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□第52話




ガタッガタン、と大きな音がなっている。男の怒鳴る声と、別の男の小さな悲鳴、そして大勢の人たちが走る足音が聞こえる。この部屋の唯一の出入り口であるあの扉の向こうからだ。窓の外からの脱出は不可能だった。
ナージャは必死になって思考をめぐらす。ナージャだけならそこからでも抜け出せるだろう。この場所は3階だったが、どこかの出っ張りを足場にしながら降りれば、どうにでもなる。しかし、今は一人ではない。ナージャの腕の中では、まだ13歳のルピナスが震えていた。
ダンッ、とまたも大きな音がする。それと同時にルピナスの肩がビクッと跳ねた。ナージャがきつく抱きしめて「大丈夫ですよ」と声をかけた。どんなに強気であろうとも、ルピナスはまだ13歳で女の子なのだ。この状況が怖くないはずがない。

――なんとかしなくては・・・。

この状況は一体なんであるのか、もちろん気にはなるが考えている余裕などなかった。扉に目をやった。この町の庁舎は、それほど立派なものではない。その木製の扉も、斧を一振りすればすぐに破られるだろう。このままここに留まり隠れ続けるか、それとも思い切って扉の外に出るか。

「おい、この部屋は見たか?」

ギクリと心臓が鳴った。声は確実に扉のすぐ向こう側から聞こえる。

「いや、まだだ。・・・鍵がかかってるな。」

ガンッ・・・ガンッ・・・。

無理やりに鍵をこじ開けようとする音が聞こえた。一つ一つの音が体をビクリと振るわせた。ルピナスの震えは止まらず、ナージャの顔を心配そうに見上げた。二人は寝台の影に小さくうずくまった。

バキッ!

木の割れる音が響いた。とうとう部屋に入られてしまったのかと、ナージャはぎゅっと目を瞑った。そしてゆっくりルピナスの体を自分から離した。ルピナスは不安そうに首を傾げた。ナージャはルピナスの耳元で、ささやくよりも小さな声を出した。

「声を上げず、音を立てず、このままここでお待ちください。」

ルピナスは不安そうな顔で、しかし大人しく頷いた。ナージャはすぐ傍のテーブルの上のペーパーナイフをそっと握った。

「ぐっ!!」

ナージャが立ち上がり、侵入者二人に姿を見せた途端、そのうちの一人が苦痛の声を上げた。その光景を目にして、ナージャはホッと息を吐いた。キルアの近衛隊長であるバルが、侵入者の一人の腕をその背の方まで捻り、動きを封じている。

「この庁舎はすでに我々の軍に包囲されている。大人しくすることだ。」

侵入者の腕を掴むバルの手に力が入った。侵入者は顔をさらに歪めた。

「・・・くそっ!!」

もう一人の侵入者は、この状況にどう対処すれば良いのか分からずにいたが、すぐに自分の後方のナージャの存在に気づき、ナージャを人質にしようと手を伸ばしてきた。

「ナージャ!」

隠れていたはずのルピナスが思わず身を乗り出した。ナージャは伸びてきた侵入者の手をパシンッと払いのけ、そのままその背後に回り、ピッと相手の首筋に先ほどのペーパーナイフの切っ先を当てた。

「こんなものでも、喉を切れば殺せますよ?」

侵入者の動きは完璧に封じられた。ルピナスがヘナヘナと床にしゃがみこんだ。一連のナージャの動きはただの侍女の為せる技ではない。

「すごい。」

感心し、無意識に発せられた言葉は透のものだった。バルの後ろから、この部屋へとゆっくり入ってきた。

「透さま。お帰りだったんですね。」

まるで今までの騒動がなかったような爽やかな口調で、ナージャはそう言った。

「うん。遅くなってごめんなさい。二人とも無事?」

「ええ、大丈夫です。」

透の後ろからさらに兵士達が数名入ってきて、バルとナージャが押さえていた侵入者二人を連れて行った。

「バル・・・。」

それを見て、透がやや心配そうにバルを見上げた。そして申し訳なさそうにバルの表情が曇る。

「申し訳ありませんが、一度捕まってしまえば立場上、我々は何も・・・。」

透はうつむいた。今回の侵入者は枇杷の一味だった。春一から枇杷の計画を聞いた透とリペダはまず、ルピナスの身を案じて庁舎へと向かった。その途中、町に潜伏していたキルアの軍の者に事を簡潔に説明し、協力を求め、透はバルとともに庁舎へ、リペダは春一の元へと分かれた。本当ならば、枇杷は捕らえずに逃がしてやりたかったが、軍の協力を求めるにはやむを得なかった。そうでなければルピナスとナージャはどうなっていたか分からなかった。

「大丈夫でしたか?ルピナスさま。」

透たちの隣でナージャはまだしゃがみこんでいるルピナスを抱きしめていた。

「大丈夫よ。王女はこんなことじゃ動じないんだから・・・。」

そう言いながらも、ルピナスはナージャにしがみ付いて顔をうずめた。ナージャがなだめるようにその頭を撫でた。そして、撫でながら顔を上げた。

「一体、先ほどの者たちはなんだったんですか?」

「枇杷の一味です。これで安全だとは思いますが、一応兵士を数名待機させますので。」

バルの言葉にナージャはぺこりと頭を下げた。

「それでは、失礼します。トオル様もこちらにいらっしゃってください。リペダが居ない上に、今外に出るのは危険ですので。」

「分かった。」

バルが部屋を出るのを見送って、透は視線をルピナスに向けた。まだ、ナージャにしがみ付いて震えていた。

「もう大丈夫だよ。」

そう言って、頭を撫でようとした手はルピナスにパシンッと払いのけられた。軽くショックを受けつつも、この調子なら大丈夫だろうと透はどこか安心した。

「申し訳ありません!」

いつものようにナージャが謝ってきたが、透は静かに首を横に振った。ナージャとルピナス。この二人を見ているとどこか心が温かくなるように感じる。母親と子のように見える。もちろん、ナージャは母親と言うには若すぎるし、その子供というにはルピナスはもう随分大きい。そう見えるのは、二人がお互いに大切に思っているのことが十分に伝わってくるからだ。

「羨ましいな・・・。」

ポツリと呟いたその言葉は、透自身にしか聞こえてはいないようだった。この世界に、ナージャとルピナスのような関係である相手が自分にもいるだろうか。透は考えてみる。

――とし兄ちゃん・・・。

一瞬、利明の顔が浮かんだが、首をブンブン振ってその考えを追い出した。今の利明は、何かを隠そうとしていて至極不自然だ。それが透の不安を膨らます。以前なら、互いに何でも話せた。家族以上の関係だった。けれど、今はそう言い切れない。

――じゃあ、お母さんとお父さん・・・?

そう考えて、余計に落ち込んだ。もう何年も会ってはいない。そのことにはもう慣れたが、自分のことを抱きしめてくれる人などどこにもいない、そう考えるととても悲しくなった。









「深追いはするな。この町の者を守ることを優先させろ。」

キルアは近くの兵にそう指示を出した。兵士から兵士へと指示が渡る。貴族の宮を襲おうとしていた枇杷は何かを為出かす前に姿を消していった。
今現在、キルアのいる宮でも、枇杷は姿を見せなかった。しかしここに現れなかったわけではないようだ。宮内にあった貨幣がいくらか消えており、それが街道にばら撒かれているという情報はすぐさまキルアの耳に伝わった。しかし、枇杷の仕業であるという証拠もなければ、枇杷自体の姿も見当たらない。そして、キルアの私兵は有能な者が多い。キルアの近衛軍の隊長であるバルはこの場にいないが、よくまとまっていた。命令は忠実に実行された。決して無理に枇杷を追いかけたり、捕らえることはしない。そして、人命を第一に動いていった。まだ、この時点で捕らえられた枇杷は庁舎で捕らえられた数名だけだった。

――リペダは上手くやっているようだな・・・。

キルアは密かにほくそ笑み、次の指示を出した。





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