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□第5話



「どういうことですか?」

リディアは自分の耳を疑った。彼女は怪訝な顔を浮かべ、マシューに詰め寄る。

「リディアの提案は却下されたんだ」

リディアの提案とは前日にリディアがマシューに託した提案のことである。しかし、リディアが不満に思っているのはその提案が通らなかったことではない。

「だからって、何も新兵たちを北方地方で研修させなくてもいいじゃないですか」

リディアがぷくっと頬を膨らませた。

「だから、新兵たちを北方のド田舎に送る事で、奴らがどれだけ本気で軍で生きていくつもりなのかを量るんだ。あんな田舎、よっぽどの覚悟がなきゃ退屈すぎて死んじまうだろう?軍は常に戦場にいるわけじゃない。仕事も、剣を使うものからそうでないものまで様々だ。ただ退屈なだけで飽きて辞めていく兵など、初めからいらないからな。それに、今回の遠方での研修で新兵たちの評価が高ければ、リディアの提案も考慮するとさ」

マシューの説明を聞いても、リディアはさらに頬を膨らませたままだった。マシューの心の中で罪悪感が膨らむ。リディアの提案をまともに推さなかったのはマシュー本人である。良い案だとは思ったが、少しやりすぎな気もしたし、何より、彼女の案が通ると必然的にブラック・ラジュカッシュとリディアの距離が近づきすぎる。それは阻止しておきたかった。

 マシューはリディアの右耳に揺れるピアスを見つめた。そのピアスがブラックのピアスとお揃いで、リディアもブラックも片時もはずさないという噂はすでに第三軍のほぼ全域に広がっている。昨日、ブラックと彼女の間に何があったのか、マシューは聞きたくても聞けなかった。彼女の様子からしてみると、恐らくそこまで警戒するほどのものでも、色恋沙汰にまで発展したものでもなさそうだ。彼女のブラックに対する興味も、純粋に彼の強さと可能性に惹かれてのものだと思われる。しかし、昨日の二人の様子についての目撃情報によると、リディアはかなり珍しいことにドレス着て街を歩いていたらしい。しかも、ブラックと腕を組んで。ブラックはリディアの頬に何度もキスしていたらしい、しかも彼女はそれを嫌がらなかったらしい。これだけ聞くと、どこからどう見ても仲睦まじいカップルである。
 マシューは保護者として、これ以上ブラックとリディアを近づけたくないと考えた。結果、新兵の遠方研修に繋がったのだ。リディアには隠しているが、これはマシューが発案したものである。

「せっかく、せっかく、みんなと仲良くなれそうだったのに!魔術師の人はもうほとんど顔も名前も覚えましたし、皆どんどん成長していって、教えるのすごく楽しかったんです。ブラック・ラジュカッシュの剣の腕前だって、彼はすごく観察しがいがあったのに!!」

リディアは自分が今の立場でなければ研修についていっただろう。しかし、将軍という立場である以上、ただ新兵の成長が見たい、研修に参加したいなどという理由で本部を離れることはできなかった。リディアは、割と拗ねるタイプである。彼女がまだ若いこともあって、時折ひとつの軍をまとめる者とは思えないほど我が儘になる。しかし、その原因は普段から彼女を甘やかしていたマシューにもあるだろう。そしてそのマシューは今日、今までリディアを甘やかしてきた付けが自分に返ってくることを学んだ。
 それからしばらく、リディアはマシューと口を利かなかった。



「――というわけで、第三軍の名に恥じぬよう、精進せよ」

本部の広間に、新人兵と、その付き添いとなるトンガリを始めとする十数名の既存兵、そして彼らを送り出す兵士たちが数名、集まっていた。ほとんどが新人兵だけの小規模な集まりである。彼らが整然と並ぶその前で、マシューが激励の言葉を言い終えた。しかし、兵たちも、話をしていたマシュー自身も、目線は別のところを向いていた。

 美女が一人、ものすごく不機嫌そうに自分の頬を最大限に膨らませながらそっぽを向いている。この第三軍に所属する美女はもちろん一人しかいない。リディア・サーメラスである。兵士たち全員が目線をちらちらと彼女の方へ向けていたが、誰も何も聞けずにいた。異様な空気が漂っていた。女の将軍、と聞くと常に尖っている冷たくてたくましい女性というイメージが沸く。しかし、彼女はそのどれにもあてはまらなかった。彼女は軍の長でありながらも、とても穏やかで普段からふわふわとしたオーラを持っている。道行く人に笑いかけ、誰とでも仲良くなり、人を疑うことを知らない。悪いおじさんにも簡単に騙されてついていってしまいそうだ。兵士たちがどんなにミスをしても、頭ごなしに叱るのではなく、きちんと原因と詳細を確認した上で、再発防止を考え、その兵士には挽回のチャンスを与える。それはそれは慈悲深い、そして危なっかしい将軍である。それは新人兵の中でもすでに認知されていた。例え部下がどんなに失敗を重ねても、他国が一斉に襲撃してきても、今現在のあの様なあからさまに不満のある態度は見せないだろう。
 マシューはやや気まずい表情を浮かべながら、リディアに挨拶するように促した。リディアはプイッとマシューから顔を逸らして、返事もせず、中央へ歩いた。そして、スッと息を吸い込んだ。

「みなさん。これからみなさんは北方地方で研修を続けることになります。不本意ながら。でも、あの場所は本当に何もない場所なので、きっと鍛錬に集中できると思います。これから3ヶ月間、しっかり腕を磨いてくださいね。ちょっと期間は長すぎると思いますけど、今年の新人はみんな才能ある人ばかりですから、期待しています。本当は私もついていきたいんですけど、怒られちゃうので行けません。帰ってきたらしっかり成果をお披露目してもらいますからね。みなさん全員そろって成長して帰ってきてください!」

すごく不満そうな表情で、不満が詰まった激励の言葉を聞き、新人の兵士たちは一瞬、唖然とし、次に必死に笑いを堪えた。全て言い終えて、すっきりしたリディアがマシューと場所を交代する。マシューがその様子を見つめながらポカンと口を開けたまま固まっている。

「なるほど。将軍はよっぽど俺たちのことが気に入ったとみえる」

新人兵の列の中に並ぶファシオが、他の兵と同様に笑いを堪えながら呟いた。

「ああ、そうだな」

ブラックが答えた。リディアとマシューはどうやら今回の事で意見が食い違ったらしい。ブラックは、彼にとって喜ばしい光景にほくそ笑んだ。これから3カ月の間、遠方での研修に行かなければならないと聞いた時、やや不満はあった。だが、彼女も残念がっているところを見ると、この状況もまだ許容範囲の内といって良いだろう。彼女の右耳には、遠目からでも黒いピアスが確認できる。リディアは律義にブラックのあの怪しげな話を信じ、そのピアスを片時も外さないようにしてくれているらしかった。離れているうちに、彼女がマシューに要らぬことを吹き込まれては困る。が、離れているからこそできることもある。

「将軍の不機嫌な理由がオレらと離れるのがイヤだからっていうのは嬉しいね。あんな態度取られたら、誰だってがんばっちゃうよなぁ」

ファシオが面白そうに笑っている。
北方地方は娯楽の何もないかなりの田舎だと聞いている。上層部は、その状況下で新人たちがどれだけ練習に励み、軍人としての生活を重視できるかを測りたがっているらしい。しかし、リディアの不貞腐れた激励を聞いた今、離脱する者などゼロに等しいだろう。

「で、ブラック。最近、お前将軍とまともに接する機会もなかっただろ?しかも、これから3ヶ月はまったく会えないわけだし。どうすんだ?」

ファシオはニヤニヤとブラックを見据えた。ブラックの口端がやや上がる。

「もちろん、先ほどリディア将軍が言ったようにしっかり腕を磨いて成果を出すよ」

ブラックの自信有り気な態度に、ファシオはやっぱりな、と喜んだ。ブラックはこの3か月の間、リディアと離れることで自分が不利になることはないと確信しているようだ。そして、この3か月間の貴重な時間を無駄にするつもりもないようだ。彼はきっと何かをする気だ。

「そういえば、北方地方はド田舎らしいな。酒も女も無いそうだ。正直、オレにはキツイよ。・・・けどいいな、お前は。その顔なら北の女もどんどん寄ってくるぞ。酒もらったら分けてくれよ」

ファシオがニヤリと笑みを浮かべる。そう言いながらも、ファシオもまた、新人兵の中ではずば抜けた才能の持ち主であり、容姿も今時風の好青年である。やや女遊びが激しいらしく、研修中も夜な夜な出歩いて、終いには朝帰りの常連になっていた。もちろん、軍人の生活としてはふさわしくない行いであり、特に朝帰りなどは宿舎のルールに違反するのでファシオと同室のブラックを含めた何人かの兵士たちはそのフォローに苦労させられた。北方地方の研修で、ファシオが夜遊びを辞めざるを得ない状況に陥るのならばそれに喜ぶ兵もいるだろう。ちなみに、新人兵は5、6人の相部屋だが、出世するにつれて個人部屋が宛がわれ、リディアやそれくらいのレベルになると宿舎だけでなく、本部にも部屋が用意される。

「興味ない。・・・それにそのうち他の楽しみができるかもしれない」

ブラックがニヤリとほほ笑んだ。

「ふーん、そうかねぇ」

「出立!!」

掛け声が聞こえ、数列ごとに新人兵たちが歩き始める。いよいよ、北方地方での研修が始まる。ブラックは歩きだす前にリディアへ視線を向けた。すると丁度、その視線が合う。いきなり目が合って驚くリディアに対し、ブラックは小さくお辞儀をすると踵を返して歩き出した。






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