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□第59話



「他のものは?これでもう全部?」

抑揚のない声でターニャはシャンテに問いかけた。ターニャのほとんど変わることのないはずの表情が、心なしか疲れているように見える。シャンテとターニャは、南国のイリデの町に開かれている市場へと訪れていた。ルポほどではないが、この町は国境に面しているため、商業は発達している。よって、市場も広い。

「待って、あと一つ残ってるから」

シャンテは茶色の紙袋の中をゴソゴソと確かめた。やはりあと一つ足りないものがある。しまったなぁ、とシャンテは思い、市場の奥の方を見つめる。買い残した物は市場のここから一番遠い場所まで行かなければ買えない。市場はほとんど回ったが、その時にきちんと確かめて買っておくべきだった。

「ごめん。ターニャ。また向こうまで・・・」

そう提案しかけて、シャンテは口を摘むんだ。ターニャの表情が、基本的にはいつもとなんら変わらないのだが、それでも何かを訴えかけているように見えたのだ。これは明らかに、不満の顔。

「・・・疲れた?」

「ええ」

静かに、ターニャは頷いた。ターニャは正直だ。文句があればそういうし、お世辞や遠まわしな表現もまったくと言っていいほど使わない。遠慮という言葉も、彼女の辞書の中に辛うじて載っているかいないか、というくらいの存在だ。シャンテは仕方がない、とため息をついた。買い忘れてしまったのは自分であるし、これから買うものは特に重いわけでもない。

「分かった。じゃあ、この辺りで待ってて。すぐに戻るから」

一人で市場の奥へと向かうことにして、シャンテはターニャに荷物を預けた。ターニャは近くに石造りの腰掛を見つけ、そこに自分の身と荷物を置いた。



男は、瞳を閉じて呼吸を整えた。次にその目を開くと目的の人物を慎重に探し出した。

――見つけた。

見つけてしまった、と言ったほうが正しいだろう。男にとってはこの任務は望むものではなかった。気が進まない。むしろ、果たさなくても良いというならば今すぐにでも放棄してしまいたかった。けれどそういうわけにもいかない。

――逆らうわけにはいかない。あの方の命令だ。

薄暗いその路地から、市場へと一歩ずつ足を踏み出した。気は進まなくとも、実行しなければならない。躊躇う気持ちを押さえてその女に確実に近寄っていった。目に映るその女は、まだ18歳であるにも関わらず一つの組織をまとめ上げている。普段から、彼女はその組織の一員の誰かとかならず行動を共にしている。だが、今は彼女の仲間らしき人物は近くには見当たらない。今、絶好のチャンスが訪れている。男はさらに慎重に女に近づいた。

「シャンテ・スピアーズ」

女は振り返った。そしてすぐさま警戒の色を見せた。

「・・・なんで私の名前を?」

シャンテは警戒しつつ、目の前に立つ男の顔やその姿を観察した。自分より年上だろうか、と冷静に判断する。長く、赤茶色のローブを羽織り、フードのせいで顔も見にくい。だが、目も鼻も口もなんとか確認できる。シャンテは今までに何人もの悪人と呼べる者達を見てきたが、目の前の男はそいつらとは違い、むしろ悪役よりも正義の味方というものが似合いそうに見えた。

「・・・キルア王子が憎いか?」

男にはシャンテの質問に答える気はなかった。なぜ名前を知っているのかなど、言ったところでどうなろう?無駄なものは省き、迅速に行動しなくてはならない。なぜそのことを知っているのか、とシャンテは再び質問をしかけた。けれどその質問を口に出す前に、この目の前の男はきっと答えてはくれないだろうと考え、新たな質問は保留にして先の男の質問に対して素直に頷いた。そしてハッキリと答える。

「憎い」

憎くないわけがない。心の中でシャンテは毒づいた。人間を追い詰め、仲間を殺した者を憎く思わないわけがない。死んだ五人の顔が浮かんだ。せめて、墓だけでも作ってやれないだろうか。

「では、復讐する術を教えよう。こちらに来い」

男は先ほどの薄暗い路地へと足を進めた。初めから、シャンテがどう答えるか知っていたように思えた。いや、実際に知っていたのだ。男には確信があった。シャンテは確実にキルアを怨んでいる。シャンテが『仲間を5人殺されたこと、さらに人間がこの世界で蔑まれていることが全て王族のせいである』と思い込んでいることを男は知っていた。だからこそ、必ず付いてくると思っていた。そして事実そうだった。

言われた直後は戸惑いを見せていたシャンテも、男との距離が離れるにつれて焦りだし慌ててその後を追った。ふと、脳裏に待たせているターニャのことが過ぎったが、すぐに戻ればよいのだという結論に達し、そのまま足を速めた。正体の分からない男に付いて行くなど、冷静な人間ならばしない行動だ。シャンテはそれを良く理解していた。けれど、足が勝手に動くんだから仕方がない、ともう一人の自分が言う。
男は密かに苦痛の表情をみせた。歩調は力強い。けれど、ズッシリと重量感がある。

――上手くいきそうだ。

男の、正確には男の主である者の計画は成功しそうだった。けれど男の表情が優れないのはなぜだろうか。

――あとは俺自身が防げばいい。

路地の少し奥まったところまで着くと、男は足を止めずにギュッと目を瞑り、今度は勢い良くそれを開いた。それと同時に、着いてくるシャンテの方に体をグルリと向けた。シャンテはそれに合わせて進むのを止めた。次に男が口を開くのをジッと待っている。
これから男がしようとしていることは男の得意技だった。それは完全にそれを使おうという強い意思と、並々ならぬ集中力を必要とする。少しの迷いがあっても駄目だ。男は集中した。この男がそれを得意とすることを知る者は少ない。この男は、周りからの評価以上に多才なのだ。

「良く、聞け」

重低音とも呼べる声がシャンテの脳内によく響いた。



「ごめん。お待たせ」

急いで戻ってきたのだろう。珍しく少し額に汗を掻きながら、シャンテはターニャに笑いかけた。15分ほどであろうか。妥当な待ち時間だ、とターニャは思った。シャンテはそのクルリと巻かれたパーマをフワリとかき上げた。大人びたその容姿は、どこか色香を匂わせる。暑そうにして、荷物を持っていない片方の手で必死に扇いでいた。

「ええ」

ターニャは持っていた薬草ポケット辞典をパタンと閉じた。そんなものをいつも持ち歩いているのだ。ターニャは人一倍勤勉であり、特に薬学に関しては知的好奇心が高い。それらを学ぶことを苦としないので、より多くの知識を頭に詰め込むことができるのだ。実家に薬草の庭園を作っており、それを育てたり、摘んだりしているときなどは、いつもの無表情さが嘘のように満面の笑顔を見せるという。

「ちゃんと買えた?」

ターニャの質問に、シャンテはパンパンに詰まった茶色い紙袋を高々と持ち上げた。艶やかな口元が三日月の形をつくる。

「そう、じゃあ帰りましょう。今日は会議をするんでしょう?」

抑揚のない声が、淡々と紡がれていく。シャンテには、ターニャのその感情の入っていない声を不快に思うことはない。逆に、耳に響きすぎる声や暗すぎる声で話されるよりも何倍も良いと以前に言っていた。

「そうね。今日の会議は、重要だもの」

シャンテは、真剣な表情で歩き始めた。当然のようにターニャもそれに続く。

チクタク、チクタク。

妙な音が、シャンテの頭の中で鳴っていた。けれど不思議なことにシャンテにはそれが気にならなかった。

チクタク、チクタク。

音は鳴り続けている。

「今回はどうするつもり?」

ターニャの質問に、シャンテはニヤリ、と微笑んだ。

「とても良い計画があるわ」

チクタク、チクタク。





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