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□第42話




カサリ、と時折音がしていた。薄っすらとした意識の中で、透はその音がするのをじっと聞いていた。目は閉じたままだった。自分が恐らく、ベットの上に横になっている状態だということは分かった。けれど、それが『何処で』なのかは分からなかった。だからこそ、目を開ける事が出来なかった。
地上だろうか?海底だろうか?
地上だったならば、きっと二度と海底の世界に行く事は出来ない。行こうとしても利明に確実に阻まれるだろう。何故かそう、確信していた。

――怖い・・・。

すでに瞑っている目を、さらにギュッと瞑った。
怖かった。今まで、一番身近な存在だったはずの利明が、まるで知らない人のように感じた。何を考えているのか、まったく分からなかったし、どうしてあれほどまでに必死になって海底世界に行くのを阻もうとしたのか、見当もつかない。

――やっぱり、昔のことに関係あるんだ・・・。

今更ながら、透は自分の記憶が失われている事に恐怖を覚えた。覚えていれば、この現状が何か変わっているかもしれないのに、もっと出来る事があるかもしれないのに、それが出来ないのが怖かった。

カサリ。

また同じような音だ。先ほどから、何度か同じ音がしているが、どうやら紙のかすれる音のように思えた。白い光が瞼を通りぬけて光っている。
いつまでもそうしているわけにはいかない。透はゆっくりと目を開けた。瞼越しだった光が、今は少し明るすぎるように感じた。
戸惑いがちに、けれどしっかりと開いた透の瞳には自然と涙が溢れてきた。それが、目の前に見えるその場所が、透が来る事を望んでいた場所だということを意味する。涙で霞んでいる瞳で、辺りを見まわした。ぼんやりとしているが、見覚えのある部屋だ。数ヶ月、ここで暮らしていたのだから。自分の服も、何時の間にかこちら側のものに変わっていることに気づいた。誰かが着替えさせてくれたのだろうか。
カタンッと隣で誰かが椅子から立ちあがる音が聞こえた。

「目が覚めたのね。」

片手に持っていた本を椅子の上に置き、ジュナーは透の顔を上から覗き込んだ。

「あら?泣いてるの?」

ジュナーの質問に透は首を横に振った。

「ち・・・ちが・・う。」

透は次々と零れる涙を両手で一生懸命拭った。

「なんで・・・?なん・・・で・泣いて・・・るんだ・・ろう・・・。」

以前はこんな世界に来てしまった事に嘆いていたのに、今はこちらの世界に戻れたことに涙している。そんな自分が、透には良く理解できなかった。ただ、嬉しいと感じているのは紛れも無い事実だった。

「これでお拭きなさい。」

ジュナーがそっとハンカチを差し出した。透は泣きながら頷くと、それを使って遠慮なく涙まみれの顔をゴシゴシ拭いた。

「・・・ちょっとは遠慮して欲しかったですわ・・・。」

呆れ顔でジュナーがそう言うと、透は慌ててクシャクシャになったハンカチを真っ直ぐ引き伸ばした。慌ててきちんとしようとしたけれど、ハンカチはすでに涙の跡で大きな染みができていた。おまけに、乱雑に扱ったことでシワもしっかりついていた。

「あちゃぁ・・・。」

透はジュナーの顔とハンカチを交互に見ると、申し訳ないといった顔をして見せた。ジュナーは額に自分の手を当てて小さくため息をつくと、改めて透に向き直った。

「まあ、良いですわ。涙も収まったようですし・・・。」

そう言われて、透は自分の頬に手を当てた。確かに、いつの間にか涙は止まっている。

「・・・あなたがこちらの世界に戻って来ることができて、良かったですわ。」

透は目をぱちくりさせた。ジュナーが今サラリと言ってのけたことはつまり、透が別世界の人間だということをジュナーが知っているということを意味する。

「キルア様から聞きましたの。」

不思議そうに首を傾げる透に向かって、ジュナーはそう付け足した。透は納得がいったようで「ああ、そういうことか」と頷いた。

「・・・というか、ある程度、政務に関わる者ならばすでに全員知っていると思いますわ。あなたのこと。」

ジュナーは少し困ったような、戸惑っているような表情を見せた。

「すぐにキルア様もこちらにいらっしゃると思いますわ。・・・そうしたらきっと、あなたは王宮に行かなくてはいけなくなる。いいこと?わたくしの話しを良くお聞きになって。すでに王宮で働く多くの者があなたの存在を・・・そしてごく一部の方はシャイ・アルナ様との関係を知っています。理由は・・・細かい事はキルア様が説明してくださいますわ。それで、今のあなたの状況は――。」

ジュナーは少し躊躇って、けれどすぐに透に面と向かってこう言った。

「最悪よ。」

カチャ。

小さく音を立てて、部屋の扉が開いた。ジュナーと透はそちらに目を向けた。

「・・・目覚めたか?」

キルアが透の元に歩み寄り、すぐ手の届く位置に立った。キルアの後方に、マイホも居る。マイホはジュナーとなにやら小さく会話を交わしているようだった。

「戻ってきました。」

透はニコッと微笑んで、キルアを見上げてそう言った。

「ああ、お帰り。」

キルアもそれに微笑み返した。そして、透の首元に腕を回し、カチリとなにかをはめた。キルア突然間近にきたことで、透は少し赤くなりながら頭に疑問符を浮かべた。すっとキルアの体が離れると、透は自分の首元を見た。

「あ・・・。」

「帰ってきたら、返す約束だったろう?」

胸元に、銀色のプレートが光っていた。透はそれをそっと手に握った。やはりそれがあるとどこかしっくりくる。

「ありがとう。」

透がそう言うと、キルアは微笑んで透の額にキスを落とした。透はポンッと瞬時に顔を赤らめたが、キルアの様子がどこか慣れている感じがして、ちょっと妙な心境だった。

「透、帰ってきて早々で悪いんだが、少し不味い事になっている。」

少し曇った顔を見せながらキルアが言った。

「今ジュナーさんから少し聞いてたんですけど、何があったんですか。」

「ジュナー、何処まで話した?」

「状況は最悪で、王宮で政務を行う者は皆、透様が人間であること、そして一部の方は太陽妃様とのことを知っていると・・・。」

キルアは少し悩んで、何かに焦るようにして、透の腕を引き、立つように言った。

「悪いが、おまえには王宮に来てもらわなければならない。宮の外に馬車がある。バルもそこに居る。わたしもすぐに行くから、先に乗っていてくれ。詳しい話しはその中で。マイホ、一緒に行ってやってくれ。」

マイホはキルアに一礼し、透を一瞥するとスタスタ歩き始めた。透も残ったキルアとジュナーを気にしながらマイホに続いて部屋を出た。パタンと扉が閉まった。ジュナーは扉が閉まりきるのを見ると、小さくため息を付いた。

「それで、キルア様?国王陛下のご様子は?」

ジュナーの質問に対し、キルアは首を横に振って答えた。

「・・・そうですの・・・。」

「始終しかめっ面で、ともかく透を連れて来いと、そればかりだ。おまけに――」

キルアが言葉を濁したので、ジュナーが代わりにその続きを言った。

「・・・ロード様ですか?」

キルアは頷いた。

「ロードは逆に、連れてくるなと言う。・・・何を考えているのか、わたしにはサッパリだ。」

「双子ですのに。」

ジュナーがそう言うと、キルアは「そうだな」と皮肉っぽく笑った。その表情を見て、ジュナーは自分が失言してしまったことに気づき、少し慌てながら話しを戻した。

「・・・それで、透様はどうなるのです?」

「大丈夫だ・・・父上が何と言おうと・・・私が居る。」

ジュナーは、複雑な気持ちでその言葉を静かに聞いていた。




***





「バルさん!」

透が駆け寄ると、バルはにこりと微笑んで透に頭を下げた。バルの後ろには以前に見た、水馬の引く馬車が用意されている。

「お戻りになられたんですね。」

「すぐにキルア様も来る。出発の準備をしておいてくれ。」

透の後ろから、マイホがやや早足でやって来て、余っている一頭の馬にまたがった。

「分かった。では透様はこちらに。」

バルが馬車の扉を開け、透は礼を言ってそれに乗り込んだ。

「すまない。待たせた。」

現れたキルアに、バルとマイホは一礼した。

「急ごう。」

キルアは素早く馬車に乗り込んだ。間もなく馬車は動き出し、マイホとバルは、それぞれ馬に跨りその前後を進んだ。

「すまない。こちらに戻ってきたばかりだと言うのに。」

キルアの言葉に透は頭を振った。

「何があったんですか?」

キルアは言いにくそうにしていたが、躊躇っている場合でもないらしく、一つ一つ説明し始めた。

「・・・以前から、わたしの宮に人間であるお前が住んでいるということは知られていたんだが、太陽祭の後の日に、お前と母上・・・太陽妃のことまでも父上や一部の者に知れてしまったのだ。」

キルアは透に窓の外を見るよう促した。相変わらず、こちらの世界の空は波打ってピカピカと光っている。

「お前が帰ってくるまで、太陽祭も入れて3日間、この空はずっと暗闇だった。昼も夜も、光というものがまったく見られず、夜光魚すら姿を現さなかった。」

透の顔が薄っすらと青ざめていった。

「それって・・・。」

「すでに死した母がお前を再び地上に戻すことで、なんらかの形で反動があるのは分かっていた。恐らくこれがそうなのだろう。」

「そんな!」

透は両手を口に当てた。まさか、そんなことが起こるとはまったく予想していなかった。純粋に、地上に戻れる事に浮かれていたのだ。浅はかだったかもしれない。

「ごめんなさい、私っ!!」

混乱している様子の透の頬に、キルアの手がそっと触れた。

「大丈夫だ。民は随分と混乱しているようだが、今のところ実害は無い。お前が帰ってくるとすぐに元に戻ったし、何も心配する事は無い。それよりも、問題なのはここからだ。」

キルアの表情が突然険しくなった。

「太陽祭の夜、シクレ宮から光が上るのを見た者が居る。その者の証言と、わたしが人間をそこに住まわせているという話しから、おまえと母上の関係が知られた。父上・・・国王陛下はお前がこちらの世界にもう一度やって来たら必ず真っ先に自分の元へ連れてくるようにと命じられた。問題はそこだ。」

「お咎めを受けるってこと?」

透は心配そうにキルアの顔を見上げた。

「いや、どうなるかまったく分からない。ただ、父上は母上に・・・異常なまでの愛情と執着心を持っていた。これは有名な話しだが、父上は本来あまり細かな性格はしていないのだが、母上のこととなると別で、恐ろしいくらいに溺愛していたんだ。妻も始めは母上一人だけだった。母上になかなか子供が出来なかったこともあって、ようやく1人だけ側室を迎えたらしい。つまり――。」

「・・・大事な人を失う原因になった私を恨んでるかもしれないってこと?」

透のあまりにもハッキリとした言葉に、キルアは困った顔を浮かべた。

「・・・安心しろ。わたしが傍に居る。」

ありがとう、と透は小さく微笑んだ。

「ただ、お前は人間であり、母上とも繋がりがある。どれもお前にとっては不利な事ばかりだ。多少、嫌な思いはさせてしまうかもしれない。それだけは覚悟しておいて欲しい。」

「・・・大丈夫だよ。」

今度は力いっぱい微笑んだ。





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