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□第9話




「ブラック、右を抑えろ!!将軍の魔術が発動するまで持たせろ!」

「了解」

 猛々しい声が上がる。剣が交り合う音が周囲にいくつも響き、血の臭いが漂う。今回、戦に参加したのは第三軍の一部だけ。マシューの隊に守られているリディアは、長い呪文を唱えながら集中していた。最小限の被害で、最大の効果を彼女は生み出そうとしている。彼女の術が発動すれば、この戦は決着がつく。それまで、守り切らなければならない。最前線のこの場で、敵を攻めるのではなく、味方を守るというのは難しい。しかも今回の戦は少数精鋭で挑んでいる。だが、それでも第三軍の兵士たちは余裕すら見せていた。ブラックは目の前の敵を軽々斬り捨てながら、リディアの様子を窺った。自然に、笑みがこぼれる。彼女は、すでに呪文を唱え終えていた。勝敗は決まった。





「ふぅ」

 報告書類を一通り書き終え、リディアは背もたれに体重を預けた。度重なる戦で、彼女の体力はギリギリまで削られている。デスクワークをするだけで、もうクタクタだ。マシューが直接上への報告をしてくれている。正直、今上層部に会ったらまた新たな戦の話をされそうで嫌だった。少しはこちらの事情も考えて、休ませて欲しい。けれど、そう思っても正式な要請を受ければ、リディアには断ることができない。ふと思い立って右手に意識を集中させる。手のひらにポウッと光が灯ったが、すぐに消えて無くなった。それを見て溜息をつく。

「ちょっと限界かな」

 ここのところ、戦続きでその度に体力だけでなく、膨大な魔力を消費してきた。彼女自身、身に蓄えていた魔力が底を尽きかけていることを感じている。もし、今次の戦を命じられても、今まで通りの戦術は使えない。今までは、魔術で敵の動きをすべて押さえることにより短期で決着をつけてきた。そのため、両者犠牲を最小限に留めることができたのだ。しかし、それができない以上、味方にも相手方にもかなりの犠牲を覚悟しなければならない。誰か、代わりの魔術師を使おうか、それとも別の戦術で戦うか。 いくつかの国を支配下に置いたことで、バジールの資源はかなり潤ったといえる。このままいけば、隣接する国の中でも大きな、ロードスやタタヤンとの戦いを要請される日も近い。戦っても戦っても終わりはない。いつまでこんなことを続けるのだろうか。いや、続けなければ。バジールを守らなければ。

トントン。

執務室の扉がノックされ、リディアは「はいどうぞ」と返事をした。扉が開き、兵士が一人、中へ入ってきた。

「どうしました?」

「報告がありまして」

ニッコリと兵士はほほ笑み、ゆっくりリディアに近づいた。第三軍にこんな顔の兵士居たかな、とリディアが思ったその瞬間、兵士が剣に手をかけた。

「いっ!!」

リディアの右腕に激痛が走る。けれど、痛みを感じている暇はない。リディアは唇を噛み、痛みを堪え自分を斬り付けたその兵士を見上げた。

「どちらさまですか?私の軍の者ではないですよね?」

額から冷汗が流れる。油断してしまった。この腕では剣は使えない。

「誰でも知っている。この国の軍事力はあなたが居なければ無いに等しい」

その言葉で、相手の大体の素性と、これから為そうとすることが分かった。リディアは内心、弱ったな、と思う。けれど、それを顔に出してはいけない。

「それはどうでしょう。マシューもいますし、優秀な兵士もたくさんいます。第1,2軍もいますし、私がいなくとも成り立ちますよ」

相手は、今度はゆっくりと剣を掲げた。

「では、試してみましょう」





「でさ、将軍が呪文を唱え終えたら、敵全員が地面にひれ伏してさ、ピクリとも動かなくなってよ」

 「そうそう、それで相手の将軍も含め全敵捕縛して終わりだよ。信じられねぇ」

「信じられねぇって言ったら、マシュー副将軍とブラック・ラジュカッシュだろ!ブラックなんて、軍に入ってまだ日も浅いのに並み居る敵をバッサバッサ切り倒したってよ。アイツの配属見て文句言ってたやつは大勢いるが、あんだけ活躍するの見ちまったらもう何も言えないわなぁ」

その酒場は、無事帰還した兵士たちでごった返していた。皆勝利に酔い、機嫌よく酒を飲んでいる。

「だってさ、お前、ますます有名人だな」

「みたいだな」

戦の話で兵士たちが盛り上がる中、ファシオとブラックは酒場の隅で静かに飲んでいた。バジールはここしばらく戦続きである。隣国の小国をリディアが簡単に落としたことをきっかけに、国の上層部は次々と戦を計画した。相手は小国ばかりであったが、それでも簡単に勝てる相手ではなかった。それでもリディアは勝ち続け、その戦に参加するたびにブラックは活躍し名を上げた。

「しかし、戦続きのお陰で、お前リディア将軍とあんまり会ってないだろう?」

「会ってるよ。前線ではいつも傍にいるし」

「アホ。仕事じゃなくてプライベートの話してんだよ!」

ブラックは苦笑した。ファシオの言うことは事実だが、ここまで気にかけ、心配されるとは思わなかった。最近、ファシオは本気でブラックの背を押そうとしているようだ。

「けど、納得いかねーよなー!!」

酔っ払った一人が酒瓶を片手に机の上に立ち上がる。足元は覚束ない。周囲はその酔っ払い兵士がいつ倒れてきてもいいようにやや身構えた。

「確かにさー。バジールは他の国を侵略してばっかりだー。毎回、第三軍が戦ってるしさー。けど、だからって、あのリディア将軍が魔女呼ばわりされるのは気にくわねぇ!!」

そうだ、そうだと声が上がる。リディア率いる第三軍は、今のところ負けなしである。しかもいつもリディアの魔術によって勝敗は決まる。彼女は、他国から『冷酷な魔女』だと批判されているのだ。もちろん、第三軍の者たちは彼女がいかに温和で戦争を嫌い、平和を愛する人間かを知っている。けれど、他国からしてみれば非道な侵略者以外の何者でもないのだ。

「リディア将軍を恨みたい気持ちはわかるけどさー戦争するの指示してるのは上層部だろ?」

「でも、彼女がそれに従わなきゃいいんだろ」

「ばーか。そんなことしてみろ。他の奴らが戦うことになるだろ?」

「別にいいじゃねーか」

「そしたら負けるに決まってるだろ!!下手したら俺ら殺されるか奴隷にでもなってるぞ!」

一瞬、その場が鎮まりかえった。

「…確かに」

その場の全員が、彼女の存在の重さに改めて気づく。ブラックは静かにその様子を眺めた。彼女は、この国の要だ。彼女がいなければこのバジールはとっくの昔に滅びているだろう。彼女がいたからこそ、バジールはここまで大きな国に成り得た。彼女が存在せず、それで戦に勝ったとしてももっと多くの隣国から恐ろしいほどの恨みを買い、やはり滅びていただろう。こうして兵士たちも気づく事実を、一番理解していないのはこの国の国王をはじめとする上層部だ。

カランカラン。

酒場の戸が開く音がして、その場の全員の視線がそこに集まる。やってきたのは酒場に普段立ち寄らない人物だった。

「ま、マシュー副将軍!」

誰かが声を出し、今は勤務時間外であるのに全員が姿勢を正し、気を引き締めた。先ほど酔った勢いで机に上った兵士は、慌てて足を絡ませ、顔から床に落っこちた。ドシンッという音の後は、皆静まり返っていた。マシューはその騒音に見向きもせず店内をぐるりと見渡すと、目的の人物を見つけ、ツカツカと歩み寄った。

「ブラック・ラジュカッシュ」

「はい、なんですか?」

マシューが珍しく取り乱している。本人は普段と同じように振舞っているつもりだろうが、顔が不自然に強張っている。

「お前に特命をやる」

ファシオが隣で面白そうにことの成行きを見守っている。

「はい、なんでしょう」

「…かなり不本意だが、オレは他の仕事でいつもついている訳にもいかないし、お前の腕は度重なる戦で証明済みだ。何より、リディア将軍に対する忠誠心は疑いようもない」

マシューの言いたいことを先に理解してブラックの顔が歪んだ。

「つまり?」

「お前にリディア将軍の警護をしてもらう」

ブラックの表情がさらに険しくなった。何かなければ、マシューがこのようなことを言い出すわけがない。よりによって、毛嫌いしているブラックに。

「なにかあったんですか?」

「ああ。まぁ、すぐに公表されることだからここで言うが、他国の暗殺者に命を狙われた。」

店内がざわめく。

「幸い命に別状はないが、怪我を負った。次がないとは言えん。それまで、彼女から片時も離れるな」

ガタンッ、とブラックが立ち上がった。

「リディア将軍はどこですか?」







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