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□第49話




 いつものように、リペダに勉強を教わる時間だった。透はじっと椅子に座って待っていたが、一向にリペダの現れる気配がない。傍に仕えていたナージャも首を傾げ、部屋の前にいた兵や宮に仕える者たちに聞いてみたが、誰も答えられるものは居なかった。原因を突き止め、リペダを早く呼ぼうとするナージャに対し、透は特にその必要はないと告げた。何か急な理由があるのだろうと思ったのだ。リペダはここ数日で知る限り、随分と几帳面で抜け目のない男のようだった。約束していたことを忘れるはずもないだろうし、時間に遅れることも今まで一度たりともなかった。

 しばらく待ってみようと透が提案し、ナージャもそれに従い、透の傍に落ち着いた。透はぺらぺらと書物をめくった。透のために用意されたこの世界の歴史書や、法律についての書物だ。例えば、地上の学校でこういったことを無理に学ばされれば嫌気がさすだろうけれど、リペダに教えてもらうのは全く苦にならなかった。教え方が良いのか、環境が良いのか。無理に覚えろと言われるわけでもない、テストがあるわけでもない。地上への一歩として覚えるのだ。目標があるのが良いのかもしれない。
ペラペラとまた捲っていって、ふと、その手が止まった。

『人間に関する身分、取り扱いについて』

 そのページの分をじっくりと読んだ。自分はこうして何に困ることもなく過ごしているのに、他の人間たちはとても苦労しているのだ、そう思うと、透はなんだか申し訳ない気持ちになって胸が痛んだ。『枇杷』についても良く考える。こちらの世界での人間の立場について、今まで考えたこともなかった。地上からこの海底世界に紛れ込んでくる人は少なくないらしい。もちろん、多いわけではないが、年に数十人はやってくるという。そうやってこちら側の世界に紛れ込んでしまった人たちはそれ専用の機関に保護される。もちろん、保護されるまでにも、色々とあるのだが。保護された後は、働き口や宿を提供され、海底の住人として過ごさなければいけない。知っている人のまったく居ない世界で、一からの生活を始めなければならないのだ。

「遅れて申し訳ございません。」

ふと顔を上げると、リペダが相変わらずの考えを読み取りにくい顔でそこに立っていた。そんな表情では、何かが起こったのか起こっていないのか常人には判断できまい。

「うん。」

透は机の上に広げていた本を重ね、隅の方へと片付けた。そしてリペダが隣に座れるようにスペースを空けた。

「いえ、今日は申し訳ありませんが、勉強は中止です。」

リペダが丁寧にそう断ったので、透もナージャも首を傾げた。

「リペダ様。・・・やっぱり何かあったのですか?」

そう聞いたのはナージャで、透も同じことが聞きたかったので、ナージャの質問に対する返答をリペダに求めた。

「ええ。少しばかり問題が。」

ナージャと透は顔を見合わせた。

「近隣の町に、枇杷が現れました。」

「まぁ!!」

ナージャは大きく驚いて声を上げた。透はゴクリと息を呑んだ。

――私以外の人間が・・・近くにいる・・・。

透は、なんだか妙に胸がドキドキするのを感じた。すぐ傍に、同じ人間が居るのだ・・・。

「まあ、それよりも、わたしにはこちらの客人のことの方が問題なのですがね。」

「まぁ!!自国の王女に向かって失礼ね!」

リペダの後ろからひょっこり現れたのは予想を裏切らず、ルピナスだった。

「いくらお兄様の側近だからって!」

プリプリと怒りながら、ルピナスはズカズカと部屋に入り込むとリペダが座らなかった椅子に何の断りもなく座った。

「ルピナス様は今日はどういった御用で?」

ナージャがそう聞くと、ルピナスはそっぽを向きながら不機嫌そうに答えた。

「枇杷のことで王宮が騒がしかったから、鬱陶しいから抜け出してきたの。」

「お供も付けずに、だそうです。」

リペダが横からそう補足した。

「まぁ!!一国の王女がお供も付けずにであるくなど聞いたことがございませんわ!!」

ナージャが叫びにも似た声でそう言い、残る三人はその声に思わず耳を塞いだ。また二人の言い争いが始まるな、透とリペダは思った。こうなっては、二人の気が済むまで言争ってもらう他ない。

 窓の外で、いくつかの馬車が近づく音がした。すぐ傍まで来ると、その音は止まった。しばらくすると、宮内がざわざわと騒がしくなってきた。

「・・・何かあったのかな?」

透がそう呟くと、言い争っていた二人も一度休戦し、耳を澄ました。リペダがナージャに様子を見てくるようにと指示し、ナージャはスッと部屋を後にした。

「きっと、枇杷のことで何かあったんでしょうね。王宮内でもかなり問題にされていたから。」

ルピナスが、大人びた口調でそう言った。

「そうでしょうね。枇杷はここ数日随分と派手に行動していたようですし。」

リペダもそう頷いた。詳しいことが分からない透は、話しに入れずにいた。興味のある話であるのに、自分ひとり何も良く分かっていない。
パタパタと廊下を走る音が聞こえてきて、ナージャが急ぎ足で部屋へ入ってきた。

「キルア殿下が、お帰りです!」

ナージャはやや息を切らせながらそう告げた。

「キルアさんが?今日も忙しいから遅くなるんじゃなかったっけ・・・?」

確認するように、透はリペダの顔を見た。

「そのはずでしたが・・・。」

リペダも軽く首を傾げた。

「すまない、邪魔をする。」

「キルアさん!」

自分の名を呼んだ透に、キルアはにっこりと微笑んだ。やや疲れの窺える顔だったが、まだ余裕はあるようで、透はどこか安心した。

「お兄様!お帰りなさい!」

ルピナスは嬉しそうにキルアに駆け寄り、抱きついた。

「ルピナス、来ていたのか。」

キルアは抱きつくルピナスの頭を撫でて、顔だけリペダに向いた。

「お帰りなさいませ。・・・何か問題がございましたか?」

リペダは何かがあったことを察し、いつもに増して真剣な表情を見せた。ナージャも侍女としての顔になり、すぐに動けるように耳を傾け、傍に待機していた。

「枇杷がこちらに向かっている。」

ぱっと、全員がその言葉に反応した。

「それって、枇杷がこのルポに来るってこと?」

「いや、正確には違う。ここ、ルポではなく隣町のジッタという町だ。」

キルアの返答に透は首を傾げた。

「こちらに向かっているっていうことは、とうとう枇杷を捕まえる時が来たってことね。」

ルピナスが嬉しそうにそう言ったので、キルアは顔をしかめ、透は不安になった。ナージャはルピナスの言動に驚き、慌てて注意しようとしたが、リペダがなぜかそれを止めた。

「・・・そういうことだ。枇杷が今向かっているのはジッタだが、ここまで王都に近づいてきた以上、放っておくわけにはいかない。」

キルアは複雑な表情を浮かべ、ちらりと透の様子を窺った。透は案の定、不安そうな顔でキルアを見つめている。

「枇杷がジッタに着くのは?」

リペダが冷静にそう尋ねた。

「おそらく明日。それを、待ち伏せして捕らえる。ただ、その者が枇杷であるという目印があるわけではないから、随分と困難極まりそうだがな。」

キルアは、リペダに向かってやや強い口調でこう付け足した。

「いくら国の軍であろうとも、枇杷であり、その計画に加担したというはっきりとした証拠がなければ捕まえられないだろうしな。」

リペダは薄っすらと口端を上げ、一言「承知しました」とだけ言った。キルアはリペダの返事に、同じく微笑み、次に透に向かった。

「同じ人間だ、気になるのは分かるが、罪を犯してしまった以上仕方ないんだ。わかってくれ。」

透はうつむいて、返事できずにいた。

「明日、ジッタに向かう。おそらく心配はないと思うが、隣町だけに枇杷の者がこの付近に逃げてくる可能性がある。宮の内外の警備はしっかり頼む。」

「分かりました。」

またリペダが返事をし、その隣でガタンッと音がした。透が勢い良く立ち上がったのだ。

「あの!私も連れて行ってください!!」

一瞬、何を言い出すのかと全員が目をぱちくりさせた。

「と、トオル様?それはちょっと・・・ねぇ、キルア殿下?」

ナージャが遠慮がちにそう言い、キルアに何か言って欲しいと目線を合わせて訴えた。

「・・・駄目だ。」

「何で!?」

透はキルアにジィッと目で訴えた。キルアはできるだけ透と目を合わせないようにわざと視線を外した。

「トオル様。キルア様は遊びでジッタに行くわけではないのです。」

リペダはずいぶんと冷たくそう言ったのだが、透はめげなかった。

「私も遊びで行くつもりじゃない!この目で、こっちの世界に来た人間を見たいだけ!」

「・・・。」

しばらく、沈黙が続いた。今にも透に対して文句を言い出しそうなルピナスの口を、ナージャがしっかりと塞いでいた。キルアはしばらく考え込み、すぐに諦めたようにため息をついた。

「・・・いいだろう。ただし、ジッタに居る間はほとんど一緒に居てやれないだろうから、必ずリペダと行動をともにすること。いいな?」

その言葉に、リペダがピクリと反応したが、何かを言うわけではなかった。

「もちろん!!」

透は、嬉しそうに笑った。


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