top // novel / home  


□第46話




「・・・誰ですか?」

その場の緊張した雰囲気とはまったく別の、まるで平和ボケしたような口調の透の言葉が部屋に響いた。透はキルアにだけ聞こえるように言ったつもりだったようだが、運悪くルピナスの耳にも届いてしまったようだった。ルピナスは睨む視線をキルアから透へと移し変えてきた。

「誰?誰ですかですって?」

棘のある物言いでルピナスは透に近寄ってきた。見たところ十代前半で、まだ背も小さく顔つきも幼いが、それにしては物凄い迫力だった。

「私のことを知らないの!?・・・なら、自分から名乗ったらどうなの?」

信じられないといった風にルピナスが目を見開く。透は勢いに押され、一瞬たじろいだが、確かにルピナスの言っていることは正論だと思い、慌ててルピナスに向かった。

「はじめまして。草露透です。」

ピクリとルピナスの眉が動いた。

「トオルですって・・・?」

今度はピクピクッと口元が引き攣った。

「あなたが透ね・・・。そう、あなたが・・・。」

ふっふっふ、と不気味な笑い声がルピナスの口元から発せられている。ルピナスを追ってきた彼女付きの侍女たちが、これはまずいと顔を青ざめさせた。キルアやその場の者たちも嫌な予感を感じずにはいられなかった。

「そう、あなたが、私の、大事な大事なお兄様を・・・・・・たぶらかした人間ね!!!どうやってお兄様に取り入ったか知りませんけど?あなたのような人間ごときにお兄様の相手が務まるもんですか!さっさとここから出て行きなさい!ここはあなたのいる場所じゃあないわ!!」

ルピナスは見事に啖呵を切った。それに対して透は、どう反応してよいのか分からず、むしろルピナスの勢いの良さ、歯切れの良さに感心してしまい、言われたことの内容も気にならい。それどころか話の内容でルピナスはキルアの妹だということが分かり、スッキリした気持ちでいた。キルアが少し渋い顔をしながらルピナスの元に寄った。

「ルピナス。言っていいことと悪いことがある。今の言葉は透や他の人間に失礼だ。謝りなさい。」

キルアはごく穏やかにそう言ったつもりだったのだが、ルピナスにとっては予想外の言葉だったらしく、目を見開いて驚き、次にはどうして自分が咎められなければいけないのかという不満の表情を見せた。

「どうしてですの?お兄様は妹である私よりもあの人間の肩を持つの?」

「そういうことじゃない。ただ、お前は人間に対する偏見や差別心が大きすぎる。それに、彼女はこれからお前の義姉になるのだから、ちゃんとそのように接するんだ。」

キルアが先ほどよりもやや強い口調でそう言うと、ルピナスはやや悔しそうにキュッと唇を噛んだ。

「・・・こんな、こんな女を庇うなんてお兄様もどうかしちゃったんじゃないの!?」

「まぁ!!キルア殿下になんてことを!!」

ルピナス付きの侍女の内一人が、青ざめた顔でそう叫んだ。

「駄目ですわ。いくら妹君でも皇太子殿下そのようなことを言ってはなりません。」

その侍女は心配そうな顔でルピナスの前まで来ると、しゃがんでその目線を合わせてそう言った。

「あなたは黙ってて!!」

ルピナスはその侍女を強く叱りつけると、さすがに後悔の気持ちがあるのか、ばつが悪い顔をしてキルアともその侍女とも目を逸らした。

「・・・あの、私・・・あなたとは初対面だし、嫌われる覚えも無いんだけど・・・。」

透が恐る恐る話しに入ると、ルピナスはキッと透を睨みつけ、ろくにその言葉に返事をしようとさえしなかった。

「・・・ともかく。私は認めませんからね!!」

捨て台詞を残し、ルピナスはクルリと方向転換すると元来た方へスタスタと歩いていった。彼女の侍女たちが随分と疲れた顔をしながら一生懸命その後を追っていた。侍女のうち先ほどルピナスに意見した者が一人、透の前に来るとその場にひれ伏し、深々と謝罪を述べた。

「申し訳ございません。トオル様。ルピナス様はとても気難しい方で、それでいてキルア殿下を兄上様として本当に慕っておられますので・・・。」

「ブラコンだな。」

傍で一部始終を傍観していたマイホがポツリとそう漏らした。その侍女は少し冷や汗を流しながら「ええ、まあ。そうなりますわね」と答えた。

「その上、人間への差別心が・・・少々ございますので・・・。」

侍女は、透の反応をチラチラと窺いながらそう言った。

「・・・なんか、この世界では人間はあんまり良く思われてないみたいだけど・・・なんで?」

透はこの機会に今までずっと疑問に思っていたことを尋ねてみた。シクレ宮に居たときも、人間だということがばれないようにとキルアに念を押されていたし、今回も、キルアの妹であるルピナスの言動から言って人魚である人たちは人間に対して良い感情を持っていないようだった。

「色々ありますけど・・・枇杷とか・・・。」

「枇杷?」

「キルア様!そうですよ、急いでください!」

マイホが「枇杷」という言葉を聞いて、思い出したようにキルアを急かした。

「あ、ああ。そうだな。透。その話は後日わたしからしよう。」

キルアは透にそう言うと、今度はルピナスの侍女に顔を向けた。

「すまない。ルピナスのことを頼む。」

「は、はいっ。」

侍女は慌てて頭を下げた。キルアはマイホから剣を受け取り腰に付け、外套をさらりと羽織り、部屋を後にした。






宮内の透の部屋。やや大きめの机に、ゆったりとしていて金で飾られた椅子が2つ。真剣な表情で机に向かう少女と、その隣で分厚い本を片手に能面のような顔を少女に向ける男が一人。

「・・・基本はこんなところです。理解していただけましたか?」

能面のような顔でリペダがそう尋ねると透は首をコテンっと横に傾けた。

「・・・大神官になるためには、結界術・治癒術・催眠術の内、どれか一種類以上を取得していなければならない。大神官の試験にはそれらの3種類の術の試験の他、東西南北の各国の歴史、法制度、海底世界の掟、身分制度、神官制度、太陽妃制度、それに基本的な学問知識などがある。・・・でいいですか?」

もうすでに疲れきった顔で透はぐったりと机に突っ伏した。その様子を見てリペダは呆れるようにため息をついた。

「トオル様、礼儀作法が抜けています。それにたったこれだけを理解する度に疲れていては一生かかっても大神官にはほど遠い。」

リペダが冷たくそう言い放つと透はムクッと体を起こした。

「はぁ。まず、文字があんまり読めないし・・・。問題はそこだよね・・・。」

リペダは静かに頷いた。シクレ宮に居たとき、いくつもの書物に囲まれていたためある程度のものは読めるようになっていたがそれでも完全ではない。おまけに、この国、世界のことを学ぶとなると読むだけでなく、当然ながら書くことも必要だった。ここ数日でそれを教え込まれ、まだ完璧でないにしろなんとか最低限のものは読み書き可能になり、今日ようやく、大神官になるための第一歩を踏み出すことができたのだ。

「まあ、それはそのうち慣れるでしょう。」

「失礼するわ。」

ズカズカと部屋に入り込んできたのはやはりルピナスだった。透はそこまでではないが、リペダの方は明らかに迷惑そうに顔をしかめた。だがそれも一瞬のことで、すぐさまいつものすました顔に変わった。

「あら。まだこの宮に居座っていたの?早く出て行ったらどう?」

ここのところ毎日、ルピナスは秋宮に顔を出していた。そして決まって透に絡み、宮を出て行くように言うのだ。

「ルピナス王女。何度も申し上げていますが、ここはキルア王子の側室の部屋にございます。王女と言えどもそう勝手に足を踏み入れて良い所ではございません。」

リペダはあくまでも丁寧に王女に対してふさわしい態度と口調でそう言った。

「・・・側室ねぇ?前から思ってたんだけど、キルアお兄様の側室だって言うんならもう少しましな格好をしたらどうなの!?その服!下々の者だってもっとマシなものを身に付けるわ。侍女たちだってそこまで質素なものは着ていないし・・・本当に、王族を馬鹿にしてるの?」

ルピナスはジロジロと透の格好を見回した。透は若干後退った。

「失礼ながら、ルピナス王女。トオル様は人間でいらっしゃいます。こちらの文化にはまだ不慣れな上、この宮には侍女がまったくといっていいほどいません。」

リペダは透とルピナスの間にスッと入ると落ち着き払った口調でこう続けた。

「ですから、服の着方すら分からないのです。」

以前透がした言い訳と同じだった。透はどうしていいか分からず、リペダを見守った。この場は彼に任せるしかない。

「わたくしどもも、どこかに相応しい女官、侍女を探しておりますが、何しろここはキルア様の住まう秋宮です。人選は慎重に行われなければなりません。ですからなかなかそういった者は見つからないでいるのです。」

リペダがそこまで言うと、ルピナスはグッと押し黙り悔しそうに唇を噛んだ。随分と遠まわしな言い方だが、リペダは透を上手く弁護したということだ。

「・・・ならば、良いわ。仕方ないわね。でも、ずっとそんなことを言っているわけにはいかないでしょ?仮にも、お兄様の側室な訳だし・・・。」

「仮にも、ではなく、実際に側室でいらっしゃいます。」 

「じゃあ私の侍女をお貸ししますわ。」

リペダの指摘を丸々無視して、ルピナスは後ろに控えていた侍女たちの方を向いた。

「ナージャ。これからしばらく、あなたはこの女付きの侍女になりなさい。」

ルピナスはビシッとそのナージャという侍女を指差した。先日、ルピナスのキルアに対する態度を咎めた侍女だ。

「そ、そんなぁ!!ルピナス様。私はルピナス様の傍を離れるわけにはいけませんわ!!」

ナージャは必死な表情でルピナスにしがみついた。

「あら。侍女は他にもいるし、問題ないわよ?」

「いいえ、駄目ですわ!!ルピナス様は放っておいたら何をなさるか分かりませんもの!!」

「なんですってぇ!?王女である私になんてことを!!」

随分とハッキリとものを言う侍女だな、と思いながら透は言い争う二人を放って再び机に向かった。リペダも同じく、この言い争いは長くなるだろうと、透に文字を教え始めた。






back / top / next // novel  
Copyright(C) Fuki Kayami all rights reserved.
inserted by FC2 system