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□第57話




パタパタパタパタ・・・ダンッ!!

回廊の方から激しい足音が聞こえ、キルアは書類の向き合うのを一時中断させた。激しい音の後、小さな咳払いとノックが聞こえ、何事かと眉を顰める。

「入れ」

キルアが一言そういうと数々の音の主がやや焦った様子で入室し、頭を下げた。

「キルアさま!たった今、門兵に何者かがこれを」

バルはクルリと丸められた羊皮紙をキルアに差し出した。キルアはそれを受け取るとすぐさま中を確認し、やや冷たい表情でそれを読んだ。

「・・・バル、これを持ってきた者は?」

目線は羊皮紙に向けたまま、キルアはこれといって表情を動かさない。こういったことに慣れているせいでもある。内心は、心が揺さぶられて仕方がないというのに。

「は。これを我々に渡すと同時に逃げましたが、兵士に後をつけさせました。」

「先日の騒動で捕まった5人の枇杷の解放を要求する。さもなくば東国第三王子殿下の側室は永遠に戻らない」

キルアは羊皮紙に書かれたことを口に出して読み上げるとその一文字一文字にあざける様な目線を送った。

「どうやら枇杷の連中は思った以上に愚か者のようだな」

文の続きには『3日以内に5人を解放すれば、その翌日にご側室も解放しよう』と書かれている。バルは、やや心配そうにキルアの表情を窺った。透の身を案じてのことではない。いや、もちろん透のことは心配であったが、今一番気にかかるのは目の前の人物のことである。以前から、牙を剥いて向かってくるものには容赦のない人ではあったが、今の表情はまさにそれで、冷酷な笑みさえ浮かべている。透がこの世界にやって来てからは随分と柔らかくなった。しかしそれは、透が傍に居るときに限ったことだった。これは、最近分かってきたことであるが、この人物は『透』という存在が傍に居ないときは、逆に以前にも増して冷酷になる。

「キルア殿下、どうなさいますか?」

バルの問いかけにキルアはクスリと笑った。背筋を凍らすような笑みで。

「三日後、5人の処刑を決行する」







キャッキャと、小さな子供達は透の周りをグルグルと回りながら鬼ごっこをしていた。透は床にぺたりと座りながらその様子を見ていた。十数名の子供達はそれぞれ4〜10歳程度で、それよりも幼い子供は部屋の隅で他の子供たちや時々様子を見に来る大人達が世話をしていた。透がこの部屋に軟禁されてからはほとんど透が面倒を任されている。とは言っても、やけにしっかりしている子が多く、喧嘩も少なく、してもすぐに仲直りするし、年長の子が年少の子の世話も焼いているので透はその補助に回っている。

枇杷に捕まってから今日で三日目だ。随分とのん気な過ごし方だとは思うが、他にすることもないので仕方がない。枇杷の者達がキルアにどんな交渉を持ちかけたのか透は知らない。時折顔を見せに来るシャンテやターニャに尋ねても「もうすぐだから」と言うだけで具体的なことはまったく教えてもらえない。ここがどこであるかすら、透は把握していないのだ。ここに来るまでは目隠しをされていたが、階段をいくらか下ったので、どこかの地下だと考えられる。窓が一つもないこともその予想を裏付ける。

「おーい。透。ちょっと来てくれ」

扉を半分くらい開けて、その向こうから春一が控えめに手招きをしていた。子供たちも走り回るのを止めて、目線を春一に向けた。透は立ち上がった。同時に周りからブーイングが起こる。

「えー。お姉ちゃん行っちゃうの?」

足にしがみ付いてくる子供達をなだめて、透はパタパタと春一のもとに駆け寄った。

「なに?」

「シャンテが呼んでる」

いよいよ、何か動きがあったのかと透は気を引き締めた。この場所に連れてこられて分かったことだが、シャンテは枇杷のリーダーらしい。シャンテは20歳に届くか届かないくらいの年齢にしか見えない。実際は18だと聞いた。枇杷のメンバーも何人か見たが、シャンテよりも年上の人はいくらでも居た。もう老人とも呼べる年齢の者も。けれどそれでもリーダーはシャンテであり、皆が彼女の指示に従っている。多少、大人びては見える。思慮深くもある。けれど、時折感情に走って行動するときがある。なぜ彼女が枇杷を仕切っているのか初めは分からなかったが、よくよく考えてみるとそれが彼女の魅力とも言えるのかもしれない。

「着いてきてくれ」

――ここで拒否する権利はないんだろうな。

特に拒否する理由もないしそのつもりもないのだが、なんだか少し逆らいたい気分になってそう考えてみた。もちろん、考えはしてもきちんと春一に付いていく。部屋を出たのは三日ぶりだ。目隠しを取った状態でその部屋の外に出たのは初めてだ。石造りの廊下は薄暗かったが、壁にかかるいくつかの燭台はオレンジ色の光を持っていて暖かかった。左右に扉が数箇所あった。思っていた以上に広い。やはりどこにも窓は無く、ここが地下にあるという考えは深まった。春一は左側の手前から二番目の部屋の扉をノックした。

トントン。

「はい」

「入るぞ?」

春一がそう言って扉を開ける。ギィと軋むような重い音がした。部屋の向こうにはシャンテ、そしてその隣にターニャが立っている。シャンテは、ギリッと歯を鳴らした。そして部屋に入ってきた透を一瞥した。

「ハル。あの5人とその子を交換するって計画だけど・・・」

シャンテのその言葉に、ようやく自分がどう利用されていたが分かった。しかし、透はシャンテの表情があまり思わしくないことに気づいた。視線は低い位置にあって、それ以上あがろうとはしない。

「失敗したわ。5人は今朝早くに処刑されたの」

ギリリと、シャンテは歯を食いしばる。ギュッと握られたその手からは血が滴った。春一は5人の死を聞いて驚きはしたものの、すぐに冷静になり血の流れるシャンテの手をそっと握った。

「やめとけ。それ以上強く握ったら傷が残る」

シャンテは涙こそ流しはしないが悔しそうにして俯いた顔を上げずにいた。ターニャが薬を持ってきてシャンテの手のひらに塗った。ガーゼと包帯をそこに巻く。

――処刑・・・?

いったいどういうことであろうかと透は考えた。捕らえられた5人になんらかの処罰を与えることは知っていた。それがキルアに一任されたことも。しかし、まさか処刑されるなどとは透は夢にも思わなかった。

――どうして・・・。

枇杷を逃がすことにキルアは反対しなかった。むしろそう促してくれたのがキルア自身だ。枇杷はいくつもの犯罪を犯しているが、その理由が人間であるために迫害されていることと深く関係しており、人間への対応を少しでも緩和させようという考えからきていることも、キルアは十分に理解しているはずだった。立場上、枇杷を放っておくわけにはいかなかったが、それでもまさか処刑などということまでするとは考えられない。透には信じられなかった。

「あなたも、あの王子に見捨てられたと考えるべきね」

二人になだめられて落ち着きを取り戻したシャンテは透に向かってそう言った。

「三日以内に5人を解放しなければあなたは永遠に帰らない、とあの王子に伝えた。けど、5人を殺すってことは、あなたも見捨てられたと考えるべきだわ」

予想外の状況に、透は何も考えられずにいた。今まで、一度だってキルアに見捨てられるようなことはなかった。たとえ透がキルアの負担になるようなことを仕出かしても、それでもキルアは透を迎え入れてくれた。

――見捨てられた?

シャンテの言葉が頭に響く。

「あの男、許さない」

ターニャはそれに頷き、春一はちらりと透の方を見た。

「大丈夫か?」

放心している透の肩に春一は手を乗せた。

「もし、気が向いたら俺らと一緒に来ないか?人間ばかりだから何の心配も無いし・・・」

透は春一を見上げた。すぐそばではシャンテがまだ悔しそうに口を一文字に閉ざしている。

「人魚たちはみんなそう。人間をゴミのように扱う。あたしたちがしていることだって、犯罪ではあるけれど相手は私腹を肥やす下衆野郎ばかりだし、誰かを傷つけるわけでもない。それなのにあの王子はそんな馬鹿貴族ばかりに味方して、私達がどんな暮らしをしているかなんて考えもしないのね」

吐き捨てるようにシャンテがそう言うと、透は弾かれたように慌てて顔を上げた。

「違う!!」

突然、発言した透に三人の視線が集まった。

「キルアさんはそんな人じゃない!」

シャンテは理解しがたいといった表情を透に向けた。

「あの人は人間のことも十分に考えてくれてるし、どれが一番の方法なのかきちんと分かってる」

「それなら、私達の今の状況はどうなるの?この世界ではあたしたち人間は蔑まれながら生きるしかないのよ。本当に王子があたしたちのことを考えてくれているなら、町の人達はあたしたちのことを白い目でみなくなるはず。働く場所に困ったりしない。お金を稼ぐために身を売る必要も無い。親に捨てられる必要も、盗みを働くことも、誰かから逃げ惑うこともない。・・・そうでしょう?」

透は一瞬反論できなかった。シャンテの言葉通りのことを想像してしまったのだ。子供の泣き声や、誰かの叫び声が頭の中に響いているように感じる。けれど、その声を振り払うように頭を振ってまたすぐに次の言葉を見つけ出した。

「何もしていないわけじゃないと思う。現に、この間の事件で枇杷を逃がすことができたのは、キルアさんのおかげだもの」

透の目の前の三人が目を見開いた。けれどシャンテはすぐに怒ったように唇を瞑り、ギッと透を睨みつけた。

「枇杷は犯罪を犯しているけど、必ずしもそれが悪いことだと言いきれないって、キルアさんは分かってる!今だって、きっと何か考えがあるんだと思う!」

「考え?それは枇杷を殺すことかしら?そんな考えだったら無いほうがましよ!!枇杷のメンバーを見て見なさいよ!皆、体中にあざがある。皆、やせ細ってる。手は、指の先まで真っ黒。働く場所も限られているのに、それでも働かなくては生きていけないから泥にまみれて、爪まで割れて・・・手首に傷のある子もいる。これ以上、どうやってあたし達を苦しめる気?」

「違う!!キルアさんはそんな、人間を苦しめる気なんてない!あの人は人間も人魚も平等だと・・・」

「いいかげんなことばかり言わないで」

その声はやや震えていた。いい加減に言っているのではない、と透が反論する前に春一が透の背後からその口を手ですばやく塞いだ。

「これ以上はやめとけ」

耳元で、聞き取れるかどうかの小さな声が囁かれた。透はそっと春一の顔を見たが、その表情は真剣で、彼には似合わないものだ。それを見てしまってはもう口を開いてはいけないような気がしてきてしまった。

「・・・ハル。元の部屋に連れて行って。しばらくその顔は見たくない」

そう言われて、透は悲しくなった。

――どうして分かってくれないんだろう・・・。

そして、キルアのことも考える。このまま、あの場所には戻れないのだろうか、と。








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