□地味子さんとお父さま 「何・・・これ・・・。」 私は目の前の光景を疑った。 意味が、分からない。 そう、さっきまで、さっきまではもっと険悪でドロドロ黒々ムードだったはずなのに。 今日は相川由貴とのデート中に例の如くお父さんから帰宅命令が出て、逆らえずにすぐに帰ろうとしたら相川由貴が家に上げろって言ってきて、それで仕方なく家に入ってもらってけど、やっぱりお父さんが居て、しかも前々から薄々感じてはいたけどお父さんは相川由貴のことをまったく良く思ってないらしくて、相川由貴とお父さんの間に火花がバチバチでアチチだった。 そう、さっきまでは・・・。 なのに・・・なんで? 「はっはっは。そんなことはないですよ、お義父さん。」 「そうかね?いやぁ、でもあの子は時々暴走する癖があってねぇ。」 和やかだ。ものすごく和やかだ。険悪ムードなんてものは何処にも見当たらない。むしろ2人の間に新たな友好関係が築かれてる・・・。 和親条約とか結んじゃったわけ? しかも、相川由貴、今、私のお父さんのことを『お義父さん』って呼んだ・・・。 なんだか目の前の光景がさっきよりも恐ろしいものに思えた。 思わず、お風呂上りの子犬のように盛大に身震いしちゃったよ。 お父さんが、紅茶を乗せたトレーをプルプル震わせている私に気づいた。もう少し気づいてくれるのが遅かったら、紅茶はトレーの上にビチャビチャに撒き散らされていたに違いない。むしろ、その前に私が2人にぶっ掛けていたかもしれない。 「ああ、楓子。紅茶を入れてきてくれたんだね。ありがとう。さあ、お前もここに来なさい。」 そう言われて、私は様子をうかがうようにちらりと相川由貴を見た。めちゃめちゃ笑顔で微笑んでいる。 何がどうなっているのか私には全然まったくわからない。一瞬、パラレルワールドにでも迷い込んだのかと考えてみる。現実逃避でもしなきゃやってらんねー。 「楓子、ほら来いよ。」 相川由貴にもそう言われ、私はソファーの間にあったテーブルに紅茶を並べると相川由貴の隣に座った。 私のお父さんは教師をやっている。それが原因かどうかは分からないけど、性格はものすごく真面目で堅実。曲がったことが大嫌い。真っ直ぐ人間。 万が一、私が非行少女にでもなったら、きっとなんの躊躇いも無く切腹して世間にお詫びするだろう。心持は戦国武士よりも高い。っていうか、どうせ死ぬならその前に自分の娘を更正させてからにして欲しいけど。・・・いや、私が非行少女だったらの話だけどね。 そんな父。 絶対にこの相川由貴とは反りが合わないことは分かりきっていた。 理事長の息子で、その権力をフル活用して授業崩壊授業放棄さらには学校を私物化してるような男をお父さんが気に入るはずがないと思った。 相川由貴と付き合ってることを知られたときも、信じられないといった顔をされ、散々別れるように説得させられ、一体、誰相手に使えばいいのか、スタンガンや謎のスプレーなどの護身用アイテムを持たされ、さらに護身術も今まで以上に仕込まれた。 まあ、色々と役にはたった。 お父さんは会ったことも無い相川由貴をそれはもう毛嫌いしていた。 なのに。 何故!? 「楓子はいい人を見付けたなぁ。」 はっはっは、とお父さんは爽やかに笑った。なんだかそのセリフ、今にもお嫁に出されそうで不安なんですけど。 「本当に、2人の話には感動したよ。」 軽く涙ぐみながらお父さんはハンカチを見付けるべく、ポケットを探っていた。 「2人の話って?」 「だから、荒れ果てた生活を送り、心も身体もズタボロの由貴くんの前に楓子が現れて、まるで魔法のように由貴くんを癒し、そして2人は恋に落ち、手を取り合って今に至る・・・って話じゃないか!!」 ・・・はい? 「えっと?それは?」 「たった今、由貴くんから聞いたんだよ。始めは楓子の優しさを拒絶していた由貴くんも次第に心を開くようになって・・・・・・ああ、良い話しだねぇ。」 んなもん、信じるか普通。 私は相川由貴を睨んだ。けど、その睨みは極上の笑顔になって帰ってきた。 馬鹿馬鹿しい。どこからそんな話しが出てくるのか。今時、三流小説にもそんなネタは使われないわよ。しかも今の話じゃ私の方が相川由貴のこと好きみたいじゃない。むしろこっちは嫌々付き合ってるのに。 っていうか、それを信じる我が父は、私が今まで思っていたより・・・・・・馬鹿だ。 うっわぁ・・・最悪。自分の生活でおかしいのはあの学校の生徒のせいだと思ってたのに。こんな家庭内にまで・・・思わぬ伏兵が居た・・・。 どうしよう。目の前のこの人は、今まで私が恐れ従ってきた父親とは別物に見える。涙と鼻水満載の父親なんて・・・イヤ。 「2人、良いお付き合いを進めなさい。」 ・・・!? お父さん、さっきまで大反対してたでしょうが! 「もちろんですよ。」 にっこりと、相川由貴がそう答えた。 ・・・この世に私の味方なんて居ないのでしょうか・・・神様。上様。紙様。噛み様。 **** 「お前の父親って扱いやすいな。」 翌日。私へ向けられた相川由貴からの第一声はこれだった。ちなみに今はお昼時。今日は相川由貴は重役出勤で、たった今学校に来たところだった。 で、いきなりお昼ご飯を一緒に食べることになって、中庭に連れてこられた。もちろん強制的に。 ・・・父親のことは大きなお世話だ。 っていうか、その私の父がとんでもなくお馬鹿さんだったって事実、私も昨日初めて知ったよ。 「・・・よくあんな嘘つけたね・・・。」 あんなバレバレの嘘を一体誰が信じるんですか。・・・私の父以外。 「ホントのことじゃん。」 ど・こ・が・?っと、言えてしまったらどれだけ気持ちが良いことでしょう。 「しかし、えらく真面目な人だったな。あの後、教育理念と子供の成長過程における親の役割を延々と語られてさすがにまいった。」 あー。それは私も。お父さんのそういう所、職業病みたいなものだと思う。 プラスアルファで現代の少年少女の心理及び行動についての見解とかも話されなかっただけまだましだよ。 私はあれを聞かされたその夜は頭の中が少年少女の家出率&喫煙率&飲酒率&犯罪率でいっぱいで眠れなかったもん。 「そう言えば、理事長はどんな人なの?あんまり表に出てこないから顔も知らないんだけど。」 ピタリ、と相川由貴の動きが止まった。 ・・・まずいことを聞いちゃった・・・? 理事長はその存在は知られているけど、今までに見たことは無い。むしろ居ないんじゃないか?それか幽霊部員ならぬ幽霊理事長とか・・・。 「聞きたいか?」 「・・・やっぱいい。」 「正しい判断だ。」 ・・・。 ・・・。 「やっぱ聞きたいかも。」 「・・・いいのか?」 「・・・じゃ、じゃあ、ちょっとだけ。」 「・・・自己中心的気楽迷惑目障り人間。」 「・・・よく分かった。」 「表に出てこないのは俺が毎回説得して出させないようにしてるからだ。」 はぁ、と相川由貴がため息をついた。あ、ため息付くと幸せが逃げるよ? 「・・・そうなんだ・・・。」 「ああ。」 「苦労してるんだね。」 相川由貴も色々と苦労してるんだな、と、最近気づいた。ハデ美ケバ子の相手を毎日するだけでも相当疲労が溜まるだろうに・・・。 今朝も、相川由貴がいないせいであの2人「ムキー。」とか「フンギャー。」とか言いながら発狂してたし。 「それ、卵焼きか?」 相川由貴が、私のお弁当箱を覗き込んで私の自信作の卵焼きを指差した。 「うん。」 「上手そうだな。くれ。」 「いいよ。」 私がお弁当箱を差し出すと、相川由貴は違う、と言ってそれを押し返した。 「食べさせろ。」 ・・・何を言い出すんでございましょう。 食べさせるというのはアレですか?恋人同士の中でも特にバカップルと呼ばれる者たちが「ハイ、あ〜ん。」とか言って相手に食べさせてあげるアレですか? ・・・さりげなく乙女チックだね、相川由貴。 「イヤだよ。」 あいにく私は現実主義。ロマンチッカーには付き合っていられません。 「・・・なんで?」 「何でって・・・は、恥ずかしいでしょうが!!」 「いいじゃん。」 ピンポンパンポン。 『相川由貴さん、相川由貴さん、至急理事長室に来てください。』 なかなか綺麗なお姉さん声。うぐいす嬢もビックリ。 「・・・行かなくていいの?」 「無視。それより、早くくれ。」 『相川由貴さん、えー・・・その・・・今すぐに来ないと今晩のおかずは僕が激甘カレーライスをフリフリエプロンで提供しちゃうぞ!と・・・理事長が言っております。』 声が綺麗でも内容がソレじゃあねぇ・・・。 「行くべきでしょ。」 っていうか、本当に苦労してるんだね。 自分の父親がフリフリエプロンで激甘カレーなんか作ってたら、私は速攻家出します。あるいは親子の縁を切ります。 戸籍抹殺します。 むしろ父親抹殺します。 「・・・行ってくる。」 ものすごくげんなりした顔で、相川由貴は立ち上がった。 私はその隙に、卵焼きを自分の口に頬張ろうと端で持ち上げた。 パク。 「あ・・・。」 私の卵焼きはもぐもぐと私の口ではなくて、相川由貴のお口の中。 「・・・ちょっと甘すぎ。砂糖2割減らして、塩を1割増やせ。」 そんな捨て台詞を残して足取り重く、去って行った。 ・・・我が家はみんな甘党なんです。砂糖が多くて何が悪い!! ふう、とため息をついて再びお弁当に箸を伸ばそうとしたその時。後ろの茂みからガサガサと音が聞こえてきた。 「こんにちわ。」 おもむろに振りかえるとゾウの肌のような色をした作業着を着たおじさんが立っていた。ただ立ってるだけならまったくもって問題無いんだけど、片手に箒。もう片方の手にちりとりを持って、ニッコリと私に笑いかけてきた。まだ若そうだけどお兄さんと呼べる年齢でもなさそうだ。 ・・・侵入者か? 私はなんとなく、お弁当を守らなくちゃとでも思ったのか、無意識の内にお弁当箱を自分の影に隠した。 「いやぁ。そんな警戒しないでくれよ。わたしはただ掃除をしているだけなんだから。」 おじさんはむしろおじ様と呼びたくなるような紳士的スマイルでにこやかに微笑んだ。むしろその笑顔が怪しいんだと、自分では分からないんだろうか? 「えーと。用務員の方ですか?」 一応、先生や警察を呼ぶ前に確認しておいた方がいいと思って、私はそう聞いてみた。 おじさんはニッコリともう一度笑顔を作った。どうやら用務員らしい。 「君は・・・米沢楓子ちゃんかな?」 なんで知ってるんだ。読者ですら、私の名前は知ってても、苗字まではあやふやだろうに。 「何で知ってるんですか?私の名前。」 「そりゃ、この学校の人間ならみんな知ってるよ。」 ・・・あいつか。オレ様のせいか。そうなのか。 「しかし、驚きだねえ。今まであれだけいいかげんな人付き合いしかしなかった人物が、こうしてちゃんと楓子ちゃんみたいな可愛い彼女と付き合っていけるなんてなぁ。」 この人、見た目は若いけど口調が爺くさい。この色あせた作業着のせいで若さまで色褪せたのか? 「相川由貴のこと、詳しいんですか?」 「ああ。まあね。以前はどんな風だったとか、自分では結構知ってると思ってるよ。」 ・・・知りたいかも。相川由貴の過去。でも勝手にそんな情報仕入れたら怒られそうだな・・・。でもでも、何か奴の弱点になるものが見つかるかも・・・。 私はモジモジそわそわしながら考えてみた。・・・やっぱり、この機会を逃すのはまずいでしょう。 「教えてください。ぜひ。分かること隅から隅まで。できれば弱点を!!」 私の返答を聞いて、おじさんはニヤッと笑った。私もニヤリと笑った。 このおじさんとは良い関係が築けそうだ。 「ではまず、幼少時代から。」 まあ、そんな昔の話から!なんて素敵なおじ様かしら。 「あの頃の彼はなんとも可愛らしかった。」 ・・・聞き方によっては危ういセリフだね。 「相川由貴、当時3歳のある日!!母親と散歩に出かけたとき。まだ3歳の由貴はお約束通りに迷子になってしまった。」 迷子の由貴(3歳)・・・想像できないけれど、アイツにそんな可愛い時期があったんだ。アイツもちゃんと人間だったんだ。 「けれど、3歳の彼は無事警察に保護され、警察から自宅に連絡があった。ところが!!彼の両親が警察まで迎えに行くと、彼の姿が見当たらなかった!刑事さんと一緒に必死に探したところ、何とか無事に発見できたんだが『なんでお巡りさんのところに一緒に居なかったのかい?』と聞くと『だって、こいつはお巡りさんじゃないもん!!お巡りさんは犬だもん!!』って言ったんだよ。」 い、犬のお巡りさん・・・? 「おまけに『おれ、迷子じゃない!!だって猫じゃないもん!!』って言ったんだよ。・・・なんて素直な子供だろうねぇ。」 ま、迷子の迷子の子猫ちゃん? いけない。普段ワガママで傍若無人な相川由貴がそんな・・・犬のお巡りさんと迷子の子猫ちゃん・・・あんな歌を信じてたなんて・・・・・・学校中に広めてやりたい話しだわ。 お巡りさんが犬だったら、いったいどうやって自転車に乗って私たちの町を巡回するんだよ。迷子は子猫だとしたら、引き取り手は親猫?交番まで猫が自分の子供を迎えに来るわけ? 子供って、可愛いものね。例え相川由貴でも。 私はしみじみとそう感じながら忘れかけてた残りのお弁当を取り出した。残っているおかずは卵焼きとほうれん草のバター和えと、ミートボールだけ。 「おや、美味しそうだね。」 おじさんはジィっと私の弁当を眺めていた。特に集中して卵焼きを眺めている。穴が開いたらどうしてくれるんですか。おじさん。っていうか、もしかして食べたいんですか、おじさん。 「中学生時代の相川由貴情報もあるんだけどなぁ〜。」 「ぜひどうぞ!食べてやってください。」 おじさんはニタリと微笑み、私のラスト卵焼きに手を伸ばした。少し名残惜しいけど、そんな面白そうな話しを聞けるなら卵焼きの1つや2つ。 おじさんはアレコレそれこれ相川由貴情報を横流ししてくれる。なんていうか、今この場にテープレコーダーやボイスレコーダーがあったらフル使用するのに。 こういうとき、ド○えもんの存在を信じたくなるよね。あのポケットにならレコーダーの一つや2つ入ってそう。 あれやこれやとおじさんは話しを進めていった。私は必死にその内容を頭の中に叩き込む。 「中学に入ってからはなぁ・・・ずいぶん荒れていたね。いや、その以前からその傾向はあったんだが。学校では好き放題。サボる遊ぶのオンパレード。女性関係がハデになって、喧嘩も増えた。」 ああ、確かにそんな噂がたんまりだったわね。 「昔はね。そんなことはなかったんだ。彼が9歳の時までは、まったくもって真面目な良い子だったんだよ。言い付けを守って、誰に対しても親切な子だった。」 いや、嘘でしょう。そんなの想像しただけで気持ちが悪いです。気味が悪いです。 「変わったのは、彼の母親が亡くなってからだ・・・。」 おじさんはしんみりとした口調でどこか哀愁を漂わせていた。暗い。空気が暗い。声に出してツッコンでやりたいけど、内容が内容だけにそれも出来ない。でも、暗い。なんかジメジメし始めて、カタツムリ君やナメクジさんにでもなった気分になってくる。塩をかけられたら縮みそうだよ。 「彼の母親はガンで亡くなってね。彼の父親は仕事ばかりしている人物で、まだ幼かった彼に、ろくにかまってやらなかった。だからだろうね。あそこまでグニッと捻くれてしまったのは・・・。」 ・・・なんか今、しんみりとしたセリフの中に笑える要素があった気がする。 「彼は元々、お母さんが大好きでねー。事あるごとに甘えてばかりで、本当に仲の良い母子だったんだよ。まあ、それも父親がいつも不在だったことに原因があるんだろうけどね。彼の父親は家庭を省みない人で、ほとんど家にも帰ってなかった。自分の息子、自分の妻よりも仕事を優先しているような駄目な父親だったんだ。だから自分の息子がアレほどまでに荒れていることなんて露ほども知らなかったし、思わなかったんだ。気づいた時には、もう本当に手遅れで、父親1人の力では何ともできなかった。母親が生きていれば、と思ったよ。」 そう話すおじさんはどこか遠くでも見ているようだ。 「でもね。高校に入ってからの彼は違った。・・・いや、君に出会ってからだね。女性関係も治まったし、喧嘩も減ったし、授業妨害も多少遠慮するようになってきた。」 いや、授業妨害に遠慮もなにもないでしょ。 「君と出会って彼は変わった。」 ・・・どこかで聞いたような話だな・・・。 「柔らかくなった。ホッとしたよ。・・・でも、彼の父親は彼に恨まれたままだ。彼の父は、今までの溝を埋めたいと思っているけど、息子の方は父親を憎んでいる。」 おじさんは、小さくため息を付いた。 「ところで、この卵焼きだが・・・砂糖2割減らして、塩を1割増やした方がいいな。」 ・・・どこかで聞いたセリフパート2だな・・・。 「彼の母親は卵焼きが上手でね、彼は卵焼きが大好きだった・・・。」 「何してんだよ、このクソジジイ。」 しみじみと思い出に浸るおじさんの脳天にチョップを食らわせたのは紛れもなく噂の人物。相川由貴。私はあわわ、とおじさんの頭の心配をした。凹んでないかしら?これが原因でハゲちゃったりとかしたら可哀想。せっかく現在はフサフサを維持していらっしゃるのに。 「人を理事長室まで呼んでおいて自分は人の女に手ぇだしてるとはどういうことだ?あぁ?」 「痛いじゃないか。」 おじさんはちょっとお茶目に右斜め45度くらい上目遣いで相川由貴を見つめた。おじさんとは思えないうるうるとしてた瞳。 「気持ち悪い。」 ズバリと言い捨てる相川由貴。どうでもいい話だけど「キモイ」って言われるよりも「気持ち悪い」って言われる方が生々しくて嫌だよね。 「普通言う?そんなこと。自分の父親にぃ〜。」 ちょっとお茶目チックに上目遣いは続行で。 ・・・爆弾発言とはこのことか。 そうか、親子か。・・・親子だったか。 あんまり驚かない自分にビックリ。 っていうか、理事長だったのかこのおじさん。 掃除のおじさんじゃなかったのか。 片手の箒とちりとりはフェイントか。 そうかそうか・・・。 私は小さくため息を付いた。そしてお弁当箱をさっさとしまい込み、立ちあがった。 ここはこの場を離れよう。 なんだか嫌な予感が満々ですから。 最近、その手の雰囲気を察する能力が高まってる気がする。・・・経験がモノを言うのね。 「・・・どうした楓子?」 「え・・・。」 呼びとめられ、ビクッと肩を震わせた。やばい。このままじゃ予感的中じゃん? 「いや、なんというか・・・逃げようと思って。」 相川親子が「?」という顔をした。そしてすぐに息子の方はムスっと不機嫌に。父親の方はニヤッと上機嫌に。息子の方の視線に、ドギツイ痛みを感じます。 「ごめんねー。こんな息子で。でも由貴は楓子ちゃんにゾッコンでねー楓子ちゃんのことになると言葉も手段もまったく選ばないからさー。色々楓子ちゃんも苦労してるんだよね。ああ、そうだ、改めて自己紹介をしよう。僕はこの学校の理事長&相川由貴の父親です。あ、用務員じゃないよ。」 理事長は私の手をさりげなく取り、握手させてブンブン上下に振った。 「よろしく。」 「・・・はぁ。」 理事長はニッコリスマイルを放っていた。いつまで経っても私の手を離してくれる気配は無い。どうしよう。振り払うか現状維持か。 ベリッ。 マジックテープの剥がれることと共に、私の手と理事長の手が離れた。私はいつの間にやら体を引っ張られ、相川由貴の胸の中にスッポリ納まっていた。 「なぁっ!?」 私は顔がヤカンかフライパン並みに熱くなっていくのを感じた。 「楓子に触るな。」 頭の上から聞こえてきたその声はピリピリと唐辛子風味だ。 「やだなぁ。男のヤキモチはカッコ悪いぞ?由貴。」 理事長はまるでどこかの女子高生のノリだ。片目瞑ってウィンクして星とかハートとか飛ばしてそう。 「うるさい。どっか行け。今すぐ行け。目の前から消えろ。」 「嫌だ。もっと楓子ちゃんと話したい。」 「駄目だ。さっさと仕事に戻れ。」 「ヤダ。」 「戻れ。」 「ヤダ。」 ・・・保育園児の喧嘩だ。せんせー。ここで由貴くんと理事くんが喧ケンカしてますー。 「あの・・・。」 遠慮がちに話に入り込むと、理事長はやっぱり上機嫌で、相川由貴は不機嫌だ。 「なんだい?」 「なんだ?」 ニッコリとムッツリの間に挟まれて、居心地が悪い・・・っていうか激悪。 ってうか、この状態が心臓に悪い。 「いや、その・・・離して。」 ムッツリの方にそれとなくお願いした。 「ヤダ。」 ・・・親子そろって同じセリフか。 「いや、ホントに・・・・・・だから離して。」 「なんで?」 「だから―――なんだってば!!」 力いっぱい声を上げてみても、相川のお坊ちゃんは理解してくれない。 「は?」 お坊ちゃんが首を傾げた。その賢い頭はこういうときには発動しないわけ!? 「・・・は、恥ずかしいんです!!」 この赤い顔を見れば分かるでしょうが!!乙女心を読み取りなさいよまったく。 顔をそろっと上げてみると大バカ親子がそろってポカンって口を開けて、そろってバカ面している。・・・今ここにカメラが欲しかった。 しかししかししかし。そんなアホ面もすぐに消え去った。代わりに浮かんできたのは相川由貴のニタッとした笑み。 瞬時に悪寒が走った。これはヤバイ。マジでヤバイ。危険信号が・・・黄色で点滅してる。 「いいなぁ。由貴は。」 隅っこの方で理事長がうらやましそうにこっちを見てる。 「いいだろ?」 何がですか。 理事の息子さんは私を抱きしめたままニヤニヤしたまま、なんていうか・・・理事長に見せつけてる・・・? 「いや、だから・・・離して下さい。」 その腕の力が弱められる気配は一向に無い。ついでに返事も無い。・・・最終手段を使うか。私は大きく息を吸った。 「は、離してくれないと幼少時代の数々の奇行を全校生徒にバラすよ!!」 ピクリと相川由貴の体が反応したのが分かった。一瞬、私が怒られるかと思ったのに、相川由貴の鬼のような形相は理事長に向けられた。 理事長ピンチ。 ごめん、理事長。 「おい、ジジイ。てめぇ楓子に何話した・・・?」 まだ外見的に若いのに、ジジイ呼ばわりされて可哀想に。っていうか、それ以前に父親扱いされてないのが不憫。 「ふっふっふ。それは僕と楓子ちゃんだけの秘密だもんねー。」 予想とは裏腹に、理事長はなんだか強気。その態度がさらに相川由貴の機嫌を損ねていく。 なんだかんだ言って、仲良さそうじゃない。 さっきの理事長の話しからすると父子の関係はあんまり良くないイメージだったけど。 「おいジジイ。いい加減にしろよ。」 ケンカするほどなんとやら。 さっきの話しからして理事長は相川由貴のことを大事に思ってるみたいだし。肝心の息子の方はいまいち怒ってばっかりだけど。 「そんなに怒らない。怒らない。」 理事長はニッコリ笑って、次に私を由貴の腕の中から引っ張り出した。 「さっき、、由貴の弱点は何かって聞いたよね?」 ニッコリ微笑んで、今度は自分の方に私を引き寄せて、ほっぺに チュッ。 「君だよ。」 同時に、私にだけ聞こえる声でそう囁いた。 「え?」 私が聞き返そうとすると、今度は相川由貴の手が伸びてきて、私を元のように自分の胸の中に収めた。 ・・・どっちかにしてくれ。私は綱引きの綱じゃありませんです。あんなに頑丈じゃないんで壊れます。多く引っ張った方が勝ちってわけでもないです。 「ジジイ・・・。本気で死にたいのか・・・?」 目が犯罪者になってる。前科ありの彼氏は嫌だよ。 「はいはい。あとは若いお二人だけでね。」 なぜかお見合いの席での定番なセリフ吐いて、理事長は立ち去った。 わりとあっさりとしていて逆に気持ちが悪いものだ。そう思ってるのは私だけではないらしく、私を捕らえてる相川由貴の腕も、軽くチキンスキンになってる。つまりは鳥肌だ。 「ったく、あのジジイは・・・。」 相川由貴はため息混じりにそう呟いた。 「・・・理事長のこと嫌いなの?」 私の質問に、理事長の息子はまるでニガウリのような顔をして、少し考え込んでいた。 「嫌いって言うより、苦手だな。」 自分の考え付いた結論に妙に納得したらしく、うんうん、と自分で頷いてる。 「じゃあ、嫌いってわけじゃないんだ。」 「たぶんな。あんなんでも仕事はできるし、すごいと思うところも無くは無い。・・・理解できないところの方が多いけどな。・・・エプロンでカレー作ってたりするのを理解しろって方が無理だろ。」 へぇー。ふーん。そーなんだ。 私は何だか嬉しくなって、頬の筋肉が勝手に緩んで、ニヤニヤしてしまった。 「どうした?」 そんな私の様子を不思議に思った相川由貴が私の顔を覗き込む。 「べっつにー。」 なるほどなるほど。 不器用な理事長に、素直じゃないその息子・・・か。 なるほどなるほど。 ちょっと微笑ましいじゃないですか。 ちゃんと『親子』してるじゃないですか。 「相川由貴も、父親の前じゃあ、タダの子供だね。」 なんだか振りまわされてるみたいだし。ざまーみろ。クスクスっと私は笑った。 「・・・ふーん。そういうこと言っていいと思ってんの?」 ピキン、と私は動きを止めた。しまった。油を刺し忘れたロボットみたいにギギギッと音を立てながら相川由貴を見上げると・・・ 奴は不敵に笑っていた。 危険信号が、赤色で点滅している。 逃げよう!!・・・と思っても、すでに奴の腕の中。 その腕にギュッと力が入って。 「そういうこと言うのは、この口か?」 クイッと顎を持ち上げられた。 「なぁ、楓子?」 そのまま私の唇に、奴のそれが押し付けられた。 「んぅんーーー!!!」 まるで塞がれるように、強く。 抵抗しようとして、相川由貴の体をグッと押してみるものの、力じゃ勝てない。 やがて啄ばむようなキスに変わって・・・いつもより深く長いキスだった。 「・・・・・・ぷはぁっ!」 ようやく解放されて、私は必死に息をする。よく鼻でしろとかいうけど無理だ。そんな余裕もないもん! ようやく酸素を補給して、そっと奴の顔を見上げた。 ものすごく満足そうだ。 こっちは必死だと言うのに。 「ちょっとー。イチャついてんじゃないわよ!」 「そうよぉ。さっさと由貴君から離れてぇ。」 聞き慣れた、でも今は聞きたくない声が聞こえてきた。私はバッと周囲を見渡す。 ・・・でも誰も居ない。 「今のってケバ子とハデ美の声じゃ・・・?」 いくら探しても見当たらない。必死で2人の姿を探す私の肩を、相川由貴がポンッと叩いた。 そして人差し指を上に向けた。 その指の指す方向を見上げると・・・・・・居た。 っていうか。2人だけじゃない。 オイオイ。嘘でしょ。 見上げたそこには、教室の窓から身を乗り出すようにしてこちらを見る生徒たち。 窓という窓から溢れんばかりの人数。 「ちょ、ちょっと待ってよ・・・一体いつから・・・?」 全身の血の気が引いていくのが分かる。 「さっきからずっと。」 相川由貴は相変わらず満足そうな笑みを浮かべている。 つまり・・・なんだ? 今のロングチューはあの窓に群がる野次馬どもにバッチリ目撃されちゃってたわけ? へー。 へー。 んー? 「・・・知っててキスしたの?」 残っている気力でそう訪ねると、ニヤリ、と勝ち誇った表情が返ってきた。 ああ、そうなのね。 そうですか。 「俺、まだ子供だからさー。そういうことまで頭が回らないんだよ。」 ・・・根に持つタイプか・・・。 米沢楓子、逃げるように早退。 翌日。学校の掲示板に校内新聞の号外が掲示されていた。 内容は、言わずもがな。 FIN |