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□第28話




「サーベル様。そろそろ・・・。」

透とサーベルとの間にしばしの沈黙が流れ、それを破ったのはサーベルの腹心の部下であるリドル・モースだった。

「あ、ああ。そうだな。トオル、先に馬車に戻っていてくれないか?」

「・・・うん。」

透はまだ目に残る雫を拭って、足早にリドルの脇を通って部屋を出た。リドルは透の動きを軽く目で追って、次に自分の主に向いた。

「何を泣かせておいでですか?」

自分の主をからかうかのようにリドルが言った。新緑の瞳にグレイのふわりとした髪。背丈も年もサーベルとそう変わらないように見える。軍の鎧を身に付けながらも、身のこなしは素早い。性格も極めて明るい男だった。
リドルを含めてサーベルの部下は、仕事の上司としてより、人間的にサーベルを慕っている者が多かった。そのせいか、サーベルが身分の高い者であっても、まるで自分の兄姉を慕うかのように接していた。お互いにからかい合うようなやり取りは日常的なもので、逆にそれがなかったらおかしいと思えるほどだった。

「馬鹿を言うな。」

「相手はキルア王子に関わるお人ですよ?手を出すならもっと手軽な方にしてください。」

クスリと笑いながらそう言うリドルに、わかってるよ、とサーベルは軽く笑って見せた。

「しかし、サーベル将軍が泣いている女性に優しい言葉の一つもかけないなんて。部屋に入る時だって、彼女が泣いていると分かったら躊躇していらしたし。」

珍しいものを見ました、とりドルが満足そうに言った。

「ああ、俺も驚いてる。女の涙に動揺したのはこれが初めてだ。・・・というか、お前、覗いてたのか?」

「ええまあ。って、ちょっ・・・将軍!ですから彼女はキルア王子の―――。」

いつものように冗談で返ってくると思っていた返事が、満更でもないといったものだったので、予想外のことにリドルは慌てた。

「恋人ではないと言ってたぞ?」

ニヤリと笑みを浮かべながらサーベルは先ほど透が出て行ったドアに手をかけた。

「全然分かっていらっしゃらないじゃあないですか!」

リドルは本気で慌て、焦りだした。その様子を見て、サーベルがクックッとさらに笑った。


「冗談だ。そう熱くなるなよ。」






***







「スペルさーん。飯まだー?」

男は、茶色く毛先の跳ねた髪を揺らしながら、少し離れた所で接客をしているスペルに手を振った。まだ若く、歳は二十歳前後だろう。無邪気に手を振るその青年にスペルはフッと笑みを浮かべた。

「はいはい、スペシャル鮭定食ね。」

「大盛りでね。」

男の催促に、呆れたようにため息を付いたスペルは厨房に一度足を運び、次にこの男のテーブルにお膳をドンッと置いた。焼き鮭に、ご飯、お味噌汁、漬物、煮物のセット。食欲をそそる香りが沸き立つ。男は満足そうに微笑んだ。

「いやぁ〜。やっぱり和食だよねー。ここでしか食べられないからさぁ。」

パチンっと嬉しそうに割り箸を割る男。スペルは呆れたように肩をすくめた。

「おまえ、この前来たときは『やっぱイタリアンだよなー』とか言ってたでしょうが。」

「んー。まあその時は。でもやっぱり故郷の食べ物が一番です。」

ご飯を口に詰め込みながら男はモゴモゴとしゃべった。食べてからしゃべりな、とスペルは笑った。

「それにダンクさんの作る料理は絶品だしね。」

「ははっ。当たり前だ。」

男の食べっぷりにスペルは満足そうに笑った。男の方は、こんがり良い色に焼けた鮭の皮を器用に箸で外すことに集中していた。

「そういえば、最近見かけなかったけど、何処ほっつき歩いてたんだ?」

スペルはお客が引いてきたことを確認して、男の前の空いている椅子に座った。

「んー。まあ、仕事。」

男は気まずそうにスペルの視線から逃れた。

「へぇ。どんな?」

スペルが机から身を乗り出すようにして男の顔を覗きこんだ。男はさらに焦ったようで、顔を逸らした。

「どんなって、普通の・・・。」

「また柄の悪い奴らとつるんだのか?」

スペルはそう言ってニッコリと微笑んだ。目は笑っていない。

「いや、その・・・・・・はい。そうです。」

男は観念したようで、潔くそう言って頭を垂れた。スペルは満足そうに、ニタリと口端を上げるとさらに男に詰め寄った。

「どんな仕事してきたんだ?」

「・・・ひ・・・。」

「ひ?」


「ひとさらい。」


はぁ、とスペルは大きくため息を付いた。男の方はスペルに頭が上がらないらしく、縮こまっている。

「おまえなー。そういうことしてるから『枇杷』の評判が下がるんだぞ?」

毎度のことに、スペルも呆れずにはいられなかった。

「分かってはいるんだけどさー。やっぱ金儲けは必要だしなー。ほら、枇杷だって金がなきゃ活動できないだろ?俺だってその辺はちゃんと考えて―――。」

「そんな腐れ金で活動したって意味無いだろが、この大馬鹿者。」

ピシッと言い放たれたスペルの言葉に男は「ひでぇ。」としょぼくれた。

「おまえももうちょっとまともな仕事を探したらどうだ?」

「そんなこと言ったってなぁ。俺を雇ってくれるとこなんていったい何処にあるんだよー。」

そう言って男は煮物をぺろりと平らげた。少しむくれた顔をしながら今度は残りわずかのご飯と味噌汁に手を伸ばした。味噌の香りは堪らない。ご飯と共に食べれば絶品だ。

「探せばある。」

「だったらスペルさんが雇ってくれればいいじゃんか。」

男は拗ねたようにそう言うと、手に持った味噌汁を全部飲み干した。

「人手は十分足りてる。それにもし雇ったら枇杷の他の奴らも雇ってくれって五月蝿くなるだろ?」

「でもちょっと前まで女の子、雇ってたって聞いたけど?」

ごちそうさまでした、とお椀を置いて、箸も揃えた。

「ああ、その子は特別だよ。人間だったみたいだしね。」

「人間?」

男は眉を寄せた。

「ああ、仕事をさせてくれって頼まれてね。他に行く当てもなさそうだからしばらく雇ってたんだ。」

「ふーん。で、今はその子どうしてんだ?良ければ枇杷に入ってもらえばいいのに。」

「ああ、東国に行くって言って辞めたよ。」

「東国?」

「ああ。」

「・・・その子、名前なんて言うんだ?」

「トオルだけど、それがどうかした?」

「いや、別に。それより、スペルさん、チャーハン追加。」

「大盛り定食食べておいてまだ食べるのか?」

「うん。俺、育ち盛りだからー。それになんか中華な気分なんだ。」

「はいはい。」

さらさらっと伝票に書き記すと、スペルは席を立ち、厨房の方へ歩いて行った。スペルの姿が遠のいたのを確認して男は「はぁ。」と大きなため息を付いた。

「まずいなー。あの子か。」

良く考えればすぐに分かったことかもしれない。


―――人間だったか・・・日本人だな。


トオルという名前で気づくべきだったと後悔した。そうであったならきっと今回の仕事には手を貸さなかったのに。むしろ、枇杷に引き入れるため助けただろう。

「まさか同じ故郷の人間とはね。」

男はそう呟いてさらに落ち込んだが、スペルの運んでくるチャーハンに気づいてすぐに笑顔になった。








***








「決行はいつに?」

窓の外は暗い。先ほどまでは随分付いていた家々の明かりも、もうほとんどが消えていた。辺りは静かだった。指先一つ、動かすにしてもその音が響いてしまうのではないかと思うほどだった。外と同じ暗い薄暗い部屋。いや、まだ油による明かりがほんの一点、部屋の中央にあるだけましかもしれない。男達はその一点の光を囲むようにしている。虫たちが街灯に集っている様子によく似ている。囁くような小さな声で会話しているため、余計にお互いが近寄らなくてはならなくて、その姿はどこか滑稽だった。

「そう慌てるな。まだだ。準備は整っているが、まだ早い。」

口元に髭の生えた40代くらいの男。どうやらこの男がリーダー格のようで、男が1,2言話すたびに、他の数名の男たちがそろって頷いていた。

「中間地点を越えたときが決行の時だ。いいな?旅の半分を終えたときだ。どうしたってそこで油断する。隙が出来る。そこを狙う。」

髭の男がニヤリと笑うと、男たちもそれを真似るように口端を上げて見せた。

「しかし、上手くいきますかね。」

一番若い、小柄な男が控えめにそう言った。全員の笑い顔が消え、その男は申し訳なさそうに縮こまった。

「ふん。安心しろ。お前が何を心配しておるのかは知らんが、この計画は完璧だ。」

髭の男はそう言って、持っていた杯の酒を呷った。周りからもその通りだ、という声があがった。けれど小柄な男の不安は消えなかった。それ以上に目の前にいる人達に、本当に付いて行って良いのであろうかという疑問まで浮かんでくる。

「お前が案じているのはさしずめ、あの小生意気な将軍のことだろう。」

余裕を見せた顔で、髭の男は小柄な男を見据えた。

「あいつは気に食わん。まだ政治のいろはも知らぬ若造が、どうしてあんなデカイ顔をしておるのか。どうしてわしがあんな小僧の元で働かなければならんのか。あんな青二才の元で!・・・だがもうそれもおしまいだ。時が来れば、あの男の首をこの手で掴み取ってやる!」

小柄な男はまだ不安げな顔で髭の男を眺めていた。髭の男らの言うことが信じられないわけではない。むしろこの人は、その腕一つでそれなりの地位を築き上げてきた人だ。直に将軍職を賜るだろうと信じている人も少なくない。自分もその1人だった。けれど、今回この人がやろうとしていることは、自国、他国を共に裏切ることだ。しかも相手は、現在将軍職を与えられている者の中で最も優秀で著名な男だ。例え完璧とも言える計画であろうとも、成功しないのではないか。そんな不安が浮かばずにはいられなかった。

「大丈夫さ。完璧だ。」

何が、と聞きたくなるのを小柄の男は必死で抑えた。流れに逆らってはいけない。そんな考えが何とかでかかった言葉を押し戻したのだ。他の男達は髭の男の言うことに微塵も疑問を持っていないようで早い祝杯をあげようと、それぞれ酒に満ちた杯を高く上げ始めた。

―――このままでいいのだろうか。このまま計画を実行してもいいのか?

この髭の男に対して、小柄な男は特に忠誠心を持っているわけではなかった。恩があるわけでもない。髭の男が優れた人であるとは思うが、その人がこれからしようとすることはそうとは思えない。この計画に荷担しているのも、この男の部下であったから、それだけだ。あわよくば、自分も甘い汁を吸おうと、そういう考えだった。小柄な男は軍人だった。けれど賢くは無かった。そして臆病だった。その性格から、この状況に流されることしか選べなかったのだ。

「どうした。お前も飲め。」

そう言って、髭の男は小柄な男に自分の持っていた杯を押し付けるようにして渡した。小柄な男は気が進まないながらもそれを大人しく受け取った。心配は要らないのだ、きっと上手くいく。そう自分に言い聞かせた。
髭の男はまた新しい酒を取り、呷っている。



その左手の甲にはナイフで切ったような傷があった。












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