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第40話




次に透が目を覚ましたとき、部屋には誰も居なかった。透はまだ体調の優れない体を引きずるようにして起きあがり、自分の部屋を出た。
地上に戻って二日目だ。一日目は、あれからずっとベッドから離れられずにいた。体は妙に重いし、利明たちは透に対しての接し方がどこか不自然だった。現実にはありえないような話をしたというのに、利明もその両親もこれといった反応を見せない。
リビングのドアを開けると、利明の母、つまり叔母が透に気づき、ニッコリと笑いかけてくれた。

「おはようございます。」

「おはよう。もう体調は良くなったの?」

透はキョロキョロと部屋を見回しつつも、その質問に頷いた。

「はい、随分。・・・とし兄ちゃんは?」

「大学よ。」

「・・・今日は平日?」

まだ曜日感覚が戻らないでいる。あちらの世界に居た時はそんなことはまったく気にしていなかったのだから仕方が無い。透はカレンダーを見て、今日の日付を探した。けれど良く考えると今日の日付すら分からなかった。クスッと隣で笑う声に、透はプクッと頬を膨らました。

「叔母さん笑わないでよー。」

「ごめんなさい。今日は日曜日よ。」

明るい声でそう言われ、透はニッコリありがとうと礼を言った。

「・・・日曜なのに大学に行ったの?」

透の質問に叔母の肩がピクッと動いた。けれど表情はニッコリと微笑んだままだ。

「ええ。サークルじゃないかしら?」

「あ、そっか。」

透はカレンダーを見たまましばし考え込んだ。

「叔母さん。私、学校に行ってくるね。とし兄ちゃん、学校にいるんでしょ?」

「・・・あら。でもまだ体調も完全に戻ってるわけじゃないんでしょ?もう少し休んだ方が・・・。」

透の叔母は明らかに動揺しているようで、目線が泳いでいた。透はそんな叔母の様子に怪訝な顔を見せたが、特に何も聞かなかった。

「大丈夫。高校の友達にも会いたいし、行って来ますね。」

後ろで叔母が何か言いたそうにしているのを、透は気づかないふりをしてリビングを出た。





***





――叔母さんの様子、絶対何かある・・・。

透は学校へ続く道を早歩きで進んだ。体は先ほどよりも随分と軽くなっていた。何としてでも利明に会わなくてはという思いが、何故かあった。透の通う高校は利明の通う大学の付属高校で、校舎もすぐ近くだった。透はまず高校に寄ってから大学に行こうと始めは考えていたが、叔母の様子を見たせいか、足が向かうのは大学の方だった。

久々に歩く道。毎朝、利明と一緒に歩いていた道だ。透は周りの景色をキョロキョロと見渡した。やはり三月も経つと随分と変わってしまうものだ。
まずは住宅街を抜ける。家からすぐのところに、ダックスフンドを三匹も飼っている家があって、その前を通るといつも吠えられる。途中、イチョウの並木道。まだ青みがかった黄色の葉が、風にサラサラと音を立てる。まだ、葉は落ちていない。
緩やかな上り坂がしばらく続く。道沿いに、小さくて可愛いカフェがある。透は利明に、よくここのパフェを奢ってもらった覚えがあった。今日も営業中のプレートが掛けられていて、お客さんが数人、中にいるのが見えた。

しばらくすると正面に川が見えてくる。フェンスに囲まれている少しだけ大きめの川。そこを川沿いに右に曲がる。小さな交差点をいくつか通りすぎ、時々曲がる。やがて大学の門が見えてくる。けれど、校舎に入るにはそこからまた随分と歩かなければいけない。
門に入ってしばらくして、透はその足を止めた。

――どこにいるんだろう?

大学の中まで足を踏み入れたのは透にとってこれが初めてだった。今まで、特にここに来るような用事はなかったし、利明にも迷うといけないから、という理由で来ないように言われていた。

「すみません、あの、柔道部の人たちって何処に居るか分かりますか?」

近くを通りすぎた大学生らしき人は、親切に場所を教えてくれた。透はきちんとお礼を言って、早速教えられた場所へ向かった。
利明が所属するのは柔道のサークルだった。利明は、どちらかと言えば華奢に見えるのだが、幼い頃からずっと習っていることもあって、様々な大会で賞を獲得していた。
透が利明の大会に初めて応援をしに行ったとき、優男の風貌な利明に、柔道着があまりにも似合わず、笑ってしまったのを覚えている。

「あの、すみません。」

威勢の良い声が響いている中に、透は恐る恐る入っていった。透の声に気づいてくれた部員の1人が近づいてきて「どうしたの?」と聞いてきた。利明とは似付かない、がたいの良い、見るからに強そうな人だった。

「あの、利・・・明さん、いませんか?」

利明のことをさん付けして呼ぶことに、少しむずがゆく感じる。部員の1人は他の部員に声をかけて利明の所在を聞いた。他の部員も、利明とは随分と違って、皆見るからに強そうだ。この中に利明が混ざっているところが透には想像できなかった。
利明はどうやらここには居ないようだった。

「多分、井上教授のところだよ。」

「井上教授?」

「あいつ、よくあの教授の所に通ってんだよ。たぶんそこに居ると思うけど。」

なぁ、とその人が他の人達に声をかけた。他の人達が頷く。

「場所を教えてもらえますか?」

「・・・さぁ。教授の研究室かどっかじゃないかな。」

何故、ここにいないのだろうか。叔母は利明はサークルの為に大学へ行ったと言っていた。それとも、他に何か用事があったのだろうか。透は妙に何か引っかかるのを感じた。


途中、少し迷いながらも何度か人に聞いて何とかその場所に到着した。扉の前に立つと、聞きなれた声が聞こえてきた。1人ではないようで、誰かと話している。内容までははっきりしなかった。
トントン、とノックして失礼します、と言って扉を開けた。そこに居た2人が透の方を瞬時に振りかえった。

「透・・・どうしてここに?」

驚いた顔をして、利明がそう尋ねた。利明の隣に居た人物が目を細め、透を見ていた。

「叔母さんが、とし兄ちゃんは大学に行ったって言ってたから・・・その・・・高校にも行きたかったからついでというか・・・。」

来てはまずかったのだろうか、利明の表情はあまり穏やかではなかった。けれど、すぐにそれも和らいで、透ににっこりと微笑みかけた。

「いや、別にいいよ。もう用事も大体済んだし、一緒に帰ろうか。」

「うん。」

利明の様子がいつものように穏やかな雰囲気になったので、透はホッとし、次に利明の隣に並んでいる人物を見上げた。この人が、井上教授という人だろうか。

「はじめまして。」

教授がにっこりと微笑んだ。この人も優しそうな人だ、と透は思った。利明も穏やかな人物だが、それはある程度その相手や状況によって変わる。この井上教授という人は、きっと根本的なところからして大らかで柔らかな人に思えた。

「はじめまして。とし兄ちゃんの従兄妹の透です。」

透は少し慌ててお辞儀をした。

「僕はここの大学の教授の井上史郎だよ。よろしく。」

「さ。透、帰るぞ。」

利明が透の腕を掴んだ。

「え?あ、うん。」

来たばかりなのに、まだ大した会話もしていないのに何故か急ぎ帰ろうとする利明に、透は首を傾げた。

「それじゃ、先生。ありがとうございました。」

「えと、それじゃあ・・・。」

教授の返事も待たずに、透は利明に引っ張られその部屋を出た。












長い道をスタスタと歩く。会話はない。
利明の表情は、また先ほどのようにやや険しいものになっていた。こんな顔の利明は、今までに一度も見たことがないと透は思った。透の持つ利明のイメージは、いつも穏やかで、どんなときも優しく微笑んでくれる・・・そういうものだった。もちろん、怒ったりすることもあった。いたずらをした時や、ちょっとやんちゃな事をして、傷だらけになって帰ったときはすごく怒られた。けれどそれでもどこか透には優しく、そう、透のためを思ってそうしているのが見て取れた。

それなのに、今透の隣に居る人物はそうではない。
利明は透にとって家族だ。本当の両親の代わりに、利明たち親子が透にとっての家族だった。そして、利明自身は、兄であり、一番身近な友でもあった。それ以上だったかもしれない。少なくとも、自分は他の人よりも利明に近いと透は考えていた。・・・今までは。
今の利明の様子を見ると、その考えは間違っていたのではないか、と思ってしまう。

「とし兄ちゃん?」

「どうした?」

その声は柔らかいけれど、表情の硬さは拭いきれていない。

「何か私、気に障ることした?」

一瞬、利明の表情が止まった。でもすぐにその口から否定の言葉が出てきた。

「いや・・・ごめん。ちょっと疲れてるのかもしれない。・・・そんな怖い顔をしてた?」

透が頷くと、利明は苦笑いを浮かべた。

「とし兄ちゃん。さっきの人・・・井上教授だったっけ?すごく優しそうな人だね。」

少し、何かを躊躇うように利明は口元を手で覆った。

「あぁ・・・。昔から知ってる人なんだ。その時はまだ教授じゃなかったけど、物知りで、色々と教えてもらってたんだ。すごく・・・親切な人だよ。」

「何を教えてもらったの?」

利明の表情が段々とまた硬くなりつつあったので、透は何か聞かれたくないことでも聞いてしまったのかと思う。

「・・・さぁ、なんだったかな。色々ありすぎて忘れたよ。それより、高校に行くって言ってなかったっけ?」

透は、あ、と足を止め、後ろを振り返った。右と左に道が伸びている。大学への、つまり今歩いてきた方の道が右。高校への道は左だ。戻ればすぐの距離だった。

「・・・ううん。いいや、また今度にする。」

また歩き出した。利明もそれに合わせる。
透は歩きながら隣に並ぶ利明の顔を盗み見た。
昨日のことが気にかかっていた。

『・・・忘れるんだ。』

何故、あんなことを言ったんだろう。透にはそれが分からなかった。けれど、利明が何かを知っているということは、確信した。けれど、透と共に海底世界に行った男の子が誰であるかはまだハッキリしない。ともかく透は何かを調べなくては、あるいは思い出さなくてはいけなかった。もう、明日にはまたあちらの世界に行かなくてはいけないのだから。グズグズしている暇はない。
けれど、利明にはもう何も聞けないだろうとは思っていた。

「どうして覚えてないんだろう・・・。」

無意識の内に、透はそう口に出していた。利明の表情が瞬時に青ざめていくのに透は気づいていない。






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