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□地味子さんと苦い罠




カシャカシャと、泡立て器をフル回転させた。卵とバターがトロトロっと混ざってく。私はテーブルの上にそれをボールごと置いた。その隣には製菓用のチョコレート。その隣には砂糖と小麦粉。その隣にはお菓子作りの本。その隣にはケバ子とハデ美。

・・・おかしいだろ。

「・・・なんで居るの。そこの2人。」

ふぅ、と息を吐くとテーブルの上の小麦粉たちまで飛んで行きそうになったので、慌てて息を止めた。飛んでいくのがハデ美やケバ子だったら大歓迎だったのに。

そもそも、ここは私の家だ。築五年とちょっとでそろそろ汚れが目立ち始めて、哀愁が漂ってきた庶民の家だ。家族全員で暮らして、少し余裕があるくらいで、ハデ美ケバ子みたいなその存在を無意識に自己主張しまくっている人間が入る余地は無い。全く無い。あってはならない。

「ほらぁ、手早く作らないと、良いお菓子は出来ないわよぉ?」

「へぇ。チョコケーキ作るんだ。」

私はケバ子の手に捕らえられた『大好きなあの人に贈るチョコレートの本』を大急ぎで奪い返した。いや、別に大好きとかじゃないし、ケーキを作るのも、あいつが色々と五月蝿いからっていう、それだけの理由なんだけどね。

「ほら、さっさと混ぜなー?料理は手早く素早くが基本でしょ。」

だから、食材の隣でタバコ吸っているどっかの厚化粧学生に言われたくないって。その化粧がバターと混ざったらどうしてくれる。カラフルになっちゃうじゃん。

「ほらぁ。あんまり放っておくとチョコレート溶けちゃうわよぉ?」

貴方が溶けてくださいませんか?

「・・・邪魔するなら帰って。」

卵とバターのコラボレーションが完成し、私はさらにその中に小麦粉をフューチャリングさせた。今度はゴムベラでサックサク。

「やだー。あたしたち、別に邪魔しに来た訳じゃないわよ?」

じゃあ何しに来たんだよ。相川由貴の彼女の座を狙ってほぼ毎日影で私をいたぶろうとしてたくせに。

「そうよぉ。私たちね、ちょっと考えてみたの。」

へぇ。あんたにも物事を考える為の頭があったんだね。

「別に愛人でもいいか、ってね。」

ボト。

できかけの生地がたっぷり引っ付いたゴムベラが、無残にも床に落ちた。
私はギギギギッと音を立てながらハデケバコンビの方を向いた。

「・・・ハイ?」

私がそう聞くと、ハデケバコンビは人を小馬鹿にしたようにため息をついて見せ、楓子ちゃんは飲み込みが悪いわね、あれでよく由貴くんの彼女が勤まるわね、と呟いていた。
心の底から大きなお世話です。

「つ・ま・り。楓子ちゃんは由貴くんの彼女。私たちは愛人の座を目指すってこと。」

右手の小指を立てて、ハデ美が可愛らしく?そう言った。

頭が痛い。
アホ過ぎて、頭が痛い。もちろんアホなのは私ではなくて、目の前の2人だ。どこの世界に進んで愛人になる奴がいるんだ。・・・いや、居るかもしれないけど、でも・・・いいのか?この2人はそれで・・・。

「ま、愛人になれるのはこのぶりっ子とあたしのどちらか1人だろうけどね。」

腕組みをしながら、ケバ子が不敵な笑みを浮かべた。相川由貴の意思は無視ですか?散々好きだ好きだと騒いでおきながら、本人は丸無視ですか?

「そうよねぇ。ま〜あ?私だと思うけどぉ?」

ハデ美は縦ロールをさらに指でクルッと絡め取った。

「は?馬鹿なこと言わないでよ。どこにあんたみたいな脳みそ空っぽ女を愛人にする男が居んのよ!」

いや、その前に、愛人はいけませんって。

「えぇ?それを言うなら、アイコちゃんみたいにガラの悪い人の方が、よっぽど愛人に向いてないんじゃなぁい?」

いや、だからね?愛人に向き不向きとか有るんでしょうかね?

「そっか。私は愛人って言うより本妻って感じか。」

・・・もう何とでも言って。

「馬鹿なこと言わないでよぉ!」

ハデ美がプクッと頬を膨らました。ぶりっ子も大変だな。頬の膨らまし方一つで可愛くも不細工にも見えるんだから。まあ、ハデ美は確実に可愛く見せる方法を極めているけど・・・。

「馬鹿なこと言ってるのはあんたでしょ!?」

そろそろ、口論会がヒートアップしてきた。嫌な予感が盛り沢山。

「違うわよぉ!!アイコちゃんが夢みたいなこと言うからぁ!由貴くんの愛人なんて百年早いもん!」

「はぁ!!?百年も経ったらババア通り越して死ぬわボケ!!」

五月蝿い。

「物の例えじゃない!アイコちゃんのお馬鹿ぁ!」

五月蝿い。五月蝿い。

「馬鹿のあんたに馬鹿って言われたくないわよ!」

五月蝿い。五月蝿い。五月蝿すぎ。

「馬鹿じゃないもん〜!!」

「五月っ蝿いわ!!」

私は目一杯そう叫ぶと肩で息をしながら目の前の大馬鹿者二人をギロリと睨み付けた。
ここは普段はのどかな住宅街。五月蝿いのは隣のオバちゃんの鼻歌だけだ。そんなところで厄介な非常識女2人に騒がれたらいい迷惑だ。

「レッドカード!退場!」

私は玄関の方に腕ごとビシッと指を指した。するとハデケバコンビは途端に慌て出した。

「ちょ、まだ退場じゃないでしょ。」

「そ、そうよぉ。まだイエローカード一枚でしょぉ?」

あんたらはその存在ですでにレッドカードを受けてても仕方ないんだよ。
けれど、目の前の2人は、これでもかというくらい、私に懇願してきた。
あの態度のでかいケバ子が。あのお姫様気取りのハデ美が。下手に出てる・・・。これってもしかして私が優位ですか?

「・・・そもそも、2人は何しにここに来たの?」

私がそう尋ねると、二人は待っていましたと言わんばかりの表情をして、互いに顔を見合わせていた。そしてニヤニヤッと微笑んで見せた。

「実はねぇ?楓子ちゃんにお菓子の作り方、教えてもらおうと思って。」

はい?








「違う。卵のあとに砂糖!ああ、そっちは生クリームを混ぜるの!」

キッチンからモクモクとどす黒い煙が立ち込め始めた。異様な匂いまで充満している。

「ぎゃぁ!!換気扇!!窓!開けて!!」

私は1人で走りまわり、窓と言う窓を開け、ドアも全開にして、季節はずれのうちわを扇いで少しでも臭いと煙を外に出そうと必死になっていた。
それなのに、ハデな奴とケバイ奴はちっとも動じない。っていうか、自分のことで頭が一杯、手が一杯って感じだ。
意外だった。私はうちわを扇ぎながら、ハデ美とケバ子をチラ見した。
うん。ケバ子はなんとなく分かる。けど、ハデ美は少し意外だ。

・・・まさか2人がお菓子一つ作れない料理オンチだったなんて・・・。

可哀想に。
聞けば、この2人、毎年毎年チョコレートを手作りするらしいが、出来るのはいつも得体の知れない物で、とても相川由貴に・・・っていうか人に食べてもらえるようなものじゃなかったそうだ。
それで今年こそはと私の所へ来たらしい。・・・他に頼る人はいなかったのか。

「できたぁ!!」

「あたしも!!」

2人が目を輝かせながら黒い物体と茶色い物体を差し出してきた。ようやくできたか。失敗回数1人当たり6回。7回目にしてようやく出来たんだ・・・。ある意味、これだけ失敗していてもめげないハデ美ケバ子はすごいと思う。・・・っていうか、目の前のこれは成功作品なのか?

「・・・えと?味見しろってこと?」

2人が同時に深く頷いた。こ、こんなの食べたら胃がひっくり返るだろ・・・。明らかに、食べ物じゃない。ハデ美の茶色い物体は、何故か沸々と煮えたぎってる。ケバ子の黒い物体は、絶対に食べても消化されなさそう。すごく硬そうで重そう。
冗談ではなく、食べたら死ぬ。

「早く食べて。」

「今度こそいけると思うの!」

2人とも、期待で目がキラキラしてる。私は、食べようか食べまいかで頭の中がグルグルしてる。どちらから先に食べようか。黒か茶色か・・・。
その前に、胃薬だな・・・。ああ、もう。せめて自分で味見してからにして欲しい。っていうか、なんで私が自分の彼氏にチョコをあげようとしてる他人の手伝いをしなきゃいけないんだろう。死ぬ思いまでして・・・。
っていうか、こんなの食べたら相川由貴でもイチコロじゃないかな。

・・・・・・まてよ?

良い事を思い付いた。

ニヤリ。

私は、自分の作りかけのケーキを一瞥し、その隣のチョコレートに手を伸ばした。









「「由貴く〜ん!!」」

朝一番に、ハデ美とケバ子は相川由貴を発見し、猛スピードで駆け寄った。次の瞬間、ヘデケバコンビの視線は由貴の手元で止まり次に物凄い形相で辺りを見渡した。

「誰だぁ!?由貴くんに先にチョコ渡した奴ぁ!?」

ケバ子はマジ切れだ。確かに相川由貴の手元にはすでに紙袋2つ分のチョコがぎっしりだった。周りに居た数人の女子生徒がびくついている。

「あらぁ?あなたたち、私たちを差し置いてこんなことするなんて、覚悟は出来てるんでしょうね?」

セリフの前半部分は穏やかな口調だったが、後半はズンッとトーンが落ちて、ぶりっ子魂は消え去ったかのようだった。恐い。怖い。強い。

「「あとで校舎裏に来い。」」

ハデ美とケバ子の声がハモった。今日は1日校舎裏には近づかないようにしよう。巻き込まれるのは御免だ。バレンタインに血まみれなんて、そんな悲しい事は無い。

「ま、あんな子たちは置いといて。由貴くぅ〜ん!!初めての手作りチョコなの。受け取って!」

ハデ美がピンクの包装紙で包まれ、ピンクのリボンで飾られたハート型の箱を差し出した。もちろん、その中には茶色の物体が入っているはずだ。

「ちょっと。私が先でしょ?由貴くん、これ、食べて。」

ガラにもなくはにかみながら、ケバ子が赤と白で飾られた四角い箱を差し出した。もちろん、中には黒い物体が入っている。
相川由貴は、今日はサービス精神旺盛なのか、機嫌が良いのか、ニッコリ微笑んでそれを受け取った。ハデ美ケバ子だけでなく、周りに居た女子生徒、はたまた一部の男子生徒まで、そのスマイルにやられたらしく、バタバタと音を立てて倒れていった。・・・アホらし。

「ね?由貴くん?この場で食べて感想聞かせてくれない?」

「あぁ!アイコちゃんずるいぃ〜!私のも食べて感想聞かせてぇ〜?」

モテモテのお坊ちゃまは、快く承諾して、2人のチョコの包みを開けた。黒い物体と茶色い物体とご対面。

一瞬、相川由貴の顔が強張った。

ヤバイ。私今、笑いそう。

相川由貴が動揺してる・・・!
可哀想に、あれを口に含むのは相当勇気が必要だ。・・・私がそうだったように。

でもね。でもね。

「・・・美味いじゃん。」

そうなんだよね。

相川由貴は茶色の物体と黒色の物体を交互に食べていた。すんなりと。
美味しいんだよね、アレ。私が食べたときも、見た目は最悪なのに何故か味は良いんだよ。
ハデ美マジック、ケバ子トリックか?
教えた側としては嬉しいような悔しいような。複雑。

相川由貴がそれらの物体を全て食べ終え、こちらに気づいて歩み寄ってきた。

私はちょっぴり逃げたい衝動に駆られたけれど、それじゃあ私の計画は台無しだ。逃走心をグッと押さえて、普段なら決して見せないスマイルを相川由貴に向けた。

「楓子。」

「おはよう。」

何やらものずごくご機嫌な目の前の男。私はボロが出る前にチョコをカバンから取り出し、さっさと手渡した。

「はい。これ、バレンタインのチョコレート。」

引き攣りそうな顔を必死に笑顔に変えた。モテモテお坊ちゃまは嬉しそうに、けど、当然の如く受け取った。そして包みをベリッと開けて、私にまったく断わりもいれずそれを食べ始めた。一口、口に含んだ瞬間、相川由貴の動きが止まった。

「う・・・。」

・・・してやったり。

相川由貴の表情は、今まさに地獄でも見ているような顔だ。それもそのはず。あのチョコケーキは、とてもまずい。
まず第一に、チョコレートは全てビターチョコを使用。第二に、砂糖を一切使っていない。
日頃の仕返しだ。こんなところでしか反抗できない自分が少し悲しいけど。

「美味しい?」

私はハデ美やケバ子を見習って、ちょっぴり瞳をキラキラさせながら下から覗き込むように相川由貴を見つめた。
ここで、相川由貴の表情が引き攣るのを期待・・・・・・したのに、それはすんなり裏切られた。

「ああ。美味いよ。」

相川由貴はさっきの苦しそうな表情は何処へやら。理事長顔負けの紳士スマイルを浮かべて激マズなチョコケーキをまた一口、もう一口と食べていった。
そしてハデ美ケバ子のお菓子よりもかなりハイスピードでそれを食べ尽くした。

お、おかしい。もしかして、そんなに不味くなかったのかな?いや、それはない。ちゃんと味見して、不味いのを確認したし・・・。自分でもビックリするくらい不味かったし・・・。

じゃあ・・・なんだ?この男は無理してあのケーキを食べてくれたってわけ?

「どうした?楓子。」

呆然とする私の目の前で、相川由貴は手をヒラヒラと振った。

「・・・不味くなかった?」

私がそう聞くと、目の前の男はちょっぴりビックリした顔をして、でもすぐに紳士スマイルに戻った。

「いや、美味かったけど?」

「嘘だ!だって砂糖まったく入れてないんだよ!?おまけにチョコもビターしか使ってないし!!私が味見した時は、本気であの世を見ちゃうかもって思うくらい不味かったもん!!」

大音量で私はそう叫び、相川由貴をギロリと睨んだ。

「ちょっと日頃の仕返しがしたかったの!!」

ここで白状する私は大馬鹿者だと思う。でもこの時は、それすら判断できないほど興奮していた。・・・理由はわかんないけど。

「・・・ぷっ。」

・・・ぷ?

「ぷはははっははっははっは!!!」

目の前に、大爆笑する男が1人。その後ろの方で、哀れんであざけ笑っている目で私を見る女が2人。
何が、そんなに、おかしいんだ。

「いやぁ、楓子は正直だな。」

涙まで浮かべながら、笑いながら相川由貴はそう言った。笑うか泣くかどっちかにしろ。

「何がおかしいのよ。」

私は大層不機嫌に、もう一度目の前の男を睨みつけた。

「いや、面白いなと思って。」

私は、まだ笑い続ける相川由貴に、ズイッともう一つの包みを押し付けた。相川由貴が首を傾げた。

「・・・こっちがホントのチョコ。ちゃんと、砂糖入ってるから。」

相川由貴が満足げに微笑んでこう言った。

「ホワイトデー、楽しみにしてな。」

・・・それは仕返しのお返しか?

それとも、チョコのお返し?


・・・とりあえず、まだ笑っているハデ美とケバ子を片付けるか。







FIN



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