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□第7話



 第三軍の本部の広場に、帰ってきた研修兵たちと、それを労う兵士、救護兵たちが続々と集まっている。研修期間の兵士たちは彼らがロードスを追い払い、全滅していた国境の警備の補充が行われてから本部に戻った。研修期間の終了予定よりも2週間ほど早い帰還である。これは、表向きには彼らから今回のロードスの突然の侵攻についての報告を聞くためである。しかし、本音とすればこれ以上の研修は必要ないであろうという上層部の判断だ。彼らはロードスを追い払ったことで、実質、研修兵ではなくなった。
 リディアは、勝利と帰還に喜ぶ兵士たちを自分の執務室の窓から眺めていた。今、マシューは上層部に以前却下された案件のことで呼ばれている。リディアも本来ならばその会議に行かなければならないが、その前にひとつすべきことがあった。彼女はドロドロとした気持ちが、胸の中で蠢いているのを感じていた。

トントン。

「どうぞ」

ドアが開く。待っていた人物が現れた。

「失礼します」

リディアはツカツカとその人物に近づいた。そして目の前まで来ると、腕を大きく振り上げた。

ぱしんっ。

「あなたは、自分が何をしたか分かっていますか?ブラック・ラジュカッシュ!!」

ブラック・ラジュカッシュは、リディアに頬を叩かれ、その勢いで傾いた体勢をゆっくり正した。

「はい」

ブラックは冷静だった。そしてリディアは、込み上げてくる感情を抑えきれないまま、今にも泣きそうな顔をしていた。

「…私がなぜこのように怒っているかは?」

「わかりません」

「まず、あなたは何の許可もなく、しかも研修の身でありながら他の研修兵を指揮してロードスと戦った。決して良い判断ではありません。まだ戦いなれていない者ばかりなのです。リスクが大きいことはわかりきっています。トンガリ殿が重傷であり、指揮する者が他にいなかったのならばあなたが指揮をとったことは仮に良しとしても、戦うべきではなかった。逃げるべきだったのです。そして、すぐに伝令を送るべきだった。そうすればすぐに私たちか、あるいは北の国境担当の第二軍が出動していたでしょう。なのに、あなたは戦うことを選び、まだ未熟である兵士たちを危険に晒した。あろうことか伝令をまったく送らず、報告したのはすべての決着がついた後。あなたの今回の行動は決して誉められたものではありません!!」

息もつかずにすべてを喋ったので、リディアの肩が少し上下していた。真剣にそれを聞いていたブラックは、ゆっくりと片膝を折り、リディアを見上げた。

「リディア将軍の言う通りです。僕は、彼らを連れてすぐに逃げるべきだった。彼らと自らを危険に晒したことをお詫びします」

真っ直ぐにリディアを見つめるブラックの視線が苦しくて、リディアは顔を反らした。しばらく沈黙が流れた。その間もブラックはリディアから片時も目をそらさなかった。リディアは顔を反らしたまま俯いていた。

「――…とう」

やがて小さく、リディアの口から言葉が漏れた。ブラックはそれを注意深く聞いた。

「ありがとう」

リディアの瞳から小さな雫がポタリと落ちた。

「ありがとう。無事に、帰ってきてくれて。彼らを無事に連れ帰ってきてくれて。…バジールを守ってくれて」

ボロボロと、次々に涙がこぼれ落ちた。止まらない。そんなリディアを見てブラックは居ても立ってもいられず、立ち上がって、今にも崩れ落ちそうなリディアの肩を抱き、支えた。

「もしロードスの軍がこちらまで侵攻していたら、今度こそ負けてしまっていたかもしれない。この国全てがなくなっていたかもしれない。人が、いっぱい死んでしまっていたかもしれない」

リディアの涙は止まらない。彼女の身体が、小刻みに震えているのが分かった。完全にパニックを起こしている。そう判断したブラックは、そのまま彼女を強く抱きしめた。

「大丈夫です。僕らは勝ったし、ロードスはもう来ません。誰も死んでなんかいません。大丈夫です」

ブラックはリディアを抱きしめる腕にさらに力を込めた。

「大丈夫です。誰も死なせない。大丈夫」

すると、彼女の身体の震えが徐々に治まっていくのがわかった。リディアの瞼が自然にゆっくり閉じていった。ブラックは腕の力を少しだけ弱めた。腕の中の女性が、ひどく不安定なのだとブラックは初めて認識した。考えれば分かることだ。まだ、22歳。しかも、本来ならばこのような男ばかりの世界とは無縁のはずだ。そんなまだ少女とも呼べるあどけなさを残した彼女が、全てを背負いきれるはずがないのだ。今回のことは、ただ自分の力を認識させるのに役立つと思ってのことだった。それなのに敵国の侵攻がこれほど彼女に心労を与えるとは思ってもみなかった。

 ぱちっ、とリディアの瞳が開かれた。

「あ、ご、ごめんなさい」

リディアは正気に戻ったようだった。ブラックに抱きしめられている自分の状況を把握し、あたふたしている。ブラックが腕の力を緩めると、半歩離れられてしまった。

「な、泣くなんて、ほんとに、は、恥しい…」

赤面するリディアを見て、ブラックはクスッと笑った。

「大丈夫です。他の兵には秘密にしておきます」

「はい…。ダメですね。本当はお説教だけする予定だったのにあんなこと言っちゃうなんて」

リディアは一生懸命に涙を擦った。そして本来の自分を取り戻す。

「今回は、ウォーカー将軍じゃなかったんですよね?」

「はい、違う軍でした」

「そうですか、よかった。あ、そうだ、これから会議なんです。それで、今回の件について詳しく話を聞きたいのであなたにも来てほしいのですが、その、私はちょっと顔を洗ってから行きたいので先に行っていてもらえますか?」

少し恥ずかしそうにそう言うリディアに「わかりました」と返事をして、ブラックは部屋を出ようとした。しかし、ふと思い立って、またリディアの方に向きなおり、手を伸ばして彼女の耳にそっと触れた。

「あなたの大切なものは何もなくなったりしませんよ。ほら、このピアスがありますから」

そのピアスに口づけをし、爽やかな笑顔を残し、ブラックは部屋を出た。リディアは真っ赤になって、言葉も出せずにブラックが出て行ったドアを見ていた。


****


パタンと執務室の扉を閉めると、そこにカタカが立っていた。彼の表情からすると、どうやら話を全て聞いていたようだ。

「リディアさま、大丈夫でしたか?」

心配そうなカタカの頭を、ブラックはくしゃくしゃと撫でた。

「ああ、大丈夫だよ」

カタカは俯き、自らの両手をぎゅっと握った。

「…リディアさまは、きっと心配なんです。次に攻めてきたのがウォーカー将軍ならば、恐らく勝てないだろうと思っているんです。ボクの父はリディアさまのお師匠さまと友人なんですが、リディアさまは悲劇の日にご家族を亡くされて以来、誰かを失うことにとても敏感になっているそうです。父が言っていました。リディアさまはとても弱い方なんだと。だからこそ、あれほど強くなれたんだって…。けれどこの国は、年中戦争をしているような国だから。きっと心休める時間もないのだと思います」

もう一度、カタカの頭を撫で、そのまま一緒に歩きだした。このバジールという国は、とても好戦的な国だ。確かに、戦争は勝てば大きな利益を生む。だが、そこには必ず犠牲が伴う。この国の上層部は、おそらくそのことは気にも留めていないだろう。戦争に勝つことばかりに気を取られ、国民を忘れ、結果的に暴動が起きる。この国は荒れている。

「心休める環境ならば、僕が作ろう」

カタカが目をぱちくりさせて、ハッと気づき、ほほ笑んだ。

「そうでした、ブラックさんはリディアさまをお慕いしているんでしたね」

 カタカのブラックに対する尊敬の念は研修の頃から今までに、どんどん膨らんでいった。それぐらい、ブラックは強く、気高く尊敬に値する人物だった。極めつけは、今回ロードスの軍を追い返したこと。あの場に居たものは誰もが、彼を『特別』だと認識した。ロードスが攻め入り、部下を庇って重傷を負ったトンガリをすぐさま救い、手当てをし、研修中の兵士や魔術師たちを集めた。彼らは、ブラックの指示に驚くほど素直に従った。皆、研修期間中のブラックを見て、何かを感じ取っていたのかもしれない。カタカのように。そしてすぐに攻撃の準備を整えると、ロードスに立ち向かった。研修生はいくつかの隊に分けられ、これもブラックの指示で配置されたがそれらもすべて上手くいった。物資の補充に関しては、ほとんど事足りていたが、それでもたまに何かが必要になったときはファシオが離れた街に交渉しに行った。彼の夜遊びで築いた人脈が思わぬところで役立った。これもブラックの指示である。兵士たちはただブラックの命令にしたがっただけで、あっという間にロードスは退却していたのだ。あの場に居たものは、誰よりもブラックのすごさを理解しただろう。ブラックについていきたい、そう思ったのはカタカだけではないはずだ。

「カタカ。リディア将軍のことをどう思う?」

「どう…ですか?とても尊敬しています。軍人としても、魔術師としても、人としても素晴らしいお人だと思います」

その返事に、ブラックは満足そうにほほ笑んだ。そして、彼のいつもの表情とは打って変わって、今度は恐ろしいほど艶やかにほほ笑んだ。

「じゃあ、この国は?」






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