほとんどの軍人は無事と聞き、リディアはホッとした。不測の事態に、リディアは彼らのためになにもできなかった。

「あなたは…初めからバジールを落とすために第三軍へ入ったのですか?」

「いいえ。最初に言ったでしょう?あなたに会うためですよ。けれどまぁ、結果的にはそうなりましたね。ウォーカーという名を隠してしまえば、誰も僕がロードスの将軍だとは分かりませんからね。顔も素性も極秘扱いでしたから。けれど、履歴書の経歴に書いたことはすべて事実ですよ。僕は嘘はついていませんから」

「よくも、そんなことが…」

 弱弱しく呟いたリディアの一言に、ブラックは嬉しそうにほほ笑む。

「本当ですよ。例えば『あなたはウォーカー将軍ですか?』と質問されたとしましょう。僕は正直にイエスと答えたでしょうね」

「そんなわけないでしょう!!」

「だって、例え正体がバレたところで、僕ならその場の全員を倒し、すぐ国王たちを皆殺しにするなど簡単です。そもそも、ただバジールを手に入れたいだけなら、真っ向から戦争すればいい。あなたは、誰よりも僕の実力を知っているでしょう?」

 グッと言葉に詰まった。知っている。リディアは誰よりもウォーカー将軍の強さを知り、恐れていた。だからこそ軍を強化したくて新人兵を募ったのだが、まさかよりにもよって本人を入れてしまうことになるとは露ほども思わなかった。ブラックの軍が本気になっていれば、もっと早くにバジールも、近隣諸国も全てロードスに屈していただろう。

「そう、そこです。どうして、バジールを?ロードスの王の命令ですか?」

すでに豊かで、戦を好まないロードスに、バジールを侵略する理由を見つけるのは難しい。しかも、こんな手の込んだ方法で。リディアは納得していなかった。

「勘違いをしている。リディア。あのときあなたは今と同じようにどうして?と聞いた。そして私はその答えを言ったでしょう?…まあ、とりあえず、その話は後に回します。まずは、あなたのそれ以外の疑問に答えましょう」

一番聞きたかったことを後回しにされ、リディアは次に聞くことを迷った。

「ブラックの、剣の腕はどれくらいですか?」

予想外の質問に、ブラックはククッと笑った。

「ああ、そうですね。あなたと手合わせしたとき、僕もあなたと同じように全身が重くなるようにハンデをつけてましたから…まぁ、少なくとも、あなたやマシュー殿よりも強いですよ」

詐欺にあった気分だった。

「もともと将軍だったから、新人研修のときのロードス戦で、新人兵を束ねられたのですか?それとも、ロードスの兵にはうまく倒されるように根回ししてあったのですか?」

「ああ、あれですか。一応、相手のロードス兵は本気でしたよ。大した人数ではありませんでしたが、彼らは自国で不正を働いていたり素行に問題がありまして。なので国王の命令で処分するように言われていたんです。あの状況で他の仕事までするのが面倒だったので、利用させてもらいました。おかげで、随分早く昇進できました。タタヤンの暗殺者のお陰であっという間にあなたの傍で働けることにもなりましたし、会議に同行できたことで、この国の大まかな状況も知ることができた。あのバカな国王と金魚のフンも始末しやすくなりました」

さらりとそう話すブラックはどこか上機嫌だ。

「そうそう、あの時の暗殺者ですけど、翌日には見つけて殺しておきました。報告すると護衛の役を降ろされる可能性があったので、きちんと知らせなくてすみません」

「マシューたちは…第三軍の兵士たちは、なぜあのときあなたに加担していたのですか?」

「簡単ですよ。僕が勧誘したんです。考えてみてください。第三軍は真に国を思っている者ばかりだった。つまり、家族や友人に幸せであって欲しいと願う者ばかりだった。国のために命をかけて戦っていた。もちろん、彼らの働きがあったからこそ、犯罪や他国からの侵略を免れた。けれど、自国内の膿は取れない。国王らがいるかぎり、バジールは良くならないことを皆、知っていた。あなたのように、それでもいつかは変わってくれると信じていた者もいた。けれど、皆いつかは現実を見るものです。…バジールの民の生活はこれ以上落ちることはない。土地も家も、わずかばかりの民の財産は、そのまま没収されない。ロードスの民として迎えられる。国王を始めとするバジールの膿は取り除かれる。それに、ロードスは元来争いを好まぬ国。この条件に、イエスと言わぬ兵士はいませんでした。」

 そんなばかな、だって彼らの様子は普段とまったく変わっていなかった。

「まずは、遠方での新人研修から。少しずつ声をかけました。もちろん、気に入らない者には声をかけませんでしたけどね。カタカのように、僕の力を崇拝してついてくるものがほとんどでした。ファシオのように、条件付きで協力してくれた者もいます。マシュー殿に協力を依頼したのはタタヤンが侵攻してきたときですよ」

「マシューは、どんな条件を?」

「条件などありませんでしたよ。彼は、僕のしようとしていることに賛同してくれましたから」

――そんな、ばかな。




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