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□第18話










自分の瞼が閉ざされていることに気づき、透はゆっくりとそれを開いた。目の前にぼんやりと自分の顔を覗きこむ誰かが見える。金色の髪の―――。

「気がついたか?」

そう言ったのはその髪の持ち主だ。

「・・・キルアさん。」

名を呼ばれてキルアは透にニッコリと微笑みかけた。寝覚めには最高だ。一般的な女性ならこれでイチコロかもしれない。

「お前が倒れたと聞いてな。どうだ?調子は。」

ああ、そうか、と透は思った。倒れたのはこれで2度目だ。一度目はまだ地上に居た時。あの時は、目覚めたとき、トシ兄ちゃんが傍に居てくれた。・・・今はキルアだ。

「もう、大丈夫です。」

透は妙に頭が冴えてくるのを感じた。頭の中に風が吹いているようだ。むくっと体を起こした。それに気づいてリュウがピョンっと透の目の前、ベットの上に飛び乗る。透はその頭をゆっくり撫でてやった。リュウが気持ち良さそうに目を細める。

「・・・それにしてはあまり顔色が良くない。無理はするな。」

キルアの手が透の髪へと伸びた。しっかりとして、尚且つ細い指。女性のように綺麗だけれどやはり男の人の手だと思わせる。その手が自分の髪をすくうのを透はボーっと眺めていた。

思考回路は回る。もし一度地上に帰ったらその後はどうなるのか。3日後、海底世界へ戻ったとして、またこのシクレ宮に訪れるのか。そして・・・。


―――またこの人の元に戻れるの?


気づくと、キルアが真剣な目でこちらを見つめていた。その手はまだ髪にかかったまま。そこに居たはずのリュウも見当たらない。

「トオル・・・。」

低く、それでいて良く響く声が透の耳へと届いた。透はドキッ、として自分が何故か少しだけ動揺していることに気づく。

「キルアさん?」

「・・・本当に、私の元へ来る気はないか?」

それは優しく、柔らかな声、表情。

「結婚とは言っても形だけだ。特に何が変わるわけでもない。そうしたからと言ってすぐに地上に帰るのは無理だ。きちんと学ばなければいけないことがたくさんある。けれど、帰れる確率はここでこうしているよりもはるかに高い。わたしのもとへ来れば何かと出来ることも増える。」

「あっ・・・。」

―――まだキルアさんに話してなかった・・・。

地上へ帰れること。3日間だけでも帰れること。そして以前にもこの世界に来たことがあると分かったこと。
透は顔を曇らせ、俯いた。

「・・・やはり嫌か?」

「ちが・・・。」

顔を上げて、否定しようとして止まった。目の前の人があまりにも悲しそうな顔をするから、声が出なくなってしまった。

「俺が・・・嫌いか?」

「そんなこと!!違う、それはありません!」

透は急いで首を横に振った。キルアはそれを聞いて少し安堵したようだった。

「ならば・・・好きな男でもいるのか?」

そう聞かれて、透はふと考え込んだ。今まで考えたこともなかった。聞かれるとも思っていなかった。

「・・・『トシ兄ちゃん』と呼んでいたな。そいつか?」

また、考え込んだ。キルアはじっと透を見つめたままで、視線をはずそうとはしてくれなかった。何だか恥ずかしくなって透は目を背けた。

「よく・・・分かりません。トシ兄ちゃんは今まで当たり前みたいに一緒にいたから、好きとかそういうことは考えてもみなかったし・・・。」

実際に、本当にそんなことは考えたことはなかった。透にとって利明は従兄妹であり兄であり、また家族でもある。そしてそれ以上でもあった。当たり前のように傍に居て、どの思い出にも当たり前に現れる。

「うん、でも好きとかそういうのは分からないけど、トシ兄ちゃんは私にとってはたぶん一番大切な人・・・だと思う。」

そう言い終えて、透はチラリとキルアに目をやる。変わらず、こちらを見つめていた。けれどその表情はとても悲しそう。ようやくキルアの指が透の髪から離れた。

「そうか・・・。分かった。・・・何かわたしにできることがあったら言ってくれ。」

そう言って、その視線も離れていった。少し名残が残る。キルアの横顔をじっと眺めた。


―――言わなくちゃ・・・。帰れるって言わなくちゃ。


透は口を開きかけた・・・が、ドアがノックされるその音ですぐに口を閉じた。

「失礼します。キルア様。」

「ああ、なんだマイホ。」

「使いが来ています。そろそろ・・・。」

「・・・わかった。」

マイホは一礼するとすぐに部屋を出ていった。

「すまない。今日はもう戻らなくては。」

透は首を横に振った。

「お仕事忙しいんですね。」

透はにこっと笑ってそう言った。その顔にキルアも安堵する。

「ああ、この前の事件以来色々とな。マイホはいるからもし体調が優れなかったらすぐにあいつに言ってくれ。」

透はコクンと頷いた。キルアはそれを見ると自分も笑みを浮かべ、早速戻ろうと立ちあがった。

「ま、待って!」

突然透がそう叫んで、キルアは目を見開く。

「どうした?」

キルアが柔らかくそう尋ねると透は少しためらった様子で、視線を落とした。

「あの・・・次にキルアさんがここに来られるのって、いつ・・・ですか?」

予想していなかった質問にキルアは首を傾げる。

「どうした?何かあったのか?」

透はすぐに首を振って「いいえっ。」と否定した。

「・・・そうだな。最近は忙しかったがもうだいぶ落ち着いてきたから・・・一週間以内にはまた来るよ。」

キルアの手が透の髪を優しくなでた。

「そう、ですか・・・。」

「じゃあ、もう行くが、本当に調子が悪かったらすぐに言えよ。」

「もう大丈夫です。ありがとう。」


キルアは透の様子を少し気にかけながらも帰っていた。


「・・・また今度、言えばいいよね。」

ぽつり、と呟いた。

リュウがまた膝の上に戻って来ていて、透の言葉にキュ?っと首を傾げた。透はリュウを自分の腕に抱いた。

「ねぇ、リュウちゃん。どうしたら良いと思う?3日だけ帰れるって言ったらきっとキルアさんビックリするよね?なんて説明すればいいんだろ?やっぱりシャイさんのことも話したほうがいいんだよね。」


―――私が過去にここに来たことがあることも。


リュウがキュィっと鳴いた。



次の日も、次の日もキルアは来なかった。




***




ジュナーと透のお茶会はマイホを加えて三人になり、だいぶ賑やかになった。ジュナーとマイホは昔からの知り合いらしく、喧嘩しつつも結構仲が良かった。ジュナーは楽しそうに昔の話を透に聞かせたし、マイホも嫌そうな顔はしているけどきちんとジュナーさんの言うことすることに反応していた。そんな二人の様子を見て透は自分と利明のことを考えた。地上に帰ったら、利明はどんな反応をするだろうか。いや、その前に海底の世界の話をしたら信じてくれるかと。

「ジュナー姫。まだしばらくここに居ますか?」

いつものようにお茶会をしようと準備しているとマイホが来たばかりのジュナーにそう言った。

「ええ、しばらくゆっくりしていくつもりだけど?」

「じゃあ、しばらく透様のことを見ていてもらえないですか?」

マイホは透の耳に入らないようにジュナーの耳元で小さくそう言った。

「・・・いいけど、どうかしましたの?」

ジュナーも小声で聞き返した。

「見張っておいてくれるだけでいいから。シクレ宮から出なければそれでいい。」

「・・・わかりましたわ。」

マイホは返事を聞くとすぐにシクレ宮の長い階段を降りて行った。

「あれ?マイホは何処に行ったんですか?」

透が3人分の紅茶を運んできた。

「何か用があったみたいですわ。大丈夫、マイホの分もわたくしがいただきますわ。」

ジュナーがニッコリと笑顔を向けてそう言うと、透も笑みを返してテーブルに紅茶を並べ、席についた。
いつものように他愛の無い話をする。



「キルア様はまだいらっしゃらないの?」

透ははい、と答えた。ジュナーがふぅ、とため息を付いた。

「お忙しいのね。・・・あなたはキルア様に会えなくて寂しくはないの?」

透はジュナーの質問に軽く首を傾けた。

「私が、ですか?」

「ええ。あなたが、よ。」

「それはまぁ、いっつも来ていた人が急に来なくなったりするのはちょっと寂しいですね。」

ジュナーは片手に持っていたティーカップをそっと下ろした。

「それだけですの?」

「はあ。」

透はジュナーの質問の意図が分からないようだった。ジュナーは少し不満げな顔をして軽くため息を漏らした。

「キルア様もお可哀想。」

「え?」

「何でもありませんわ。」

ジュナーの品のある微笑が透に向けられた。どうもいつもと違いおかしいジュナーに透はますます首を傾けるばかりだった。

「ちょっと?そこのあなた。」

透の正面、ジュナーの背後から聞きなれない女の声が飛んできた。ジュナーはすぐに振りかえって、透聞くより先に口を開いた。

「あら?ランゼラ姫。お久しぶりですわね。」

「ジュナー姫・・・。あなたもいらしていたのね。」

ランゼラと呼ばれた透と同い年くらいの女性はジュナーの姿を見つけると眉をピクリと吊り上げた。やはり綺麗な身なりをしていて、少し赤みのかかった髪をサラリと流していた。話口調や態度から少し気位の高い人に思える。透の記憶が正しければ今までに何度かシクレ宮に来たことのある人だった。ランゼラはツカツカと透のもとまで歩み寄った。

「あの?」

透が首をかしげる。ランゼラは透に険しい顔を見せて何も言わずに自分の右手を大きく振りかざした。



バシンッ。



透はやっぱり何が何だか分からないようだったし、ジュナーはその状況に一瞬驚きを見せながらもすぐに冷静になった。

「あなたの、あなたのせいよ!!キルア様がわたくしを見てくださらなくなったのは!!」

女の声が響いた。

「ランゼラ姫!!」

ジュナーがそう呼ぶと、女は一瞬怯んだようだったがそれでも何か言おうとするのを止めはしなかった。

「あなた一体何様のつもり!?」

透は起こっている事の状況も言われていることも分からなくて、ただ、たった今叩かれて赤くなった自分の頬に手を当てていた。

「どうしてキルア様のような高貴な方をあなたみたいなどう考えても身分の低い女が独占するのよ!?」

「お止めなさい!!」

ジュナーの声はもう女には届かなかった。

「キルア様はこの国の王子なのよ!?第三王子、キルア・アルナ・アルテミス。国王陛下と太陽妃様の血を継いだ東国の正当なる王位継承者なのよ!?」


透の思考は一気に回った。


「何であなたが!!」

バシッ。

女が言いたいことを言い終わるか否かの時に今度はジュナーの手が女の頬を打った。

「・・・なんて、馬鹿なことを・・・。」

ジュナーが苦く呟いた。女はキッとジュナーを睨んだ。

「ランゼラ姫。すぐにお逃げなさい。自分の仕出かした事、理解していらっしゃるでしょう?」

ジュナーは丁寧に、静かにそう言った。けれど女は鼻でふんっ、と笑っただけだった。

「わたくしの父は地官長よ?いくらキルア様だってわたくしには手は出せないわ。それよりも貴方のほうが問題よ。いくら身分が高くとも地官長を父に持つわたくしに暴力を振るうなんて。これは大きな問題ですわ。」

ジュナーは何も答えなかった。

―――愚かな人。


「あなたも、本来ならここに居て良い者じゃないのよ!!どうせキルア様のお戯れよ!早く出て行きなさい!!」

女はそう言うとさっさと階段を降りて行った。
ジュナーはそれをしっかり確認すると透に向き直った。そして驚いて目を見開いた。

「透?」

透の目からは大粒の涙が流れていた。無意識の内に視界は滲んでいた。透自身はそれに気づいていなかった。今、女が告げたことだけが頭の中を巡っていた。


「ジュナーさん、教えて。キルアさんはこの国の王子様なの?」

ギリギリで発せられる声。








「・・・ううん、それより・・・太陽妃さんの子供なの?」









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