□第3話 「では、それぞれ近くの人を相手に打ち合いを始めて下さい」 先日入軍したばかりの新人兵たちの研修。今はその真っ只中である。今行っているのは剣の訓練で、普段は軍の剣術指南役のトンガリが行っているが、今日に限っては彼が不在のため、リディア自らが指導している。今回の新人の研修は、軍内での基本的なルールをマシューが教え、剣はトンガリ、魔術はリディアが教えている。普段は、リディアたちが研修に参加することは珍しいのだが、今回は彼女の希望でこうなった。 「すみません、誰も手合わせをしてくれないようなんですが…」 一人が、軽く苦笑いで手をあげてリディアにそう訴えた。ブラックだ。 「お前の相手なんか誰がするかよ」 ファシオが笑いを堪えている。周りの新人兵たちもそろってうんうん、と頷いた。 「ブラックと剣を交えたら、命がいくつあっても足りない」 ブラックも困ったように笑った。リディアはその様子を見てほんわかほほ笑む。ああ、皆さんもう仲良くなったんですね、と。新人といっても、リディアより年上の人も多くいる。けれどリディアの心境は自分の子供の成長を見守る母親に近い。 「で、どうしたら良いでしょうか?」 言われてリディアはハッとする。そうだ、今日は剣術を教えるために居るんだった。 「えっと、トンガリが指導してくれる日は、どうしていましたか?」 「トンガリ殿が直接、手合わせをしてくれました」 リディアは、それはすごい、と感心する。稽古とはいえ、トンガリはこの軍の中でも5本の指に入る剣の腕前だし、剣を指導する立場として、それなりのプライドもある。その彼が、もちろん手加減をしてはいるのだろうが、直接剣を交えるということは、ブラックが多少手加減した彼とほぼ対等に渡り合えるか、あるいはそれに近い腕の持ち主だということだ。よほど、ブラックは有能で可能性を秘めているのだろう。ならば他の新人兵と相手をさせてはブラックにも悪いし、相手にも気の毒だ。 「それでしたら、私が相手しますね」 にっこり微笑んで発せられたその言葉。マシューがそばに居たら断固反対されていただろう。ブラックは、その言葉を予想していたようで「よろしくおねがいします」と満足そうに微笑み返した。周囲の空気が不安に包まれる。新人の兵たちはすでに何日かの研修を経て、ブラックの実力が新人の中でもずば抜けていることを知っている。そして、あの試験の時の彼のリディアに対する振る舞いも知っている。そして、新人兵だけに関わらず、軍の中ではリディアがブラックに落とされるか、それともマシューが守り切るかという賭けまでもが行われている。そのブラックが、リディアと手合いをするとなると、何か起きる気がして仕方がない。いや、ブラック自身はかなり紳士的で、実際には礼儀をわきまえていることも知っているのだが。 「それでは、始めて下さい。3本勝負です。真剣にお願いしますね。さぁ、私たちも始めましょうか」 リディアの言葉に、二人を気にしながらの打ち合いが始まった。ちらちらと二人を覗き見ながら行われるのを見ると、稽古に身が入っていないのは明らかだ。 ポゥっと、とリディアの身体を光が纏う。するとリディアの周囲の空気がズンッと重みを増したように感じられた。 「ハンデはこれくらいですかね。これで、重りをつけているのと同じ状態になりました。私も思いっきりやりますので、あなたも全力でかかってきてくださいね」 「・・・魔術ですか?」 「はい。本当は戦いの際に敵の動きを鈍くするための魔術なんですけど、こういう使い方もあるんですよ。今の私は普段より動きが鈍くなっています」 ブラックは、少し考えて紳士的な笑みをリディアに向けた。 「リディア将軍」 リディアは、上げかけた剣を下ろした。 「何でしょうか?」 全員の視線が再び2人に集まった。一応、打ち合いを続けたまま。 「ハンデをもらった状態で言うのもなんですが、もし、僕があなたに一度でも勝てたら、一つお願いを聞いてもらえませんか?」 リディアが可愛らしく首を傾げる。 「どういった願いでしょうか?」 「今日は訓練も午前だけです。たしか、リディア将軍も午後は非番だとか?ですから、午後、僕に街を案内してもらえませんか?もちろん、食事はごちそうします」 聞き耳を立てながら打ち合いをしていた全員の手が、一斉に止まった。 ――つまり、デートのお誘いか!? 試験の際に、ブラックの積極性には驚かされたが、まさかここまで命知らずだとは思わなかった。ここにマシューが居れば殺されている。全員が、唖然としている。ブラックは普段は冷静で紳士的、人当たりも良いし、自分の剣が優れているからといって鼻にかけることもしない。人として尊敬される要素が満載のブラックも、リディアのことが絡むと、冷静なのは変わらないが頭のネジが一本ぶっ飛ぶのだ。 「そっか、この街に来て日が浅いのでしたね!!案内するのは良いですけど、私より詳しい人が一緒の方がいいのでは?」 リディアの言葉に、またしても全員が唖然とする。ブラックのストレートな態度を、この人は1ミリグラムも理解していない。恐るべし、リディア将軍。 「一人でいたり、男の友人と街を歩いていると、女性にすぐ声をかけられてしまって、なかなか用事を済ませられないんですよ。だから、女性を連れていればそういうこともないでしょう?ですが、僕にはここで女性の知り合いはリディア将軍だけなので」 さらり、と発せられたそのセリフに、またも全員が呆れる。ブラックがモテるのは分かる。男の目から見ても羨ましくなるような整った顔立ち、引き締まった体に、服の趣味まで良い。おまけにその立ち振る舞いは完璧に育ちの良い貴族のものだ。これで、他の女性が放っておくはずがない。しかしそれを自分で自覚しているあたりが少し、妬ましい。 「なるほど、キレイな顔を持つと大変なんですね。…でも、あまり他の人と出歩くとマシューに怒られてしまうんです」 シュンと申し訳なさそうにリディアは頭を擡げた。 「ですから、僕が一本でも取れたら、で構いませんよ。それなら、一本取れたご褒美、ということでマシュー副将軍も認めてくれるでしょう」 リディアに承諾させようとするブラックは、柔らかい微笑みを彼女に向けているが、傍から見ればか弱い女性を騙そうとする悪徳業者である。 「そうですね…それならきっと大丈夫ですね!!」 別に、大丈夫でもそうでなくても彼女に得することはないのだが、それでも単純に喜ぶリディアは本当に将軍なのかと思えるほど可愛らしい。ブラックは満足そうだ。これは、何が何でも彼女に勝つ気だろう。 「では、始めましょうか?」 ブラックの言葉で、2人の打ち合いが始まる。 カンカンッと、剣の交り合う音が響く。いつの間にか、2人以外に打ち合いをしているものは居なくなっていた。皆、二人の試合を真剣に見ている。だが、力の差は明らかだった。リディアが隙を見てブラックの背中に回り込み、首元に剣を突き付ける。 「まず、一本目は私の勝ちですね」 ニコリとほほ笑んだその表情は先ほどの彼女のものと変わらない。しかし、纏うオーラはどこか違う。彼女の剣技を初めて見た新人兵たちは息を飲んだ。これが、バジール最強の軍のトップの実力なのか。いとも簡単にブラックの背後に回り、勝利を奪う。ハンデの分、実力は出し切れていないはずだ。それならば、彼女の強さは一体どれほどのものなのか。その場で唯一、冷静でいられたのは意外にも打ち負かされたばかりのブラックだった。 「2本目を、お願いします」 ゆっくり彼女の方へ向き直り、ブラックは剣を構え直した。これほど早く打ち負かされたことに対する動揺は、まったく見られない。二人の目線が合わさって、それが合図になった。再び両者が素早く動き、金属音が響く。今回は、ブラックも粘っていた。リディアはブラックの素早い攻撃を全て受け流し、自らの攻撃のチャンスを作る。けれど、ブラックも紙一重で彼女の攻撃をかわしていた。 二人の攻防戦は続く。ブラックの動きは、明らかに一本目より良くなっている。リディアもそれを感じているようだ。しかし、それでも負けは譲らない。 「隙あり!!」 ほんの一瞬、瞬きをする間にリディアはブラックの懐に入り込み、ブラックの喉に剣を突き立てた。これで2本目。ブラックにはもう後がない。 「さぁ、あと1本ですよ」 ふむ、とブラックは考え込む。そして自分の剣を眺めた。 「リディア将軍。どうやら今の打ち合いで剣が刃毀れしてしまったようです。剣を替えても構いませんか?」 「ええ。どうぞ」 リディアの返事を聞いて、ブラックはいつの間にか周りを丸く取り囲んでいる新人兵の中からファシオを見つけ、彼の前へと歩み寄った。 「すまないが、剣を貸してくれないか?」 ああ、とファシオが自らの剣を差し出した。ファシオの剣を受取り、ブラックは代わりに自分の剣をファシオに渡した。 「あずかっていてくれ」 ドスッ。 ファシオはそれを受け取ると同時によろめき、顔を顰めた。 「おい!これ…お前!!」 ファシオが何かを言おうとすると、ブラックは人差し指を唇に当てた。そして不敵な笑みを見せた。黙っていろ、の合図だ。 ――このヤロウ…。 とことん厭味な男だ、とファシオは思った。だが、面白い。ならば次の打ち合い、今まで以上に貴重なものが見れそうだ。 「お待たせしました。始めましょう」 リディアの元まで戻ると、ブラックは剣を構えた。リディアもそれに倣う。そして、二人の目線が合うと同時に両者が前へ踏み出した。 キィィン。 硬質な音。ギリギリと刃が擦れ合う。リディアがそれをいなして、ブラックは崩れた体制を整えた。次の一撃を仕掛ける。斜め下から切り上げるように剣を振い、リディアがそれを受け止める。さらにそこに次々とブラックが攻める。静まり返ったその場の全員の目は彼の一太刀に釘付けになっていた。 ――強い。 さきほどより格段と、レベルが上がっている。リディアが押されているのだ。スピードもパワーも。リディアのこめかみを汗が流れた。ブラックがほほ笑んだ気がした。 「失礼」 ブラックがそう一言呟いた瞬間、勝負はついた。リディアの剣は弾き飛ばされ。反動でリディアもバランスを崩し、後ろへ倒れこむ。そこにブラックの剣先が向けられた。 「勝負あり、ですね」 ブラックの満面の笑みである。 「負けちゃいました」 照れたようにそう言うリディアにブラックは手を貸し、彼女はその華奢な体を起こした。 ――敵に回したくないタイプだな。 ファシオは戦いの後の爽やかな二人を見て、というかブラックを見て身震いする。預かっている彼の剣は、両手でも持ち上げるのに苦労するほど重い。むちゃくちゃ重い。見た目には分らないので今まで気づかなかったが、ブラックは軍に入る前の試験の時も、トンガリの剣術の指南の時も、常にこの剣を使っていた。信じられない男だ。そして、そんな男に惚れこまれたリディア将軍は気の毒だ、とファシオは同情した。 |