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□第61話



 町の一角はそこだけ異様な熱気に包まれ、街灯だけでなくその付近の家屋の明かりが全て灯されていた。夜明け間近のときである。
 薄暗いその街路で、このルポの町を守る警備兵がポカンと口を開けて突っ立っていた。
 繰り返すが、夜明け間近である。辺りはまだ暗い。普通ならば聞こえてくるのはごく小さな風の音くらいであろう。しかし、今夜はまったく違った。本来静まり返っているはずのその町は、まるで太陽の昇りきったころの市場のように賑わっていた。
 その一帯の家々の明かりは全て灯され、空から降る何かが、その光を一筋残らず反射していた。キラリキラリとそれは絶えず降り続けている。金色や銀色。時には透明で、時には光を反射して七色に光るものもあった。刹那、人々はそれが夜光魚であると思った。色とりどりで、光を放つ。どう考えてもそれ以外には思い浮かばなかったのだ。けれど違った。夜光魚は今宵も輝いてはいるものの、この夜の町の異様な明るさに気配を小さくしていた。
では、いったい何であろうか。
 その区画の住人達は我が家に明かりを灯し、ある者は窓から、ある者は屋外に出てその正体をその目に収めようとした。その内の一人が、何かに気づいたように体を跳ねさせ、そしてすぐさまその夜光魚に似た光の下に駈けていった。それに続くように他にも何人かがその正体に気づきそこに駈けていく。

「金だ!!金が降ってくる!!」

気が付けば、人の群れができていた。彼らにとってはその空から降り注ぐ金貨や水貨は夜光魚よりも魅力的に見えて居るだろう。
 任務を忘れ一部始終を唖然としてみていた警備兵たちが、ようやくことを理解した。慌てて群集を散らそうと試みたがもはやこれだけの人数が集まってしまえばどうしようもない。次から次へと、新たな町民たちが集まり、我を忘れたかのように降り注ぐ硬貨を集めていた。応援を呼ぼうと兵士の数名がその場を離れた。その場に残った警備兵達は戸惑いながらも任務を遂行しようともがいていたが、その状況では何もならず、さらに空から降る硬貨に自分達も気をとられ始めていた。一人の兵が、空を仰いで何かを見つけた。

「見ろ!枇杷だ!!」

その兵が指を指したその先に、黒い人影が一つ、二つ・・・五つ。兵士達は即座に覚醒し、その影を追うために走り出した。金に目を眩ましたとあっては、軍人としての面目が丸つぶれだ。

「捕まえろ!!」

夜の町の道。今宵は幾分も明るいが、それでも枇杷たちを隠すには十分だった。5人の枇杷たちは思った。

――なんとも簡単だ。これなら上手くいく。

できるだけ遠くに逃げて、時間を稼ぐことが今夜の彼らの目標だ。人目を引く逃走であればなお良い。5人は2人3人と二手に分かれた。それに合わせて追っ手も二手に分かれた。

「あとは上手くやってくれよ、リーダー」

5人のうちの一人がそう呟いた。





「キルア殿下の命令だ。総動員でルポに現れた枇杷を捕らえろとのことだ」

 一人の兵士が秋宮やその付近の寄宿所の兵士にその命令を伝えまわっていた。枇杷はルポにまで現れた。つい先日、その手前の町にてキルア王子が枇杷の王都への侵入を防いだばかりなのに。今回は、こうも簡単に進入されてしまった。

「冗談だろう?つい昨日、南国に現れたばかりじゃないか!」

その命令を聞いて、一人の兵士がそう叫んだ。ああそうだ、と伝令の兵士が頷く。彼自身も戸惑っていた。昨日、枇杷が南国に現れ、いつものように騒ぎを起こしていったのは紛れもなく事実だ。だが、今夜この町に枇杷が現れたのも事実だ。南国の一番近い町からでも、ルポまでは約一週間かかる。誰が今夜のことを予想できたであろう。否、だからこそ枇杷はこうも易々と王都に進入することができたのだ。

「・・・ともかく、枇杷を捕まえよとの命令だ。キルアさまの軍の者で警備担当の者は全て、将軍の元にすぐに集まるように、と」

いまいち釈然としないながらも、兵士達は頷いた。

「・・・分かった」

「急げ。町から枇杷を逃してはいけない」

兵士達が駆け足でその場を離れ、キルアの私軍の将軍であるバルの元へ向かった。伝令兵も、次の兵士へ命令を伝えるために駆け足で反対の方向へ向かった。

――今夜は、長い夜となりそうだ。





「どうやら軍部が騒がしいようです」

マイホが顔を顰めながらキルアの机の上に大量に重なった羊皮紙の束を置いた。

「ああ、枇杷がとうとうルポにまで現れたからな」

秋宮の執務室である。窓が大きく開かれ、そこから程よい風が入ってくる。そのたびに、机の上の羊皮紙がクルクルと丸まって転がった。キルアはそれを一つ一つ手にとって広げ、内容を確かめた。右手でペンをとると、羊皮紙の一番下にサインをした。そして右手の人差し指の指輪を外し、指輪の石に朱肉を付けた。サインをした部分に被せるように指輪の石を押し付けた。ゆっくりと離すと、太陽を4分の一にしたような、それでいてうねった蛇のように見える模様が現れた。東国の王家の文様である。

「しかし、すぐに収まるだろう。国軍と共にバルが枇杷の捕獲に動いているはずだ」

マイホは頷いた。今夜のキルアはいつもにも増して冷静だ。バルならば見事に職務を果たすはずだ。行動も早い。それならば大丈夫だろう、今夜は他の問題は起きまい、とマイホは安心した。

ガタ、ガタ。

時折、窓が風に揺れる。

「今回、枇杷に襲われた貴族ですが・・・どうなさるおつもりですか?」

マイホは、キルアがサインし終えた羊皮紙を一つ一つ集め、内容を承諾されたものと却下されたものに分けていった。そしてそれをさらに別の机へと置いた。しかし、それでは風で転がってしまうのでその上に重石として空の杯を置いた。

「前回と同様だ。ただし、今回の場合は我々が見逃していた部分も大きい。被害もそれほどではないからな。多少の恩赦は与えよう」

――命まではとらないってことか。

マイホはキルアの言葉を正しく解釈した。以前、枇杷に襲われたある町の町長は、その罪に問われ首を刎ねられて死んだ。その家族は、今は別の町に移って細々と暮らしているらしい。だが、当初は浪費することしか学んだことのない妻子であったので、財産はすぐに底をついた。ようやくことの重大さに気づいた彼女達は自らの着ていた上等な服や装飾品を売った。そして、今は慣れない手仕事を必死にこなしている。死んだ町長にとって最も不幸だったことは、町長が死んでしまっても、妻も子供も悲しまなかったことであろう。彼女らはこれからも上手く生き延びる。

「・・・そうですか」

たとえ、何があったとしてもキルアの根本的な性質、つまりは「氷の王子」と呼ばれる部分は無くなりはしないのだとマイホは思う。

「その貴族の横行ぶりは、後にリペダに報告させよう。細かいことはその時に決める」

「・・・わかりました。では、リペダにそのように伝えます」

失礼します、と一言言ってからマイホはその部屋をあとにした。シンと静まり返るその部屋で、キルアが羊皮紙にサインする音、そして印を押す音だけが聞こえる。時折聞こえる風音は、その二つの音の間に入り、その隙にキルアは手を休め、風音が止むと作業を再開した。
静かなものだ、とキルアは思った。

「キルア王子、覚悟!!」

突然の声と共にガタンッという激しい音が聞こえ、短パンにタンクトップというなんともこの場に不似合いで簡素な服を着た女がナイフを勢い良く突き刺した。

ガリッ。

高めの打撃音と摩擦音が鳴った。ナイフは、キルアの体ではなく、そのすぐ脇の石の壁の上を滑った。女の狙いは良かった。だが、それよりもキルアの動きは敏捷だった。突然窓から侵入して来た者にすぐさま気づき、慌てることなく向けられたナイフを当たり前のように避けた。そして、そのまま彼女の背後に回りナイフを持っていた手と、もう片方の手を後ろから抱えるようにして掴んだ。その手に力を入れると、女は痛みのあまりナイフを床に落とした。

「待っていた。枇杷のリーダー、シャンテ・スピアーズ」

・・・どうしてこの計画がばれているのか。





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