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□第30話




静かだった。辺りは虫の声はおろか、風の音すら聞こえない。もちろん、人の声も。話し声も、足音も、今は聞くことが出来ない。
まだ日が陰るには早すぎる時間だった。それなのに、空が暗く感じる。波打つ海はまるで黒く滑りのある塊が蠢いているようだった。

「決行だ。」

辺りが静まったことを確認してから男がそう言うと、十数名の兵士たちが各々、目的を果たすべく散った。
男も、いざ、念願を成就させようと剣の刃を確かめた。そして、あの人物の居る所へ向かった。できるかぎり静かに、邪魔が入らないようにゆっくり進む。

男はこれからの事に喜ばずにはいられなかった。自然と、髭を生やしたその口元が緩んでくる。

男は、これからある人物を殺そうとしていた。

男はその者を嫌っていた。何よりも嫌いだった。自分より若輩で、自分より自由なその者が、どうして自分より上の立場に居るのか、それが堪らなく気に食わなかった。そして自分がその者の下で働かなくてはいけなくなった時、その感情はより一層大きくなった。自分はもっと大きくなれるのに、地位に名誉に金、それら全てを手に入れられるはずなのに。どれだけ働いても、男の地位も身分は上がることはなかった。男は段々と不満を募らせ、それは自分よりも恵まれ、高い地位を築いているあの人物へと向けられた。
憎くて憎くて仕方がなかった。自分よりも恵まれた男。自分の価値を理解しなかった者達。自分を受け入れない祖国。

―――今日、片が付く。

段々と、足取りが速くなっていった。あの者を殺したあとの開放感を想像せずにはいられなかった。やっとあの者よりも上になるのだと、そう考えて鳥肌がたった。

―――アイツを、サーベルを殺すんだ!!

男はすでに狂喜に支配されていた。







男はゆっくりと馬車の扉を開けた。多少の音はしたが、これぐらいは問題ではない。目の前に見えたその人物は睡眠薬入りの酒によってぐっすりと眠っているのだから。

腰元の剣をしっかりと握り締め、ふと、目的の人物の向かいに眠っている女に目をやる。男にとって見なれない女だった。

確か国境から旅に同行させることになった女だったな、と男は考えた。自分中心で、面倒なことは国王からの命令でも受けない人物が、一体どういう過程でこんな大事な仕事に無関係の者を同行させたか、非常に疑問に思った覚えがあった。だが、どうせ気まぐれだろうという結論に至った。今まさにこの時にはさらにそんなことはどうでもよかったのである。

―――さて、どちらから殺すか。

すぐ、眠っている目的の人物の方へ目を戻した。女などいつでも殺せる。コイツを殺して、その後その祝いに遊んでやるのも悪くない。それから殺せば済むことだ、と男は考え、剣を抜き、眠っている人物に垂直に剣を向け、切っ先を心臓へとぴったりと合わせた。

―――喜べ。一思いに殺してやるぞ。

ゴクンと唾を飲み込み、ニヤリと笑みを浮かべる。そして、一気にその体を貫こうと剣を大きく振りかざした。

「そこまで。」

女の声だった。男の首筋には冷たい空気が漂い、何か鋭いものが当たっている。それが剣先だというのはすぐに分かった。ただ、その声の女が眠っていたはずの女だったということはなかなか理解できなかった。眠っていたことに何ら疑いを持たなかったのだから仕方が無い。

「な、なぜ・・・。」

男は掠れた声しか出せなかった。透は短剣の切っ先が男の首元から逸れないように集中していた。何も答えない。

「なかなか気配を消すのが上手いな、トオル。」

男はさらに目を見開いた。たった今殺そうとしていた男が、こっちを見て笑っている。眠っているはずの男が起きている。

「なぜ・・・だ・・・?」

「剣を降ろせタスス。じゃないとその首を切られておしまいだぞ。」

サーベルはケラケラ笑って、その男、タススを見据えた。
ようやくタススは理解した。失敗したのだ。何らかの理由で彼らには薬が効いていない。いや、飲んでいないのだろう。
体は震え始め、その手で持っている剣も小刻みに振れていた。恐怖からではない。サーベルを殺せなかったという悔しさからだ。せっかく、自分の方が有利な立場になるはずだったのに。抵抗する気は起きなかった。首に短剣を突きつけられている上に、サーベルの実力はよく知っていた。それでも足掻いてみようという度胸はタススにはなかった。

サーベルはスッとその場所から抜けて、タススの剣をがっしりと握り、奪い取った。タススはすんなりと剣を手放し、そのままその場にへたり込んだ。計画は完璧で、サーベルを殺すことなど造作も無い、そう高を括っていたのだ。それが、いけなかった。相手は侮れぬ男だと、忘れていたのがいけなかった。
サーベルは、タススの剣をそのままタススに向けた。透は少し安心して小さく息を吐き、タススに向けていた短剣を降ろした。

「何故だ、薬は・・・計画は・・・。」

誰に聞いているわけでもなく、タススはぶつぶつと呟き出した。

「あんたがくれた睡眠薬入りの酒なら、あんまり好みの味じゃなくてなぁ。捨てちまった。」

サーベルがいつもの調子でそう言うと、タススは少し冷静さを取り戻したようで、サーベルを強く睨んだ。

「・・・どうして睡眠薬入りだと分かった?」

「軍事機密。第一、もうすぐ町に着くって言うのに、馬を休ませるってのはおかしいだろ?それに、お前が前々から何かをたくらんでいることは分かっていたからな。仕掛けてくるならそろそろかと思ってたんだ。」

この状況を楽しむようにサーベルがそう言うと、タススは段々と弱弱しい声になっていった。

「馬鹿な・・・。カモフラージュのために今までにも何度か酒を持って行かせたろうが・・・。」

「まあ、そうだな。前の酒は、純粋に美味かったな。感謝するよ。」

サーベルはかなり前からタススが不信な行動を取っていることに気づいていた。透と神殿でタススのことを話した時よりももっと前だ。もともと、自分の下で働くのを嫌がっているようだったし、その割には時々媚を売るような行動をする。タススの考えることなど、サーベルには簡単に予測できた。
タススはがっくりと肩を落とした。けれどすぐに何かに気づいて顔を上げる。そして再び、先ほどと同じように狂喜に満ちた顔を見せた。

「サーベル、お前はおしまいだ。」

様子の変わったタススを見て、透は何事かと首を傾げた。サーベルの方は特に動じる様子もない。

「今頃、太陽妃候補たちは死んでいる。これでお前は責任を取らされる。俺もおちたが、お前も落ちる!」

嬉しそうにそう言うタススにサーベルは鼻でふんっと笑った。

「タスス、お前がなかなか出世できない理由を教えてやろうか?」

サーベルはそう言って剣を向けたままタススに顔を近づけた。

「つまりお前は馬鹿なんだ。」

サーベルがニヤリと笑ってそう言うと、タススは真っ赤になって憤慨した。けれど、何を馬鹿にされているかも分からず、この状況で何かできるわけでもなく、苛立ちを抑えようとただ歯軋りをする。

「今の状況を見てみるか?」

サーベルは馬車の扉を勢いよく開けた。元々、タススが来たときから半開きになっていたその扉は勢いよく全開になった。その外には、数十人の男達が兵によって捕縛されている姿。うな垂れて、地に座っていた。両手は縛られている。男達はサーベルの馬車の扉が開かれたことに気づき、顔を上げ、タススの姿を発見すると、やはり、という顔をしてまた俯いた。

「・・・。」

声も無く、その状況を見つめるタスス。自分の部下たちにはもう抵抗する意思が見当たらない。透は何とも言えない気分で、その様子を見ていた。

タススは他の兵に、同じく計画に荷担した者たちのところに連れられて行く。これで騒ぎは丸く収まった




・・・はずだった。

タススは数人の兵の手を振りきり、サーベルに向かって走って来た。サーベルはさっと身構えたが、タススの狙いは彼ではなかった。

その向こう。

サーベルの後ろに立っていた透の腕を、タススはガッシリと掴んだ。あまりにも強く握られ、透は痛みに顔を歪ませた。そしてその瞬間、片手に握っていたはずの短剣が奪われた。そして今度はそれは透の首に突き付けられた。

「トオル!!」

サーベルがしまった、と声を上げた。タススはサーベルとの距離をとるように少しずつ透をつれて後退った。透も、抵抗できぬままそれに合わせて足を動かした。

「馬を、用意してもらおうか。それから、そいつらも解放してもらおう。」

形成逆転のチャンスに、タススは少し余裕を取り戻したようだった。

「早くしろ!!」

タススが喚く。すでに縄をかけられていたタススの部下たちは初めは状況を解せず、きょとんとしていたけれども、すぐに自分達は逃げれるのだと分かって表情を変えた。

「やめておけ。後で後悔するだけだぞ。」

「うるさい!!早くしろ!縄を解いて、馬をよこせ!!」

興奮しているタススは短剣を持つ手に力を入れた。透の首元ギリギリに突きつけられているその短剣が首の皮一枚を破り、細く赤い血が滲んでいた。透は小さな痛みに顔をしかめた。

「・・・分かった。・・・リドル!」

サーベルが呼ぶと、リドルがスッと前に出る。

「あいつらを離してやれ。それから・・・馬もな。」









***










「ここで太陽妃候補を連れて行かなかったところがあいつの馬鹿なところだな。」

サーベルはふぅ、とため息を付いた。タスス達は透をつれて逃げて行ってしまった。太陽妃候補たちは無事だった。タススもあの状況で冷静な判断を失っていたのだろう。タスス達にはもはやこれ以上何を出来る力も無いだろうが、透を連れて行かれたままなので外っておくわけにもいかない。万が一、透の身に何かがあれば、色々と困る。

―――王子さんにバレたら最悪だな。

考えの無いタススのことだ。透に何をするか分からなかった。それに将軍と、太陽妃候補の殺害未遂をおかしたのだ。犯罪者であるから尚更、捕まえなければならない。

「俺もまだまだだねぇ。」

冷静なように見えるが、目はそうではなかった。焦りがちらほらと見え隠れしていた。透を連れて行かれるなんてことはまったくの計算外だった。タススたちを捕らえた時点で、彼らにはもう抵抗の意思は無いだろうと勝手に思いこんでいた。甘かった。

「太陽妃候補のお姫さんたちは無事だろうな?」

隣に立っていたりドルが「ええ。ぐっすりです。」と返事をした。実は眠り薬入りの酒は他の兵や太陽妃候補たちにも配られていた。

サーベルは兵士たちには睡眠薬のことを告げ、太陽妃候補たちにはあえてそれを告げなかった。タススたちが起こした騒ぎによってパニックを起こされると厄介であったからだ。兵士達はこれくらいの状況ならば動じないだろうが、温室で育てられたような貴族の娘達はそうもいかないだろう。騒がれては困る。タススたちの計画を逆に利用するには彼らにはしばらく自分達の計画は完璧で、自分達は優秀だと思わせなければいけなかった。貴族の娘たちには嘘を上手くつくなんてことは出来ないだろうし、ちょっと脅せばなんでも話すだろうから、何も知らせないのが最善策だと考えたのだ。
今頃は別の場所で自分が太陽妃に選ばれるといった良い夢を見ていることだろう。

「では、半分、俺について来い。タスス達を取っ捕まえる。」

サーベルはそこに居る手ごろな馬を見繕ってそれに跨った。リドルや他の兵士達もそれにならう。

「追うと言っても一体何処へ?」

リドルが首を傾げて考える。

「逃げ込むとしたら・・・町だな。明るいうちは隠れておいて、夜になったら闇に乗じて他へ逃げる・・・ってつもりだろ。急げ!夜になったらこの人数じゃあ町一つを封鎖するなんて出来ないからな。夜になったら逃げられちまう。残りの者は太陽妃候補の護衛だ。日が沈む前に一つ手前にあった町へ引き返せ。万が一、タスス達が太陽妃候補を殺すことを諦めていなかった場合のためにその町に避難しておけ。」

サーベルがてきぱきと指示を出す。それにしたがって兵たちもすぐさま準備を始める。サーベルがこの若さにして将軍を務めるのは家柄からでもあるが、その能力、統率力や決断力などにあった。確かに、タススのような者は他にもいる。サーベルを妬む者は多い。だがそれ以上に彼を慕って彼に従う者の方がはるかに多い。サーベルの軍はサーベルを慕う者が集まっている。

今回、太陽妃候補の護衛の任務を当てられたのもその能力と軍の兵力を買われたのだ。それだけあって、兵達もこの状況に冷静であった。予想外にタススを逃がしてしまったものの、それもすぐに捕まえれるという自信と根拠があるように思える。


「じゃ、行くぞ!」

「将軍!」

サーベルが手綱を引くと同時に、近くに居た兵の1人が呼んだ。兵は「あれを・・・。」とある方向に指を差した。
サーベルは馬の方向を直してその兵が見つめる方向を見た。瞬時に、サーベルが何とも言えない、酸っぱい顔を見せた。


「・・・まずいなぁ。」


サーベルがポツリと呟いたその言葉を理解できたのは、恐らくリドルだけであろう。








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